テレビアニメ、プリパラその続編のアイドルタイムプリパラが先日最終回迎えました。
いい作品でした。
スタッフキャストに感謝の言葉を送りたいです。今までありがとう。
プリパラというアニメは素晴らしい魅力がある作品でしたが「何もかも全てが素晴らしかった」とは言いがたく、視聴してて粗雑さや理不尽さを感じることが少なからずありました。
いきなり悪い点を挙げるも悪趣味ですが…私が最後の最後までどうしても心の中で消化できなかったのは、やはり「システム」という存在です。
プリパラのシステムははっきり言って滅茶苦茶でした。
プリパラというテーマパークを具体的に誰がどうやって運営してるのかは一切省略するのはいいとしても、システムという名の顔の見えない運営者はいっつも滅茶苦茶なことばかりやってて不気味でした。
中でも6人のボーカルドール(精霊も女神もあえてそう呼びます)を苦しめて苦しめて、特にファルル、ジュリィ、ガァララに徹底的に惨い仕打ちを課していたのはあまりに可哀想で仕方ありませんでした。
それに「マスコットの墓場」とかいう失敗者の処分場なんてものが存在したり、ひびきを殺そうとしたり、「ゴッドアイドル」なんて設定が唐突に登場して、挑戦して失敗すると過大なペナルティを払わされたりと、システムは折に触れ極端に残酷で懲罰的になります。
頑張って頑張って神アイドルになったらぁら達にシステムが「神アイドルの仕事」として課したのはただの「地方営業」だったのは、本当に意味不明でした。
もちろんそれはそのおかげでゆい達と出会えた功績はあったのですが、システム(の代弁者)が「らぁらさん、あと何日までにナントカをしてくださ~い。できなかった場合は神アイドルクビで~す」なんて言ってて…地方営業で過酷なノルマを課して果たせなかったらクビにする(できる)って…私は「神アイドルってなんなの?システムってなんなの?」って本気で疑問を感じたものでした。
しかも小中学生に転校までさせてやらせているんです。
いやまー、こんなの深い意味はなくてただのノリなんだからスルーできればよかったのかもしれませんが、そう吹っ切れることは私は結局できませんでした。
らぁら達はプリパラのことをよく「みんながトモダチになれる素敵な場所」と言いますが、それはプリパラのカスタマーがたまたま「みんなとトモダチになる素敵な子」だっただけであって、プリパラのサプライヤーのほうは鬼畜以外の何物でもなく、私はここに矛盾や欺瞞をいつも感じていました。
なので、このプリパラシリーズは、物語の4大基本要素「キャラクター」「テーマ」「ストーリー」「世界観」で言うなら、世界観の出来はかなり酷く、ストーリーも整合性低くてあんまりよくなかったと、私は感じています。
ですがそのマイナスを補って余りあるのが「キャラクター」と「テーマ」のほうです。
こっちのほうはとてもとても素晴らしかったです。
これはもう世の中の他の人のブログやツイッターなどなどで多くの人がその素晴らしさを語っているので今更説明の必要はないかと。
らぁらは本当にいい主人公でしたし、あと特筆したいのはレオナでした。
レオナはここ10年間くらいで定番キャラになった「男の娘」ではありません。
「異性装」とも「トランスジェンダー」ともちょっと違います。
彼はかわいいものを好んでプリパラの中では女装しますが、現実世界ではスカートははかないし、男子の制服や男物の水着を嫌がるわけでもありません。
めが兄ぃに惚れているけど、それでいてそふぃのことを特別に気にかけているように見えましたし、双子の姉ドロシーとは一身同体!って感じだけど、ドレパになると一転してドロシーは我が子のような存在になりシオンが夫でレオナが妻である家族のようでした。
ペッパーやコスモやジュリィからは「強い男」として一目置かれてるふしもあったりしました。
単純な「バイセクシャル」とも少し違くて、彼は全てを愛していて、本当に、信じられないくらい懐の深いキャラクターで、こんなの他のどんな作品でも見たことありません。
どうしても一言でレオナを表現するのならやっぱり「あるがまま」としか言いようがありません。
レオナの持つ多様な形の愛情は奇跡の産物かも。
プリパラのキャラクターとテーマの素晴らしさを語ると本当にキリがないのですが、あと一人だけ、ちょうどレオナ役の若井友希が兼役したラスボス、パックも賞賛したいです。
以前ブログでパックの暴走する心情がよかったと書きましたが、その決着のつけ方もなかなかよかったです。
今まで散々自分を無視してきたゆいやらぁらにいきなり「あなたもトモダチだよ!」と説得されても噓くさくてとても心を開く気にはなれず、ソラミドレシマイドリの最終兵器ライブのおかげで心を開いたのも、別にゆい達を好きになったわけではなく、「ガァララの笑顔」というすげーピュアな愛情(夢)を思い出したからっていうのがよかったです。
