「でもよ、本当に俺の頭の中にある情報だけで、謎が解けるのか?」
「解けます。神様は嘘つきですが、閻魔は嘘をつきません」
株式会社講談社『閻魔堂沙羅の推理奇譚』P306(第4話)
久々にこの手の小説を買ったのは、いつもお世話になっている木本仮名太さんがブログで紹介されていたから。良い作品と出会えました。ありがとうございます!
以下、ネタバレなしの感想を簡単に。
タイトル通り推理小説に分類される作品で、主役は閻魔大王の娘・沙羅。しかし、彼女が全く謎解きや推理にタッチしないのが、最大の特徴である。
オムニバス形式で完成された1巻には、4人の「語り手」が登場する。女子高生、サラリーマン、老婆、フリーターの男。それぞれの人生を送っていたが、ある時、彼らに死が訪れる。しかも、(例外はあるものの)、何者かに殺されて死んでしまうのだ。
死んだあと、閻魔大王の娘・沙羅との面会場(?)で意識が戻る。生前の行いをポイント制で管理し、死者を天国と地獄に振り分ける。その業務にあたる閻魔大王が何らかの理由で欠勤のため、娘が代理で業務にあたっているという。
しかし殺された方はたまったもんじゃない。「なぜ殺されたのか」「誰に殺されたのか」「まだ死にたくない」。色々あって、沙羅はその願いを一部承諾し、死者にゲームを提案するのであった。犯人を当てられたら復活、外せば問答無用で地獄行き判定、制限時間は10分間。「生き返り推理ゲーム」だ。
本作が面白いのは、その推理が全て自問自答形式(殺された人間の独白)で行われるという部分。
つまり、探偵でも何か能力がある訳でもない一般人、それも殺された被害者が、加害者とその動機を推理する。『ダンガンロンパ』のように死の状況がデータ化されて提供されることもなく、完全なるノーヒント。
沙羅は度々、「今頭の中にある状況だけで犯人に辿り着けるはず」と宣言する。全てを見通す閻魔の娘が言うのだから、それは可能なのだ。
しかし実は、「今頭の中にある状況だけで犯人に辿り着ける」という沙羅の言葉(=生き返り推理ゲームの原則)こそが、当人にとって最大のヒントとなっている。この構図がポイントなのだ。
「知っていること」「見て聞いた物事」「分かっていること」。それらをひとつひとつ並べて組み合わせれば、犯人に辿り着ける。殺された当人たちも色々と考えを巡らせるが、例えば、通り魔など全く面識のない人間の犯行を考えるだけ時間の無駄となる。それは、「今頭の中にある状況だけで犯人に辿り着ける」という原則から逸脱するからだ。
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各編の構成は、①日常生活→②死→③推理→④エピローグ、というふうに構成されているが、①の時点で全てのピースが読者に開示される。
なので、読者も殺された当人と全く同じ情報量で、推理に挑むこととなる。複数の犯人候補とそこにある動機を、読んでいる我々も作中の被害者と一緒に検証することができるのだ。
「この可能性は?」→「これは違う」。「こういう可能性は?」→「ここは想像の域を出ないのでゲームのルール的に考えても仕方ない」。そういうロジカルな検証をひとつひとつ丁寧にやっていく。
よって、難易度という意味では比較的易しいと思われる。殺された作中人物には、推理小説をよく読む人もいれば、偏差値が低い体力バカもいるからだ。その全員が自問自答で真相に辿り着ける、という、難易度設定である。
狂言回しにあたる沙羅のファッション描写、キャラクター描写は非常に丁寧で、何度も登場シーンが描かれるからこそ、その造形が見えてくる。
表紙の絵のとおり可愛くて、しかし閻魔の娘だけあってサディスティック。ロリ寄りな外見と高圧的な妖艶さのアンバランス。アニメ化したらぐっと人気が出そうな感じはある。
昔『人間交差点』という漫画があったが、あれに近い印象もあり、様々な人間の人生を追体験できるのも楽しい。震災や、昭和の男尊女卑な価値観、仕事ができない悩みに、不良の心理。オムニバス形式を最大限に生かして、色んな人生を描写してくれる。
続刊(2巻)が5月に発売決定しているらしいので、気になる方はぜひ手を出してみてください。短編集ということもあり、さくっと読めて、楽しいです。