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世界中で話題の三国志・曹操の遺骨の新発見報道に考古研究院が困惑

河南省文物考古研究院は、この情報は「新しい発見ではない」と断言。

中国・河南省安陽市にある「曹操高陵」の墓から発掘された遺骨が、三国志の曹操のものだと"確認"された、という情報が世界中で話題になっている。

2009年に河南省文物局が曹操の墓と発表して以来、長年の間巻き起こっていた真偽論争。今回やっと真相に近づいたのではと、世界が注目した。

しかし、文化財の保護・管理をしている河南省文物考古研究院は、この情報は「新しい発見ではない」と断言している。

一体どういうことなのだろうか。

ことのきっかけは、中国のネットメディア「澎湃新聞」の報道だ。

3月25日に掲載された「曹操の墓に新たな進展、曹操の遺骨と大筋において確認」という見出しの記事で、河南省文物考古研究院が「曹操の遺骨の発見を大筋で確認した」ことが要点だと述べている。

この記事をきっかけに、中国国内だけではなく台湾や香港、日本、マレーシアイギリスのメディアでも、「曹操の墓が発見された」「曹操の遺骨が確認された」などといった主旨の記事が拡散していった。

Newsweekも台湾の英文メディア「Taiwan News」を引用して報じている。

日本では、香港BSが報じた27日の記事がネット上で拡散し、Twitterのトレンドランキングにも載った。

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突然、「曹操高陵の重大発見、遺骨が確認された」というニュースが大手メディアで溢れ始め、ネット検索で一位になっていたりした。私たちは、まったくわけがわからない状況だ。

曹操高陵に関する公式の報告は下記の通り:遺骨は2009年に発掘・出土されたもの。これがどのようにして新発見になったのだろうか?この噂を広めているメディアの編集者には、もっと頼りになれるようになってほしい。質問がある方は、発掘の短報を参考にしてください。

つまり、曹操の遺骨は2009年時点で発見されていたというのだ。

今回の騒動で話題になっている「60代男性の遺骨」だが、2009年に発掘された時点で河南省文物考古研究院が初歩鑑定をしている。

当時の中国国内外の報道によると、面積約740平方メートルという墓の規模や発掘当時の状況が、史書と合致。また、墓の内部の壁画が後漢末から魏にかけての時代のものだと判断されている。

60代男性の遺骨が、66歳で死去したと言われている曹操と一致していることで、本人だと考えられていた。ほかにも50代と20代前半の女性2人の遺骨が発見されていた。

河南省文物考古研究院が曹操の墓だと断定した一番有力的な証拠が「魏武王」と刻み込まれた副葬品の石牌の発見だった。

2009年に発表すると、世紀の発見と称する報道で賑わっていた。

不意の騒動で、過去の業績がまるでなかったことにされてしまった河南省文物考古研究院。微博では「噂には影響されない」と、考古現場で研究を続ける様子を紹介している。

バズフィード・ジャパン ニュース記者

Eimi Yamamitsuに連絡する メールアドレス:Eimi.Yamamitsu@buzzfeed.com.

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