辻仁成「沸騰と湯切りのあいだ」
(麺とソースをかき混ぜながら)「やっと和えたね」。
ウディ・アレン「ソバー・ホール」
映画館にいる二人の男女。長い列に並びながら、映画の上映が始まるのを待っている。女の方は仏頂面で、男は神経質そうに苛々としている。
男 いったいいつになったら列は動くんだ。こんなの耐えられない。
女 ちょっとは我慢したら?もうすぐじゃない。
男 いいや、きっと僕がユダヤ人だからこんなに待たされるんだ。
女 そんなことないわよ。
男 このホールの支配人は社会主義者なんじゃないか?長い列に郷愁を持っているんだよ。それか待たせることに興奮を覚える性的倒錯者かもしれない。
女 やめて。あなたはいつも神経質だわ。「湯切り問題」のときだって......。
男 ちょっと待つんだ。公衆の前で話すことじゃないだろう。
女 いいえ。あなたは湯切りの時間を間違っただけであんなに騒いで......。
男 当然じゃないか。だって、パッケージには「3分」って書いてあるんだ。テクストに書いてあることが絶対だって、きみも文学理論の授業で習っただろう。
女 都合のいいときだけそんなこと言って。あなた、ロラン・バルトの愛読者じゃない。かやくを入れる、お湯をかける、湯切りする、ソースを混ぜる、確かにそう書かれているけど、それが絶対じゃないでしょ。
男 (急に読者に向かって)彼女は3分になる前に湯切りしたんだ。あなたはどう思います?
女 いつ湯切りしようと勝手だわ。
男 いいや。開発者は一番美味しくなるよう時間を測っているんだよ。
女 そんなの好みによるじゃない。
男 わかった。じゃあ、そこにマーシャル・マクルーハンがいるから、彼の意見を聞いてみよう。
マクルーハン 私はどっちでもいいと思う。
女 ほら、こう言っているじゃない。
男 これじゃ埒が明かない!