サージェント・ペパー〜ビートルズの音楽革命〜[二][字] 2018.03.29

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1967年6月1日ポップミュージックの可能性を広げる画期的なアルバムが発表されました。
ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」です。
「サージェント・ペパー」を聴いた瞬間私はこのアルバムに魅了されました。
その時の感動は作曲家の仕事をしている今でも鮮明に覚えています。
ユニークで意外性の連続。
それまで聴いた事も見た事もないアルバムでした。
お金をかけたジャケットはそれ自体がアート作品。
ポップミュージックでは初めてジャケットに歌詞を載せていました。
「サージェント・ペパー」は時代を反映していました。
当時のヒッピー文化が唱えた愛と平和のサウンドトラックになりました。
サイケデリックで幻想的。
しかし驚いた事に歌はヒッピーの幻想ではなく現実の生活としっかりと結び付いていたのです。
13曲のうちおよそ半分の歌は新聞記事や日常の出来事から発想を得ています。
「ラヴリー・リタ」は若い女性に駐車違反の切符を切られたポールが怒るどころか逆に彼女の気を引こうとしている歌。
ジョンはシリアルのコマーシャルを見てありふれた退屈な日常を皮肉った「グッド・モーニング・グッド・モーニング」を作りました。
「ゲッティング・ベター」にはポールとジョンの感性の違いがよく表れています。
ポールが「よくなっている」と楽観的に歌うと…。
ジョンが「悪くなりようがない」とあざ笑うように返します。
この曲はポールの父親が64歳になった時にレコーディングされました。
このアルバムの何より重要な特徴は驚くほど幅広いジャンルの音楽から影響を受けそれを糧に変化に富んだ作品に仕上げているところです。
最新のハードロックに始まりフォークやクラシック音楽そして外国の異文化の音楽も取り込んでいきます。
「サージェント・ペパー」は音楽の革命でした。
スタイルにとらわれない自由さ野心的で幅広い音楽は多くのミュージシャンに影響を与えました。
ビートルズは当時のスタジオ技術を駆使。
誰も聴いた事のないさまざまに変化する万華鏡のようなサウンドが生まれたのです。
アルバムの一つ一つの曲に革新性と発見が見られます。
番組では私がビートルズの才能が特に際立っていると思う作品をいくつか選んで解説していきます。
これまで公表されていなかったオリジナルのマスターテープから分析してみましょう。
メンバーたちの興味深いやり取りも聞けます。
「サージェント・ペパー」が誕生するきっかけになった出来事から始めましょう。
1966年の8月でした。
ビートルズはコンサートで世界中を回っていましたが突如ツアーの中止を決めます。
ファンの歓声で歌声がかき消されてしまうライブに耐えられなくなったからです。
常識では考えられない決定でした。
ビートルズはツアー活動を通じてレコードの販売を促進していたからです。
レコーディングは11月24日ロンドンのアビー・ロードで始まりました。
制作期間はおよそ5か月間。
当時としては異例の長さです。
プロデューサーのジョージ・マーティンとともにさまざまな実験的手法を試しレコーディング技術の新たな可能性を追求します。
トラックや楽器ごとに録音し一つ一つの音を積み重ねてサウンドを作る。
後にその手法は世界中のアーティストたちの手本となりました。
1967年2月新曲が発表されます。
「サージェント・ペパー」プロジェクトのためにレコーディングされた「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と「ペニー・レイン」です。
この2曲は当初「サージェント・ペパー」のアルバムに収録される予定でした。
しかし前作の発売からすでに半年がたちレコード会社とマネージャーのブライアン・エプスタインは新作の発表を急いでいました。
そこでこの2曲が急きょリリースされる事になったのです。
「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と「ペニー・レイン」は「サージェント・ペパー」プロジェクトに欠かせない曲でした。
この2曲がアルバムの根底になるテーマの一つだったからです。
子供時代です。
「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」はアルバムのセッションで最初にレコーディングされた曲でした。
タイトルはジョン・レノンが育った家の近くのストロベリー・フィールドという児童養護施設の名前。
毎年恒例のガーデンパーティー。
草木が茂った庭で大人の目を盗んで興じる遊び。
そんな子供時代の思い出が鉄の扉の向こうに広がっています。
実にユニークな傑作「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」に世界は驚かされます。
大胆で風変わりなサウンド型破りな構成そして独創的な音楽スタイルは今聴いても新鮮です。
