「戦争は経済を活性化させる」は、デタラメである なぜ戦争が終わると不況になる?
「パン屋の主人を地域共同体の一員と考えれば、この共同体は仕立てられるはずだった礼服を失い、貧しくなったことになる」
つまり窓ガラスを割ったことで共同体が豊かになるという考えは間違いなのだ。しかし世間の人々の多くは、寓話に登場した近所の人のように、破壊が社会を豊かにするという錯覚に陥りがちである。
なぜか。
それは「人は、直接目に映るものしか見ない」からだとハズリットは指摘する。「人々は、翌日か翌々日にもパン屋に真新しい窓ガラスが輝くのを見るだろう。だが注文されずに終わった礼服を見ることはない」。だから目の前の新しい窓ガラスだけに気を取られて、手に入るはずだった礼服を失ったことに気づかない。パン屋の主人は、やむを得ず窓ガラスを修理するという選択をしたために、礼服で得られる満足を失った。
機会費用
このように、ある行動を選択することによって犠牲にする価値を、経済学では「機会費用」と呼ぶ。目に見えない費用ともいわれる。目に見えるものからだけでは、本当の損得はわからない。
機会費用の考えを頭に入れれば、戦争が経済を繁栄させるという主張が誤りであることはもうわかるだろう。戦争で破壊された住宅やビルが次々に建て直されていく様子は、目に見える。いかにも経済が活力にあふれているように見える。しかし、もし戦争がなかったら、住宅やビルは破壊されなかったし、再建に充てられたお金は人々を満足させる他の目的に使われ、社会をもっと豊かにしていたはずだ。
戦争中には軍需産業が儲かり、経済成長を押し上げるかもしれない。しかし、武器や弾薬は戦争には必要であっても、国民の生活を便利にするものではない。だから戦争が終わると軍事物資への特需は消え失せ、経済は不況に陥る。もし戦争がなければ、企業は消費者が本当に欲しがる商品やサービスに力を入れ、経済成長はもっと地に足の着いた、息の長いものになるだろう。
ネットは、もっと便利になっていたはずである
もともと軍事上の必要から開発された技術は少なくない。
例えばインターネットは冷戦中、米国がソ連からの核ミサイル攻撃を想定し、非常事態でも指揮系統を失わない分散処理システムとして開発された「ARPANET(アーパネット)」が原型とされる。