退職金2000万円を8年で40億円に!〜今亀庵さんインタビュー【前編】

  • リアル投資家列伝・ 勝負どころを見抜く投資との付き合い方 / 今亀庵

今亀庵さんは今、もっとも大きな夢を見せてくれる個人投資家かもしれません。退職金の3分の2を投資に回し、リタイア後に築いた資産は40億円……! しかし、その決断は一歩間違えれば「家族がバラバラ」になる危ういものでもありました。今亀庵さんがなぜ、一歩を踏み出せたのか。踏み込んで聞いたところ、出てきたのはメンコとビー玉です。

「おれの一生、年金で終わってしまうのかな……」

「60歳で会社を定年となり3000万円の退職金が出ました。その時に思ったんです、『おれの一生はこの3000万円と年金で終わっちゃうのかな……』と。それは嫌でしたし、折しもリーマン・ショックの直後でしたから、上手いことやれれば稼げるんじゃないか、と。生活費として1000万円を残し、2000万円を投資につぎ込みました」

そう振り返るのは、会社を定年退職、退職金の運用で大成功を収めている今亀庵さんだ。リタイア後の生活費を考えれば、退職金の3分の2を一気に投資へ回すのはリスク過大のようにも感じる。よほどの貯金でもあれば話は別だが。

「大胆な決断だろうと思います。当時、退職金以外の資金は数百万円程度。うちの家内は使うのが好きなので、ほとんど残っていませんでした(笑)。もし失敗すれば、家族がバラバラになってしまうかもしれない。それくらいの覚悟での決断でした。家内への相談? していません。相談すれば止めろと言われるでしょうから」

リーマン・ショックで暴落していた不動産投信

今亀庵さんが資金を投下したのはJ-REIT(ジェイリート、不動産投資信託)だった。

「会社四季報を買って、どの株を買おうかとページをめくっていきました。約3500社の銘柄をひと通り見終わって、巻末を眺めているとリートが紹介されていた。びっくりしました、利回りが30%、40%を超えていたんですから。普通ならば高くても5%か6%程度です。一体、J-REITに何が起きているんだろう、と」

今亀庵さんが定年退職したのは2008年。リーマン・ブラザーズが経営破綻し、「100年に一度の危機」と評されたリーマン・ショックが発生した直後だった。

「ショックの余波は日本にも及び、民事再生法の適用を申請するJ-REIT銘柄が発生しました。J-REIT銘柄で初の経営破たんです。それが嫌気され、J-REIT市場全体が売られてしまっていたんです。ただ、破たんした理由は資金繰りの悪化です。リート自体はミドルリスク・ミドルリターンの金融商品。定期的に賃料収入も入ってくるし、ビジネスモデル自体はそこまで大きなリスクがあるわけではない。2000万円を投じて年40%、つまり800万円の分配金がもらえるなら生活できるだろう、と」

暴落でバーゲンセール状態だったJ-REITに目をつけた今亀庵さん。しかし、「落ちるナイフをつかむな」との相場格言もある。暴落はナイフのようなものだから、安易につかむと二段下げ、三段下げとなり自らを傷つけることもある。

「しかし、J-REIT市場はリバウンドしてくれ、1年経つと7倍ほどになりました。2000万円が1億5000万円くらいになったんですよね。これで一息つけたな、と」

ここまでを読めば今亀案さんが行なったのはただのギャンブル、あるいは素人のラッキーパンチが当たっただけだと感じるかもしれない。でも、リーマン・ショックに至るまでの約50年間の話を聞けば、その印象は180度変わるはずだ。

ビー玉やメンコが強すぎて遊び相手がいなくなる

「子どものころに熱中していたのは、ビー玉やメンコでした。私の住む地域では、何十枚もまとめて箱の上に載せ、うまく2枚を重ねれば総取りできるルールでした。ローカルなルールだと思います。ビー玉も同じで、地面に書いた四角の中にビー玉を置き、勝者が総取りできるルールだったんです」

今亀庵さんが育った鹿児島でのローカルルールだそう。

「どうしたらたくさん集められるか、ノウハウがあるんですね。それを研究するうちに近所中のビー玉とメンコを集めてしまった。とうとう一緒に遊ぶ相手がいなくなり、卒業しました。最後は持っているビー玉とメンコを全部、公園にバラまいてね(笑)」

ゲーム好きで、しかも研究熱心な子どもだった今亀庵さん。その才能は麻雀やブラックジャック、そして株式投資へと向かっていく。

アメリカで出合った株式投資

「両親の仕事の都合もあり、16歳でアメリカへ渡り、高校、大学は向こうで過ごしました。ラスベガスでブラックジャックに興じたり、競馬をしたり、仲間と麻雀を打った時期もありました。ただ、仲間内で奪い合いをするのは嫌でしたし、他に何かないだろうかと思っていたとき、目についたのが新聞の株価欄だったんです」

