想像できるだろうか…この道の上に電車が走っていた光景を…70年以上前だけど
東京の山手線から西方向に伸びる私鉄のひとつ、京王線。始発駅の新宿駅は現在、JRの新宿駅西口に隣接した地下にあって、発車した列車はしばらく地下を進む。だけど、戦前は東口の方の地上に駅があり、山手線の上を横切っていたという。あの南口改札とバスタの間に架かる道路橋の上を、路面電車のような形で通っていたというのだ。
ちょっと信じられないので、何か痕跡はないかと見に行ってみた。
1974年東京生まれ。最近、史上初と思う「ダムライター」を名乗りはじめましたが特になにも変化はありません。著書に写真集「ダム」「車両基地」など。
個人サイト:ダムサイト
前の記事:「お祖父さんが作ったドールハウスが泣けるほど昭和の住宅だった」 人気記事:「お祖父さんが作ったドールハウスが泣けるほど昭和の住宅だった」 伊勢丹の前から出発Wikipediaを見ると、大正4年に開業した京王線の新宿駅(正確には新宿追分駅という名だったらしい)は、現在の新宿三丁目交差点、伊勢丹や丸井の目の前の明治通り上に置かれた。しかし、丸井はもちろん、伊勢丹新宿店でも開業は昭和8年と言うからまだ影も形もない頃だ。現在は大きなビルが立ち並び、1日中人でごった返している交差点は、江戸幕府が開かれた頃から甲州街道と青梅街道の分岐点、つまり追分(おいわけ)として大いに栄えたという。
新宿三丁目交差点。この写真を撮った場所あたりが駅だったと思われる
信号機のちょっと先あたりに路面電車の駅、もしいまあったら大渋滞必至である
追分の名はいまでもちらほら残っている
周辺を歩きまわってみたものの、当たり前だけど痕跡らしいものは見つけられず。当時は都電の路面電車があちこちで走っていた頃だから違和感なかったかも知れないけれど、現在の光景しか知らないのでちょっと想像力の範疇を超えている。
新宿追分駅を出発した路面電車は明治通りをいったん南下、甲州街道と交わる現在の新宿四丁目交差点を右に曲がって甲州街道の上を走った。 ここから奥に向かって進み、信号付近で右に曲がる
移転してターミナルにその後、さすがに始発駅が道路上というのは容量や交通事情的に難しくなったのか、開業から12年後の昭和2年に50mほど移動、新宿四丁目交差点の北東側に、デパートが入った駅ビルを持つターミナルが新設された。現在はフォーエバー21が入るビルの場所である。
え、ここ京王線のターミナルだったの!?という驚き
そう言えばビルの上の方には京王のロゴと「京王新宿追分ビル」という名前がある。いまも京王のテリトリーなのだ。建物をよく観察すると、敷地に合わせて微妙に曲線を描いていて、確かに駅の跡地と言われればそうなのかも知れない、という形をしている。
フォーエバー京王のビル
もしかしてこのカーブは線路のカーブの痕跡なのか
ちなみに京王新宿追分ビルのもうひとつ奥、甲州街道と新宿通りの両方に面した建物も「京王新宿三丁目ビル」という京王系列のビルだ。敷地内には新宿三丁目駅へ降りる階段があって、そこには京王線と直通運転している都営新宿線も通っている。いろいろ歴史が交錯した場所なのだった。
新宿の東口側に「京王」のビルがある違和感、誰か気づいてただろうか
90年前は京王線の電車が並んでいたのだろうか
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