けいおんからじわじわと感じていたストーリーの不要性、求められるのはキャラクターの可愛さ・関係性と舞台装置。
その後艦これ、刀剣乱舞あたりが流行し、二次創作という場で大流行した。
キャラクターの見た目と方向性と舞台装置である世界観だけが用意され、
多くは語られない。
キャラクターと舞台だけは共通しているのでオリジナルとも言い難い。
それに、多くの人が手に取れる仕組みだ。
最初にあらわれたキズナアイはただユーチューバーの見た目を2次元に落とし込んだものだったが、
ここに来て鳩羽つぐが登場。
世界観とキャラクターのみの提示を、アニメの枠を超えてしてきた。
ただそこにいるだけで、雰囲気を作ってしまったので、あとは勝手にファンが妄想や考察を繰り広げるだろう。
ストーリーの死というべきか、「誰かと共有すること」が前提でありそこが全面に出たからこそ時代に合っているのか。
楽しんだあとで、誰かと共有するのだ。
今まではそうだった。
そしてストーリー→共有の流れが変わる。
ただの「共有」だけ、それだけでいいのだ。
ストーリーを楽しむ、ということ自体がアニメやオタク界隈から切り離されていく感覚がある。
もはや別物なのかもしれない。
アニメは同時放映という強みがある。
ストーリーがなければネタバレ禁止だとか、他人への配慮の煩わしさもなくなるのでは。
コンテンツの消化スピードが上がり続けてここまで来たかという感じ。
まだ未知すぎる
ストーリーが存在すると、物語が終わっちゃう時が来るわけだけど、 キャラクターと雰囲気だけなら、それを回避できる。 桜は散るから美しいという古来の価値観を離れ、ヨーロッパ的...
宇宙よりも遠い場所が絶賛されてるこのタイミングで何言ってんだコイツ 本当にアニメ見てるの?