イントロのフルートのような印象的な音色はポール・マッカートニーが演奏する当時はまだ珍しかったメロトロン。
鍵盤を押すと磁気テープに録音された音が鳴る楽器です。
この曲は麻薬の幻覚症状を暗示しているともいわれていますがそうではありません。
不安でいっぱいだった子供時代を歌っているのです。
「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」のレコーディングには55時間も要しました。
今では当たり前の録音技術をプロデューサーのジョージ・マーティンとアビー・ロードのスタジオエンジニアが苦労して一から開発したのです。
この曲には驚くべき技術が使われています。
それはジョンが幻想的なバージョンのテイクと熱狂的なノリの別テイクを両方とも生かそうと考えた時に生まれました。
2つのテイクは使われている楽器や音量が違うだけでなくキーも違いました。
そして更にやっかいな事にテンポも違っていたのです。
そのため2つをつなぎ合わせるとこうなります。
変に聞こえますね。
今では編集点を分からないようにする事はスマートフォンのアプリでも簡単にできます。
しかし当時は2つの演奏を1つにするのは不可能だと思われていました。
そこでジョージ・マーティンたちはあるアイデアを思いつきます。
テンポの速いテイクを少し減速し速度とキーをもう一つのテイクに合わせてみよう。
しかしどうすればテープレコーダーの回転数を遅らせる事ができるのでしょうか?当時レコーダーに変速機能はありませんでした。
そこで録音エンジニアのケン・タウンゼントはレコーダーに供給する電気の量を調整する事でテープの回転速度を変える事を思いつきました。
そうやって編集したのがこれです。
お見事。
ジョンとポールはストロベリー・フィールドの近くにある教会のパーティーで1957年に出会いました。
程なく一緒に曲を作るようになった2人は良きライバルとなります。
ジョンの傑作「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」に対してポールは「ペニー・レイン」で応じます。
歌に登場するペニー通りのバス停は2人が10代のころよく待ち合わせしていた場所です。
「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と同様「ペニー・レイン」もジョンとポールの青春時代の郷愁を感じさせる歌なのです。
1950年代彼らはロックンロールのとりこになっていました。
特にポールはリトル・リチャードのパワフルであくの強い歌に夢中でした。
リトル・リチャードは新たなリズムパターンを生み出しました。
ジャズの基本のフォービートは…。
・「ワントゥースリーフォー」3つに分割していました。
リトル・リチャードは更に2分割して均等のエイトビートに。
ポールも斬新なリズムパターンを作りました。
リトル・リチャードの1小節エイトビートを…。
1小節均等フォービートにしたのです。
要するにジョギングからウォーキングに変えるような感じです。
もう一つ重要な事。
「ペニー・レイン」で使われたピアノは1台ではなくなんと4台でした。
録音トラックを一つずつ再生して4台全ての音を聴いてみましょう。
ビートルズがスタジオを使いこなして作曲していた様子が手にとるようによく分かるはずです。
何台ものピアノの他にもこの曲には珍しい楽器が使われています。
例えばこれ。
19世紀に作られた足踏み式のリード・オルガンハーモニウムです。
小さな教会などで見られる楽器ですがポールはこれを使って長く響く趣のある音を加えました。
ポールとジョンはほとんど忘れ去られた時代遅れの楽器の音をいくつも集めました。
それは「サージェント・ペパー」プロジェクトの特徴の一つにもなっています。
「ペニー・レイン」では一般的な木管楽器や金管楽器の他にピッコロ・トランペットを前面に出しています。
バロック音楽を演奏する時に使われる楽器です。
「ペニー・レイン」のレコーディング期間中ポールはテレビでバッハの「ブランデンブルク協奏曲第2番」の演奏を見ました。
そしてバロック音楽の音色が出るこのトランペットを採用したのです。
現代的な伴奏にバロック様式のメロディーが重なってハイブリッドつまり異質な要素が組み合わさった新しい音楽が誕生しました。
1967年1月ジョンはケント州セブノークスの骨とう品店に立ち寄り1枚のポスターを見つけます。
1843年に開かれたサーカスのポスターでした。
「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」の歌詞は全てそのポスターからとったのです。
・「ForthebenefitofMr.Kite」今はデジタル技術を使って別々に録音した音を自由に組み合わせ何回もダビングして好きな音を作る事ができます。
しかし当時彼らが使っていたレコーダーは録音できるトラックが4つしかありませんでした。
そのためレコーディングの際にトラックが足りなくなる事を防ぐためにすでに録音したいくつかのトラックを1つにまとめ録音可能なトラックを残しました。
