「無人地帯」で立ち往生 ミャンマーのロヒンギャ5000人以上
アンバラサン・エティラジャン BBCニュース(トンブル国境検問所)
そこが無人地帯だろうと、子供たちは遊び方も楽しみ方も知っている。
壊れそうな掘っ立て小屋と下水で汚れた小道の間、 大人たちが座って世間話に花を咲かせる近くで、子供たちが飛び跳ねたり手押しポンプで水を出したりして遊んでいる。
しかし、その場しのぎで作った家並みの背後には、かみそりのように鋭い柵があり、さらにその奥には、ミャンマー国境警察の監視の目がある。
柵の向こう側、ミャンマー・ラカイン州にディル・モハメドさんの村がある。モハメドさんは早く許されるよう願いながら、毎日柵の向こうをみつめる。
モハメドさんは厳密にはミャンマー領内にいる。しかし皮肉なことに、検問所を通過して家に歩いて帰るのは許されていない。
モハメドさんは1人ではない。5000人以上の少数派イスラム教徒ロヒンギャが、「無人地帯」と呼ばれるバングラデシュとミャンマーの国境にある地域の小さな一角に避難している。
そこにいる人々は、昨年8月に家宅の襲撃を受けて逃げ出した、70万人近いロヒンギャ難民の最初の一団だ。
(ロヒンギャ難民の主要脱出先の)コックスバザールから約45キロにあるトンブル検問所のキャンプは、バングラデシュからは小さな用水路で隔てられている。公的にはミャンマー領だが、同国のほかの地域からは柵で仕切られている。
住む場所をなくし避難してきたロヒンギャは、食料供給や健康管理を受けるためならばバングラデシュ入国が許可されているが、ミャンマーへの帰還は許されていない。
私が厳重に警備された同地域にたどり着くのに、バングラデシュの国境警備検問所を4カ所も通過しなくてはならなかった。ミャンマー側の地域に行くのは許されなかったので、モハメドさんと彼と近しい住民に、バングラデシュ側で会いたいと頼んだ。
キャンプでロヒンギャは、竹の柱とビニールシートで掘っ立て小屋を作って暮らしている。ただ、生活環境はそれでも悲惨だ。飲料水を供給する手押しポンプの横には、下水が走っている。
キャンプで暮らす女性、ヌールッサンさんは、ミャンマー軍が彼女と彼女の家族を撃ってきたので村から逃げてきたと語る。
「キャンプの暮らしは厳しい」とヌールッサンさんはBBCに語った。「ここはとても暑く、料理用のまきを手に入れるのも難しい。ユニセフ(国連児童基金)からときどき医者が派遣されてきますが、それ以外に医療設備はありません」。
柵のすぐ後ろは、ミャンマー国境警備警察の監視所がいくつもある小さな丘だ。柵沿いを走るぬかるんだ道には、数え切れないほどの検問所がある。
「もう一方には、もっと多くの国境警察がいます。たまに丘を登ってきて、拡声器を使って私たちにバングラデシュへ行けと叫んでいます」とモハメドさんは話した。
用水路沿いに歩くと、柵の向こう側でトラックがミャンマー国境警備兵を何人か降ろしていた。ライフルを持った警備兵はすぐに丘の上で配置につくと、我々の行動を監視しているようだった。
今月初めにこの地域の緊張が高まった。バングラデシュの国境警備兵によると、ミャンマーが突然、国境に配置する部隊の数を増やしたという。その後、部隊は撤退を要求された。
ミャンマー政府の報道官はAFP通信に対し、「アラカン・ロヒンギャ救世軍」を自称する組織のロヒンギャ民兵が同地域に現れた疑いがあるとの情報を得て、警護を強化したと語った。警護強化にバングラデシュと敵対する意図はなかったというのが、報道官の説明だ。
緊張状態は見たところミャンマーが部隊を引き上げたことで収まった。しかし、バングラデシュの国境警備兵は、「無人地帯」にロヒンギャ民兵がいたという主張を疑問視する。
バングラデシュ国境警備隊の地域指揮官、モンジュルル・ハサン・カーン中佐は「ここ6カ月、(武装勢力による)活動は一切目にしていない。私が目にしてきたのは、罪のない女性と子供だけだ」と語った。
バングラデシュとミャンマーは昨年末、一部のロヒンギャのミャンマー送還で合意した。「無人地帯」のキャンプに住む人々は、その対象の第一弾になるものとみられている。
しかし、送還のプロセスは行き詰っているように見える。報道によると、両国とも送還対称のロヒンギャの人々について、詳細な情報を要求しているという。
バングラデシュ難民救済および送還委員会のモハマド・アブル・カラム委員長は、送還された人々の「安全な復帰」の保証、帰還先の確保など、「いくつかの問題」が残っていると語る。
加えて、ミャンマー帰還を望むロヒンギャはごくわずかだ。
コックスバザール近くのバルカリ難民キャンプに住むサンジダ・ベグムさんは、ミャンマーが「ロヒンギャに国籍を付与し、受け入れてくれる」のではなければ、戻りたくないと語る。
「そうでなければ、ミャンマー政府は私たちを殺そうとするでしょうし、私たちは山に隠れて生きなければならない。それなのにいまさら戻ろうとするはずもありません」
(英語記事 Myanmar's Rohingya stuck in Bangladesh's 'no man's land')