パックは最後まで彼なりの意地を貫き通せたものの、いったん冷静になると自分の暴走が恥ずかしくなって、あとは素直になるしかありません。
……今日のブログの本題を書く前にプリパラに思う悪いところとよいところをちょっと書いただけで2200文字を越えてしまった…。
私は今日書きたいのはここからです。
アイドルタイムプリパラは終わってしまいました。
プリパラは約1年ごとにシーズンを更新させて3期まで放送されましたが、アイドルタイムプリパラは1期だけで終了したことになります。
これはやはり、広義の打ち切りです。
人気が出なかったから、ビジネスとして数字が出なかったからです。
人気があったのなら2期が実現したわけで、1年で完結したのは決して予定通りではないでしょう。
当初から1年で終わる予定だったら4期「プリパラ完結編」が製作されていたでしょうから。
そもそもプリパラからアイドルタイムプリパラにマイナーチェンジしたのは、プリパラはこのままでは存続が難しくてテコ入れが必要だったからです。
しかしそのテコ入れも成功しなかったから、こうして終了することとなってしまいました。
ダンプリという概念がわざわざ付け足されたのは、最終的にダンプリと女子プリが融合するために他ならなく、もし2期が実現していたらゆいとショウゴがその架け橋となって世界中のプリズムストーンの男女の壁を破る革命を起こしていたのでしょう。
(最終回の男女交換のライブにはその幻影を見ました)
あとは…ミーチルとあろまのペアライブが実現しませんでした。
ゆいとらぁら、にのとシオンはあったのに。
これも途中で打ち切りが決定してしまったから、ミチあろを断念してフィナーレのための曲とライブの製作にリソースを回すしかなかったからかと。
(そういえばプリパラポリスの曲はあってもプリパラナースの曲がなかったのはいまだに残念)
しゅうかとみあの曲も欲しかったし、ボーカルドール全員の6人ライブとか、見たかったのに実現しなかったライブはいくらでもありますね…。
いかに作品は素晴らしかったといっても、そう思う顧客の絶対数が少なければビジネスとしては存続できなくなることを痛感しました。
そして、私自身はプリパラを応援してる顧客だったとはとても胸を張って言えませんでした。
私はアーケードのプリパラのゲームを一度もプレイしたことがありません。
近所のイオンに筐体はあるんですけど、一度も100円を入れませんでした。
いい年したおっさんが一人であそこに座る勇気がなかったし、そもそも「遊びたい」という気持ちになりませんでした。
プリパラを応援するためとはいえ、座るのが恥ずかしいし遊びたいと思わないものに100円を投げることはどうしてもできませんでした。
「コーデを集める」ことに興味をそそられず、もしこれがもっと何か違う形のものだったら遊んでたかなあー?
あとはゲームの絵がアニメの絵ともライブの絵とも違いすぎるのも魅力を感じなかった点の一つでした。
私がお金を出したものといえば、辻永ひつじの単行本、色紙コレクション、レコチョクで気に入った曲を単品購入、くらいのものです。
円盤は、もともとどんな作品でも買ったことも買うつもりもない人間です。
本当に私はいい客ではないと自分で思います。
いかにプリパラが好きといっても、ろくな応援ができなかったし、したくなる応援の手段もなかったことが無念でなりませんでした。
漫画が原作のアニメだったら単行本を買えば応援になるし、けものフレンズやポプテピピックみたいにIP展開がメインだったらグッズを買うことがもっともっと気軽にできるのですが。
プリパラのIPはパラネタなどなどがありましたが、こういうのを積極的に買ってればよかったかなあーと後悔にも近い気持ちがあったりします。
いや、女児向けアニメなんだから、タカラトミーアーツのおもちゃとかが売れることが一番重要なんでしょうか???
プリパラが終わったことは本当に残念で、私はもっと応援できることがあったのではないかとつい思ってしまいます。
それがどうも心残りでした。
人気が出なかったのは一体どうしてだったのでしょう。
出来のよい部分と悪い部分の差が激しいアニメだと多くの人の心を掴めなかったりするのか、ビジネスモデルに無理があったのか…。
私ごときが口を挟むのはおこがましいのですが。
さて、新しく始まるのが「キラッとプリ☆チャン」です。
私はこの通りプリパラロスにうなだれているから、いきなり切り替えて「応援しよう!」って気分にもなれません。
でも視聴しないで否定することだけはやめようと思います。
虚心坦懐で自分でちゃんと視聴して、面白かったら「応援」して、つまんなかったら視聴するだけにするかあるいはやめようと思います。
プリチャン面白くなること、そして応援しやすい新しいビジネスモデルを期待しています。