例えば「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」ではトラック1にはポールのベース。
トラック2はジョンのガイドボーカル。
トラック3はリンゴ・スターのドラム。
トラック4はジョージ・マーティンのハーモニウム。
ガイドボーカルを除きあとの3つのトラックは別のレコーダーのトラックの一つにミックスして録音する事でトラックの空きを増やしました。
みんなで一度に演奏すればいいのにと思う人もいるでしょう。
しかしこの曲には生演奏では作り出せない音があったのです。
例えば「馬のヘンリーはワルツを踊る」の一節です。
賢い馬が見せる見事な曲芸を音楽で表現するには昔ながらのサーカスの雰囲気を作る必要がありました。
ジョンはジョージ・マーティンに「おがくずのにおいのする音が欲しい」とリクエストします。
そこで選ばれたのがフェアグランド・オルガン。
しかしこの楽器は鍵盤をたたいて演奏するのではなくパンチカードを使って自動演奏するものでした。
ジョージ・マーティンはフェアグランド・オルガンの演奏を録音したテープをかき集めそれぞれを1秒ほどの長さにカットしました。
それをばらばらにしてからつなぎ合わせまるでパッチワークキルトのように無作為に音を並べたのです。
その結果こうなりました。
これは録音された音を再構成して新たな楽曲を作るサウンド・サンプリングの先駆けともいえるでしょう。
とても効果的な技法です。
馬のワルツはシュール非現実的でありながら遊び心があり映像が目に浮かぶようなサウンドに仕上がりました。
「サージェント・ペパー」の中で最も有名な曲の一つ「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」。
ジョンは幼い息子ジュリアンが描いた友達の女の子の絵に触発されて歌を作りました。
しかしこの曲にはもう一人少女が紛れ込んでいます。
「不思議の国のアリス」です。
1865年に出版された児童文学の名作は1世紀を経て再び脚光を浴びる事になります。
「不思議の国のアリス」はジョンとポールの愛読書でした。
「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」はタイトルの頭文字が「LSD」になりますが幻覚剤をテーマにした歌ではありません。
「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と同じように子供の視点から見える世界を捉えているのです。
歌詞だけではなくメロディーも。
それは子供用のオルゴールのような音で演奏されるイントロで半音階が下降するコード進行に表れています。
これがこの歌のムードを作っています。
そしてこのムードを維持し絶えず盛り上げるためにこれまでのポップミュージックにはなかったコード進行によってある種の不安感を醸し出します。
1つのコードから別のコードへ移り…。
元へ戻ります。
旋律とハーモニーが途中で巧みに変わっていきます。
聴衆を飽きさせないための重要なテクニック転調です。
転調は18世紀以来クラシック音楽の基本でしたがビートルズ以前はポップミュージックなどにはあまり使われませんでした。
リフレインの前に配置された序奏部分は不安定さを感じます。
これはポールのベースラインがAのキーから外れてこのキーに本来属さない音へ移行する事で起きています。
この異質な音が入らないと最初のフレーズはこうなります。
・「Pictureyourselfinaboatonariver」・「withtangerinetreesandmarmaladeskies」ポールの不安定さを感じさせるベース音だとこうです。
このベースラインの進行はシンプルで安定したものではなく全く関係のないキーへと進み複雑なコード進行をします。
ベースラインは決まったコードに落ち着きません。
本来ならば進むはずの方向に進まないのです。
Aは漂流し始めます。
まずはFシャープマイナーへ。
次にDマイナー。
そして本来のAとは全く無縁の新しい和音の基調Bフラットへ。
・「Cellophaneflowersofyellowandgreen」しかしBフラットにも長くとどまりません。
すぐに次の巧みな転調があります。
BフラットからCを経てDへ移りそしてコーラスの基調のGになります。
こうした転調の技法は「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と「ペニー・レイン」を加えた15曲のうち実に12曲で用いられています。
気付かないうちに素早くキーが変わっているのです。
「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」に私たちが奇妙さを感じるもう一つの理由はジョンの声が加工されているからです。
故意にテープの回転を遅くして録音しているので通常のスピードで再生するともっと高い明るい声に聞こえます。
・「withtangerinetreesandmarmaladeskies」録音テープのスピードを変える手法は後に「バリスピード」という名が付きます。
