杉山文野(フェンシング元女子日本代表)

 「それはお前がいい男に抱かれたことがないからじゃねえか?」。僕が「本当は男なんです」とカミングアウトしたとき、フェンシングのコーチからこう言われました。

 僕はLGBTの中の「T」、トランスジェンダー(心と体の性が一致しない人)です。幼稚園のころから、自分は男だと思って男の子たちとサッカーをして遊んでいました。でも、小中高と女子校に入ることになり、周りには女の子しかいない状況に「なんだかおかしいぞ?」と自分の性別に対する違和感を意識するようになったんです。

 昔からスポーツが好きでしたが、その中でフェンシングを続けるきっかけになったのも、ユニホームに男女の差がほとんどなかったからなんです。当時、剣道は女子だけ赤胴に白袴、テニスはスコートが主流でしたし、バレーボールもブルマー。男女の差がはっきりと出るユニホームを着るのが本当に嫌だったんです。

 小学生のころは、男子相手でもテクニックで打ち負かしていました。でも中学校に上がるころになると、第2次性徴が始まり、一気に体格差が出てくるようになりました。こうなると、ついこの前まで簡単に勝てていた男子の体があっという間に大きくなって、力もスピードも勝てなくなりました。それに比べて、自分の体はどんなにトレーニングをしてもなかなか筋肉がつかない。さらに、生理が始まって体調の変化もあるし、「体の変化」で男女の差が出てくるのは、自分にとってとても悔しいと感じるようになりました。

 フェンシングは一般的に貴族のスポーツのように言われますが、実際はボクシングと変わらないくらい泥臭いスポーツなんです。フェンシングだけではないと思いますが、フェンシング協会もクラブチームもかなり体育会系で、男尊女卑というか、男性優位な風潮が当時はありました。

 例えば、合宿に行っても食事の準備や洗濯は女子がやって、男子の先輩は練習が終わればパチンコに行ってしまう、なんてこともありました。男子選手が筋トレで体力がもたなかったりすると、「お前オカマかよ!」とか、「情けねえな、女じゃあるまいし」とか、そういった発言が当たり前のようにありました。もっと言えば「お前は女なんだから」と、どうしても女性を見下すような雰囲気がありましたね。
元フェンシング女子日本代表の杉山文野さん(撮影 iRONNA編集部、松田穣)
元フェンシング女子日本代表の杉山文野さん(撮影 iRONNA編集部、松田穣)
 でも、当時のフェンシング仲間はすごく楽しくて良い人たちばかりでした。ただ、良い人であることと、差別的な表現をしてしまうことは、まったく別軸にあったように思います。誰も悪気はなく、男尊女卑のような表現をするのが当たり前だったんです。当時はジェンダーやセクシュアリティに関する情報がほとんど出ていなかったからなんだと思います。

 2004年にフェンシング日本代表入りを果たし、世界選手権に出場した1年後に引退するまで、自分はずっと「僕」だと思っているのに、「女子」の部に出ているのはなぜなんだろう、と葛藤を繰り返していました。別に悪いことをしているわけでも、ドーピングをしているわけでもないのに、常に罪悪感のようなものが自分に付きまとっていたんです。アスリートとしての道をこのまま進んでいれば、自分らしくなれないし、かといって男性ホルモンの投与や性別適合手術を受ければ、選手を続けることができない。当時はその二者択一しか選択肢がなかったんです。