その快適さに外国人旅行者が驚いた日本のトイレ。清潔で臭わないのは当たり前。人を待たせない工夫でも最前線を走る。狭い空間に目を凝らすと、ノーベル賞の理論やインターネット技術がぎっしりと詰まっている。
東名高速の愛鷹パーキングエリア(PA、静岡県沼津市)。PAといえば「トイレ休憩」での立ち寄りが多い。観光バスが次々到着すると、トイレの前に長蛇の列ができるのはよく目にする光景だ。
ここのトイレは人間の視覚に訴えて行列を減らす秘策を凝らしているという。開発担当の中日本高速道路東京支社の伊藤佑治さんに聞くと、「最大のポイントは『サバンナ効果』の応用です」との答えが返ってきた。
木の茂る薄暗い森で迷った人が前方に明るい草原(サバンナ)を見つけると、安心して光の方向に進んでいく。これがサバンナ効果。人間も、電灯に群がる昆虫や蛾(が)と大差ないということだ。
個室が並ぶトイレ空間をのぞくと、奥の壁が照明で明るく照らされている(写真右上)。扉のイラストも暖色系で大きく描かれている。一方、手前は少し薄暗く、イラストは青や緑の寒色系。「奥までの距離を短く感じさせる視覚効果を狙った」という。
女性トイレの行列は、空室があるのに待っている人に分からないことが原因になる。空間の奥へと誘導できれば、こうした非効率が減る。「サバンナ効果」が奏功し、手前の個室利用の8%ほどが奥の個室に移行したという。
科学的な知見に基づき、知らず知らずのうちに人間の行動を変化させる手法は「ナッジ」と呼ばれる。2017年にノーベル経済学賞を受けたリチャード・セイラー教授が提唱した理論だ。「渋滞学」で知られる西成活裕・東大教授は「中日本高速道路のトイレもこの理論を応用している」と指摘する。
ナッジは固有の言語などに頼らず人間の行動心理に直接訴えるので、「人種や文化などに関係なく、人を誘導できる」(西成教授)。訪日外国人が増加する東京オリンピックに向けて、行列を減らす有効な手法になると見る。
人が集中するのはサッカースタジアムも同じ。J1の川崎フロンターレのホーム、等々力陸上競技場(川崎市)は前半終了後15分間のハーフタイムに集中する利用者を詰まらず流す工夫を取り入れた。
その解決方法は「一方通行」。15年に改修したメインスタンドのトイレを入り口から見ると、出口に向かって左に小便器、右に個室が並び、真ん中に手洗いの洗面台が縦に並んでいる(写真左上)。
個室は内壁を青、扉を白に塗り分けているので、使用中かどうか一目でわかる。用を足した利用者は中央の洗面台で手を洗った後、出口へとほぼ直線に向かう。改修で「人の流れが格段にスムーズになった」(川崎市等々力緑地再編整備室の竹内智さん)。
最新のトイレではあらゆるモノがネットにつながる「IoT」も活躍している。
1日50万人が乗降する小田急電鉄の新宿駅。昨年できたトイレには入り口に利用状況を示す掲示板が付いている(写真左下)。個室の扉に取り付けたセンサーでドアの開閉を感知し、ネットで把握する。この情報をスマートフォン(スマホ)で検索できる専用アプリも配布している。
ベンチャーのバカン(東京・千代田)はオフィスビルのトイレの空き情報を検索できるサービスを展開している。トイレも今やネットの時代。スマホでトイレ予約という日も遠くないかもしれない。
ただ、日本人のトイレの利用時間は年々伸びる傾向があり、その一因はトイレでのスマホ操作にあるとか。いくら快適でも、長っ尻は控えたい。
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■「世界最大」200平方メートルのトイレ
沿線に菜の花が咲き乱れる小湊鉄道の飯給(いたぶ)駅(千葉県市原市)。「世界一大きなトイレ」は無人駅のすぐそばにあった。
高さ2メートルほどの木の塀で覆われた楕円形の敷地の広さは約200平方メートル。のぞくと満開直前の桜が枝を広げ、透明なガラス張りの向こうに便座が鎮座。周りをモンシロチョウがのどかに舞っていた。
市原市が「アートを通じたまちづくりの一環」として2012年に設置した公共のトイレ。残念ながら女性用なので使用はできなかったが、出てきた女性に聞くと、「うーん。広すぎてなんだか落ち着きませんでした」。すっきり感は味わえなくても、「オープンエアーの貴重な体験でした」とほくそ笑んだ。
チバニアンで有名になった地球磁場逆転の地層も近くにある。大地には悠久の時間が流れていた。
(田辺省二)
[NIKKEIプラス1 2018年3月24日付]