大抵の場合これを行うと音程だけでなく音質も変わり成熟した声が消える事もあります。
大人の声がリスの鳴き声のようです。
1960年代といえば思い出すのはツイッギーフラワーチルドレンフェイス・ペイントタイダイ染めのTシャツを着たヒッピー。
しかしこのような時代の変化を楽しんだのは一部の人たちだけでした。
ロンドンの中心街を除くと人々の生活は第二次世界大戦後の苦しい時代からさほど変わっていませんでした。
1950年代後半から60年代初めにかけて作家や映画監督たちは労働者階級の生活を描きその厳しい現実を訴えました。
「シーズ・リーヴィング・ホーム」はその音楽版なのです。
ポールはレコーディング中に読んだ新聞記事からインスピレーションを受けてこの曲を作りました。
17歳の若い女性が都会での冒険を求めて家出し厳格な両親を落胆させたという記事でした。
世代間の対立を表現するために「シーズ・リーヴィング・ホーム」にはそれまでのポップソングではあまり見られない手法が取り入れられました。
複数の人物の視点が盛り込まれたのです。
まず物語を語るのは中立的な第三者の視点。
そして歌の後半には主人公の娘の視点も。
珍しいのはサビの部分。
娘の家出にショックを受けた両親の気持ちも歌われています。
両親と娘の間の溝を表現するため複数の人物の考えが同時に歌われます。
「ポリフォニー」という技法でそれぞれのパートが独立した旋律やリズムを持っています。
ポリフォニーは数百年以上前からクラシック音楽で使われてきた技法です。
しかし「シーズ・リーヴィング・ホーム」には更に古い手法が用いられています。
メロディーが教会旋法で作られているのです。
この曲が物悲しく聞こえるのはそのせいです。
「旋法」とは西洋音楽で長調や短調が主流となるよりはるか昔に用いられていた音階です。
その一つがこれ。
他にもこれや…。
これも。
アフリカ系アメリカ人のブルースや多くの伝統音楽は旋法に基づいています。
イギリス民謡の「トゥルー・ラヴァーズ・フェアウェル」も。
メロディーの抑揚が遠い昔の素朴な歌を思い出させ哀愁を感じます。
「シーズ・リーヴィング・ホーム」の旋律はそうした旋法の一つ。
民族音楽の音階で書かれています。
ポールは意図的に旋法に基づいて曲を作ったわけではありません。
直感でした。
この旋法は彼が聴いて育ったアングロサクソンやケルトの民族音楽に深く根づいていました。
「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」などの楽曲と同様「シーズ・リーヴィング・ホーム」の民謡調の調べは時間を遡り聴く人に喪失感を感じさせます。
舞台は突如インドへ飛んでいきます。
伝統楽器のシタールやディルルバタンプーラスワルマンダルタブラの調べが聞こえてきます。
ジョージ・ハリスンはインド音楽の基本的な原理を学びそれを「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」に積極的に取り入れました。
これは現代の物質主義を見つめ直す歌です。
「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」の斬新さを理解するためにインド音楽の基本的な構成要素と西洋音楽の違いを見てみましょう。
例えばリズムです。
インド音楽ではリズムパターンとその展開が西洋音楽に比べてはるかに重要な役割を担っています。
西洋音楽では普通一つの曲の間同じリズムを刻みますがインド音楽ではリズムが次々と変わっていきます。
もう一つのポイントはボーカルライン。
この曲が東洋と西洋2つの文化の音楽の融合を目指して作られた事がよく分かります。
「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」でジョージはインド音階から音符を選びましたがその旋律の使い方は比較的装飾音が少なく西洋の曲作りの方法に近いものとなっています。
例えばこの曲をインドの古典派風に歌うとこうなります。
・「Weweretalking」ジョージはインドのミュージシャンに彼らのインド式のテクニックと自分の半分東洋半分西洋のメロディーを合体させるよう指示しました。
「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」はインド音楽と西洋音楽の要素が組み合わされています。
そもそも「サージェント・ペパー」はハイブリッドなアルバムといえます。
特に最後の曲はそれを如実に示しています。
「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」です。
アルバムは「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」で感動的で芸術的なクライマックスを迎えます。
なぜ多くの人々が「サージェント・ペパー」を絶賛しているのか。
その答えはアルバムのコンセプトが凝縮されているこの歌を聴けば納得できるでしょう。
この曲の発想はある日の新聞から生まれました。
ビートルズと親交のあった社交界の名士が自動車事故で死亡した記事。
