佐川宣寿・財務省前理財局長の証人喚問が終わったものの、なお真相が明らかにならない森友学園関連文書の改ざん問題。焦点は大阪地検特捜部の動きに移りつつある。
元外務官僚で、霞が関の論理と検察の捜査手法を知り尽くす佐藤優氏は、事件の過程を驚くべき視点から見ていたーー。
※本記事は『佐藤優直伝「インテリジェンスの教室」』に収録している文化放送「くにまる・じゃぱん」の放送内容(2018年3月16日)の一部抜粋です。
邦丸:まず、近畿財務局の職員が自ら命を絶ったという話ですが、「上からの指示で書き換えをさせられた」というメモが遺されていたそうです。過去にも不祥事のあと、官僚が自ら命を絶つということがありました。こういうことが繰り返されると、なんとも言えない気持ちになりますね。
佐藤:ちょっと厳しいことを言おうと思います。
邦丸:はい。
佐藤:たとえば鈴木宗男事件の時も、外務省の一部の人たちは「佐藤優が死ねばいい」と思っていたんですよ。
はっきり言いますが、官僚の自殺は、亡くなった方には本当に申し訳ないけれど、責任放棄ですからね。
邦丸: うーむ。
佐藤:国民に対する責任は、自殺することではなくて、真実を語ることによってのみ果たせるわけですから、そこを勘違いしないでほしい。
なぜ私が敢えてこういうキツいことを言うのかというと、今この瞬間も、財務省の中には自殺を考えている官僚が何人もいるということが、目に浮かぶんです。
単に悪事に手を染めるというわけではなくて、上から評価されたいと思って、一線を踏み越えて、言われた以上のことをしてしまった…とか、彼らはきっと考えている。死んだら楽になるんじゃないか、死んだら検察やマスコミの追及もなくなる、と思ってしまう。でも、これは違いますからね。
死んだら全部、被せられるよ。「亡くなったのは本当に残念だけれど、実はわれわれが知らないところで、この人が全部やっていました」と被せられるだけだから。
特に財務省のノンキャリアで、上からの指示で悪事をやらされた、そしてその時はそんなに意識していなかったという人、絶対に死んだらダメです。死なないで、真実を語ってほしい。それが国民に奉仕することであり、あなた自身の名誉とあなたの家族を守ることにもなるから。
だから、亡くなった方には本当に気の毒だけれど、心を鬼にして言います。それは私自身が、かつてそういう状況に置かれたことがあるから。
死んではダメ。死んだら悪いヤツが喜ぶだけです。真実を語ること。死ぬ覚悟になれば、すべてを語れる。そうすれば、世論はきちんと支持してくれるから。
邦丸:霞が関では、特にキャリア組とノンキャリア組に分けると、どうしても責任はノンキャリアに被さってきてしまう。そうした中で自ら命を絶つ方もいる。日本全体では自殺者の数は減っていますが、霞が関の責任の取り方って、私には「独特の世界」だと映ります。
佐藤:そうなんです。あそこには独特の空気があります。
ただ、キャリアとノンキャリアの関係というのは、言われているように「身分制」であるとか「ノンキャリアはキャリアの言うことを聞かざるを得ない」という構造では、必ずしもないんです。
私の場合、外務省にノンキャリアで入って、途中からキャリア扱いに登用という特殊なルートなので、両方の世界を見ているんだけれども、キャリアは全体像はわかるけれど細かいことはわからない。そうすると、「悪知恵をつける」のは、意外とノンキャリアの仕事なんです。
邦丸:悪知恵をつける。
佐藤:そう。「こういうふうにやったらごまかせますよ」とか、「この文書はヤバいから抜いちゃいましょう」というようなことは、意外とノンキャリアが言っている可能性がある。キャリアには、そこまで見えないわけです。
キャリアは圧倒的な権力を持ってはいるんだけど、細かいところはノンキャリアがサボるとできない、ということがたくさんある。だから、何か悪事が出てきたときは、ノンキャリアが相当深く噛んでいるわけ。彼らは「実行犯」として現場でやっているから、すごく自分の責任を痛感するわけです。「こんなことをやってしまった」と。
例えて言うなら、戦場で銃剣で目の前の相手を刺し殺すのはノンキャリア。後方の司令部にいて「やれー」と命令しているのがキャリア。こういう図式で見ればわかると思う。
邦丸:ふむ。
佐藤:現場のほうがリアルな悪事を行った感が強い。そこがおそらく、自責の念にかられてしまう理由だと思うんですよ。だから、メディアは「上が逃げ切るために下に全部被せている」というふうに単純化して書くけれど、必ずしも中の心理状態はそうではないんです。
邦丸:はあ〜〜。
佐藤:上は上で、「こんなはずじゃなかった」と当惑しているんですよね。「なんでこんなことになっちゃったんだろう、あの時オレはどうしていたんだっけ…」という感じだと思いますよ。