女性はすっかり食欲をなくしていた。男性はファミリーレストランなどに3回、連れて行って話を聞いたりしたが、女性はほとんど食べなかった。
いろいろと相談した結果、結局はその2年前、女性がダブルワークしていたころの収入で要件を満たせる、という管理側の判断になった。男性はほかのスタッフと一緒に女性の家に行ったり、親身になって相談に乗ったりした。どんな書類があれば可能なのかを確認するなど、補助を受けながら住み続けるための手続きには時間がかかった。
その間、徐々に打ち解け、プライベートの話をするようにもなった。女性は男性に、楽しかった家族旅行の話などをするようになった。同い年であるこの男性の車に乗っているときに浜田省吾の歌がかかり、「私もこの曲、聞いてた」と同世代ならではの会話で盛り上がった。ラーメンが好き、ミュージカルや映画が好きだということなど、何でも話をした。
2017年3月末、家賃補助がもらえないまま住宅提供が打ち切りになった。女性には、月6万3000円の家賃がかかるようになった。今後は元気だったころの自分の貯金を取り崩しながら2人分の大学授業料と家賃、生活費を支払っていかなくてはならない。
そんなとき、ちょうど実母の一周忌の直後に突然、最後の心の支えだった実父が脳梗塞で倒れた。85歳だった。2日間徹夜して入院手続きをしたところ、女性の精神状態が悪化した。へとへとの体で横になっても眠れない。やっと眠っても、大量の寝汗ですぐ目が覚めてしまう。薬が合わない。自分でも自分が壊れていくのを感じる。女性自身も入院となった。
「入院費がかさむと、大学に通う子どもたちを退学させなければならなくなる」
自分の治療費の負担を恐れ、女性は何度も周囲に不安をもらした。
入院治療を拒否して退院。一時的に、神奈川県の集合住宅の一室で過ごした。女性は生きていく自信をなくし、相談に乗ってくれていた支援団体の男性に打ち明けた。
「ここにいるとお金がかかる。子どもたちに大学をやめてもらわなければならなくなる」
「少しずつよくなればいいから」と男性は励ましたが、彼女は次第に「死」を口にするようになっていった。
「私が死んでも、子どもたちにお金が渡るようにお願いします」
ためてきた学費のことを話していた。男性は精一杯の気持ちを込めて言った。
「とにかく、生きて行こうね」
同世代の女性の友人が心配して女性のところに宿泊した。友人は一緒に買い物に行くなどサポートし、「外に出られるほど回復した」と、この女性が感じるまでになった。
買い物の際、女性は、身を寄せている集合住宅は外に洗濯物を干せないからと、洗濯物を干すためのロープを買った。
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2017年5月のある日。女性は男性らに会う約束をしていた。女性の不安をやわらげ、福島県の家賃補助をどうやったら受けられるか話をするはずだった。
暖かい日だった。女性は身を寄せていた集合住宅から500メートルほど離れた公園で、木に洗濯用ロープを張り、首をかけ、体重を預けた。使ったのは最後に買ったあのロープだった。
女性と会う約束をしていた男性は、「女性が救急搬送された」との連絡を受け、病院に駆けつけた。女性が自殺を図った公園は、緑豊かで散歩する人が多いところで、ジョギング中の男性が発見した。「窒息状態になってから分で蘇生措置がほどこされ、一命は取り留めた」と聞いた。
彼女との思い出がよぎる。同じ時代を生きてきた人だと親しみを感じていて、なんとか助けたかった。
男性が病院に着いたときには昼になっていた。ベッドには、いくつもの管につながれた小柄な体が横たわっていた。体は、ガリガリだった。最近も食事をほとんど摂っていなかったのだろう、と男性は思った。
駆けつけた女性の家族や男性の前で、医師が告げた。
「脳死状態です」
女性の娘が、悲痛な声を上げて泣いた。
福島県や神奈川県が住宅提供を打ち切られた避難者を避難者数から外しており、避難者数は住宅提供打ち切りの4ヵ月で3万人減った。
避難者らの自殺は避難の現状を示す数字として厚労省で発表しているが、彼女の死は、それにすら数えられていない。取材の中の指摘で、今後加えると回答があっただけだ。
統計がくずれ、本当の苦しみは見えなくなっていく。