同じ紙面に「道路に4,000個もの穴が見つかった」という記事が載っていました。
こうしたニュースの断片から名曲を紡ぎ出すアーティストはビートルズをおいて他にはいないでしょう。
歌の始まりはいかにもシンプルに聞こえて実は違います。
リンゴがトムトムで奏でるシンプルとは程遠い不規則なリズムは緊張感を生み出します。
リンゴの演奏は当時のロックやポップスのドラム奏者が演奏するパターンとは違っていました。
彼がたたくトムトムは従来のリズムをとる役割とは違いクラシック音楽のパーカッションのようにリズムを強調する役割を果たしているのです。
この今までにないリズムのスタイルは足元がぐらつくような感覚を聴衆に与えます。
「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」はもともと2つの全く異なる歌でした。
ジョンはメロディーの一部を用意してスタジオに入りそのメロディーにポールが全く別の曲を挿入しました。
ピアノとベースがせかすようにリズムを刻むポールの中間部が淡々としたジョンの導入部を見事に引き立てます。
これを一つの曲としてつなげるために彼らが思いついたのはポップミュージックでは前例のない驚くべき方法でした。
ポールとジョンは新しい音楽に対して旺盛な好奇心を持っていました。
特にポールはケージやシュトックハウゼンなどの前衛的な作曲家が編み出す実験的な手法に強い関心を抱いていました。
中でも先鋭的だったのがアレアトリック・コンポジション。
「偶然の創作」を意味します。
「アレア」はラテン語で「サイコロ」という意味です。
ポールとジョージ・マーティンはアレアトリック偶然性の方法で生み出されたこの曲のために40人のオーケストラを編成します。
オーケストラの各パートにまずその楽器の最低音を弾いてもらいます。
そして自由に音程を上げていき最後にEメジャーコードミソシの音に行き着くようにします。
そしてこの3音のうちどれかがその楽器で出せる最高音になるよう指示しました。
「サージェント・ペパー」には予想どおりのものは何一つとしてありません。
この曲の最後の大きな和音にしてもそう。
これを実際に弾くと…。
普通ダンパー・ペダルを使っても聴き取れる範囲で音が続くのはせいぜい40秒ほど。
次第に音は弱くなり最後には消えます。
「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の最後の和音は43秒間続きますが奇妙な事になかなか弱くなっていきません。
時間とともに音が消え去らず響き続けているのです。
この和音はどうやって作られたのでしょう。
オリジナル・トラックを聴いてみると和音を弾いているのは1つの楽器ではなく9つです。
まず少しずつ音色の違う7台のピアノ。
1台はポールとリンゴの連弾です。
更に電子オルガンとハーモニウムも加わっています。
・ワントゥースリー。
7台のピアノの和音は別々に録音されました。
音が弱くなってくると消える前にミキサー卓のフェーダーを僅かに上げ音量を保ちます。
こうする事で和音全体の効果が持続するのです。
ジョンとポールの少年時代の思い出に始まる「サージェント・ペパー」プロジェクトは人間味あふれる試行錯誤の積み重ねでした。
「サージェント・ペパー」以降音楽界は永遠に変わったといわれています。
このアルバムはそれまでの固定観念を覆したのです。
これほど大きな影響力を及ぼした芸術作品は歴史上まれです。
さまざまなジャンルを自由にミックスする今の音楽のスタイルはこの時から始まりました。
「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・アス・オール」。
私たちみんなのために。
・オーケーエイトビート。
・ワントゥースリーフォー。
2018/03/29(木) 02:30〜03:20
NHK総合1・神戸
サージェント・ペパー〜ビートルズの音楽革命〜[二][字]

50年前に発表された「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」。ロック史に残る名作の収録秘話を、未発表の音声テープとともに解き明かす。

詳細情報
番組内容
レノンやマッカートニーらが5か月にわたるスタジオ収録で試みた、多彩で奇想天外な音楽的実験。イギリスの作曲家・評論家のハワード・グッドールが楽器を実演しながら徹底解剖。ジャズやクラシック、外国音楽がロックに融合していくさまは、まさに“聞いてビックリ!” 本家本元による制作で、ファンも素人も必見です。
制作
〜イギリス 2017年 Apple Corps制作〜

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ニュース/報道 – 海外・国際

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
外国語
サンプリングレート : 48kHz

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