「量の確保」に貢献
農業を取材していると、「日の光や澄んだ水、豊かな土」の価値を大切にし、植物工場のことを農業とは認めないという声を聞くことが少なくない。自ら田畑と向き合っている生産者だけでなく、研究者の中にもそうした意見がある。否定的な見方が生まれる背景には、1970年代以降、多くの挑戦があったにも関わらず、植物工場が鳴かず飛ばずだったことがある。では、植物工場への先入観を覆すような計画をどう受け止めるべきだろうか。
人の心を和ます自然はもちろん大切だ。農業がその維持のために大きく貢献できる産業であることも間違いない。だが、実際に日本で起きていることは、農業で働く人の急減と、農地と生産量の右肩下がりの減少だ。農業の最大の目的が食料の供給である以上、もっとも優先されるべきなのは量の確保。日本の農業はそのミッションに応えることが難しくなりつつある。
今後まず起きることは、高齢農家の大量引退と放棄地の増大の中で、担い手と田畑を守ることができた「勝ち組産地」の台頭だろう。そして、それと歩調を合わせるように、「量の確保」に貢献できる植物工場の存在感がじわじわと高まる。いま植物工場はついに黎明期を脱しようとしている。その動向から目をそらすことはできない。
兼業農家の急減、止まらない高齢化――。再生のために減反廃止、農協改革などの農政転換が図られているが、コメを前提としていては問題解決は不可能だ。新たな農業の生きる道を、日経ビジネスオンライン『ニッポン農業生き残りのヒント』著者が正面から問う。
日本経済新聞出版社刊 2015年1月16日発売
私は10年以上前からだったと思いますが、植物工場の重要性について主張してきました。
それは、1.生産過剰による無駄な廃棄を防ぎ、計画的に生産できること。
2.少子高齢化による農業従事者の減少に対応できること。
3.気候極端化下の天候不順による生産の不安定化を防止し、計画的に生産できること。
4.洗わずに食べられること。
5.全世界の食料問題の解決に貢献できること。
6.工場設備や運営ノウハウの輸出で国際収支を改善できること。
などです。
未だに植物工場の評価が定まらないことが残念でなりません。 バイテックには、国が全面的にバックアップしていくべきなのに、愚かなお友達ファースト主義の安倍首相を筆頭とする官僚も含めた政府や政治家には、先が見通せないのです。 既に国家財政が破綻している現状の日本は間もなく中国の資金力に負け食料調達もままならなく恐れがあります。 国民が飢えて餓死するという最悪のシナリオも覚悟しなければならなくなるような未来図は見たくありません。(2018/03/30 20:44)