画家となりアーティスト活動をしてきて5ヶ月以上が経ちました。
この期間だけで、数え切れないほどの心無い中傷や批判を浴びてきました。
新しい作品を描けば「ただキャンバスに絵の具を塗りたくっただけ。芸術を何も分かっていない」と叩かれ。
自分の存在を描けた渾身のアート作品のブログを描いても「偽善だ!」、「ホームレスを見下している!」と罵られ。
たくさんの感動も生んだけれど、批判もされまくった渾身のブログ:代々木公園に住むホームレスのダンボールを4万円で買って、世界平和の絵を描いたら感動しか生まれなかった!
個展用の一張羅としてヨウジヤマモトの服を買っただけでなぜかケチをつけられ。
中傷、批判してくる連中はよく文章も読まずに、ただの感情だけで殴り込んできます。
ぼくはこれを「言葉の暴力」だと真剣に思っています。
そして、そんな発言に沈黙し無視を続けながらも、やはり心は傷ついています。
しかし、アーティスト活動をする以上、何かに傷つくことは避けられないとも同時に思っています。
「本当は傷つきたくないのに、傷つきながらも突き進んでいかないとアーティストとしては大成しない。」
そんな風にも思ってしまっているのです。
何たる矛盾でしょうか。
「何でこんなイバラの道を選んでしまったんだろう」と考え込んでしまう時があります。
しかし、ぼくはダメ人間で普通の人生を選べないと自分でも重々承知しているので、せめてこのイバラの道の中で少しでも「面白い!」、「嬉しい!」と心の底から思える体験を積み上げていきたいです。
そして、こんなぼくの生き方が結果的に誰かの人生を励ませることができたらこの上なく、嬉しいです。
アーティスト活動は傷つくことの連続。そして、孤独です。
だけど、アーティストである以上、もう突き進むしかありません。
そんなことを考えていたら、ツイッターで流れてきたこのツイートに深く共感しました。
ぼくはこのツイートを読んで気づかされたのです。
きっとアーティストだから傷だらけなのではなく、自分なりの生き方や価値観を持って生きようとしている人はみんな傷だらけなのだと。
みんな表面上では笑ったり、元気にしているように見えるけれど、心の中にはたくさんの生傷が刻まれているのだと。
だから、このブログを読んでる傷だらけのみんな、生きような。
ぼくもがんばって生きるから。
傷だらけだからといって、死んじゃダメだし、自分を否定してばかりでもいけない。
どこかで無理やりでもいいから、自分を偽ってでもいいから自分を肯定してあげよう。
きっとあなたは、大丈夫だ。
宮森はやとはこれからも傷つきながらも、アーティストとしてがんばります。
そういえば、今日大好きな作品が描けました。
作品名は「Blood swell」(血のうねり)。
「自分の血がうねりを上げるくらいにたぎらせることができたら、きっと人生はスリルと感動に満ちている。」
そんな想いを込めて描いた作品です。
この作品が誰かに気に入ってもらえたらとても嬉しいです。
それでは今日はこのへんで。
わっしょい!