新聞の中面に上場企業の株価が載っているのは日本の新聞もアメリカの新聞も同じ。

「株価欄を見ながら『昨日はこの株を買っておけば儲かったのか』と思うと興味が湧いてきて、大学図書館で投資関連の本を読み漁りました。100冊近く読んだのではないでしょうか。もう50年前の話ですが」

50年にわたる株との長い付き合いの始まりはアメリカ株だった。

「アルバイトで貯めたお金が元手です。大して儲かったわけではありません。就職し、日本に帰ると日本株へ投資しましたが、稼ぎといってもお小遣い程度。乏しい給料はすべて家内に渡して、小遣いはゼロ。株で稼がないと飲みにもいけませんでしたから、そういう意味では必死でしたけれど(笑)」

勝ったり負けたりを繰り返し、利益が残っても飲み代に消えていく――それでも株式市場と対峙し続けたことが、勝負どころの見極めにつながった。

2つの幸運が重なった「人生最後のチャンス」

「リーマン・ショック直後のJ-REIT市場は明らかに異常でした。一生に一度あるかどうかの異常値です。その時、たまたま私の手元にまとまった現金があった。異常値と資金、2つの条件がたまたまそろったという意味ではラッキーでした」

今亀庵さんがまったくの初心者だったら、異常値を異常値と見抜けなかった。異常値と見抜いても退職金がなければ、お小遣い程度の稼ぎで終わっていた。

「もし私がまったくの初心者だったら決断できなかったでしょう。大学生時代からの50年近い積み重ねがあったからできた決断です。『こんなチャンスはもうない、人生最後のチャンスだ』という気持ちでしたから」

第1回 自分への取材が人生を変える

はじめまして。はあちゅうといいます。最初に簡単な自己紹介をさせてください。私はブロガー・作家として自分の考えを発信することを仕事にしています。2歳のころから作家になるのが夢で、「いつか本を出したい」と願いながら幼少期、学生時代をすごしてきました。高校時代は小説を書いて文学賞に応募するなど、書いたものを本にする方法を自分なりに探りましたが、そう簡単に夢はかないません。同世代の文学賞受賞者を横目で見ながら「あんな風になりたいけど、きっとなれない人生なんだろうな」と思いながら毎日をすごしていました。

風向きが変わったのは大学入学後。遠くに住む友達への近況報告のつもりで始めた気楽なブログがたまたま人気ブログになったのです。その後、ブログを通して知り合った友人と期間限定で公開交換日記形式で書いた「クリスマスまでに彼氏を作る」というブログの書籍化が決まり、「本を出す」という夢がかないました。

それ以降、1年に1冊以上の書籍を出版しながら文章で生計を立てており、小さいころに夢見ていた「作家」に近い暮らしをしています。「本を出す」以外にも「世界一周する」「海の見える家に暮らす」「定期的に国内外を旅する」「小説を出版する」など小さいころに願っていた夢の多くが今、実現しています。

引っ込み思案で、クラスの男子と話すだけでも何度も頭の中でのシミュレーションが必要だった私が、自分の意見を発信する仕事に就いて、ちゃんと小さいころの夢をかなえながら生きていることが、なんだか夢のように思えることもあります。でも、すべて現実なので私がここにたどりつくにはなにか理由があったはずです。この連載ではその理由について考えてみたいと思います。

夢をかなえている人とそうでない人の違い

夢をかなえている人と、そうでない人はいったい何が違うのでしょうか? 私はこの仕事についてからときどきテレビに出演することがあり、共演者は、アナウンサー、俳優、アイドル、お笑い芸人、スポーツ選手など自分の夢を着実に実現している人たちです。番組内では、みなさん、自分の経験に基づいた言葉を持っていて、話がおもしろくて、コミュニケーション力にすぐれています。つねにいろんなことを考えていて、会話に流れがあり、喋っていて楽しい。

もともと喋る能力が高い人もいるだろうけれど、その人の意見そのものがおもしろいことがほとんどです。テレビでは、ありきたりのことを言ってもおもしろくなりません。その人にしか言えない、自分なりのコメントを言うことでおもしろくなります(そしてそれは雑誌や書籍でも同じです)。

なぜそんなことができるのか。有名人を間近で観察し続けた結果、彼らは自分のことをよく知っているからではないかという結論にたどりつきました。
有名人は、番組内や取材などで、自分自身について聞かれることがとても多いです。私も取材を受ける機会は多いのですが、取材って、ふだん考えたことのないようなことにも、その場で答えなくてはいけません。

「最近、おもしろかったことは?」「明日死ぬとしたら、最後に食べたいものは?」「20代の若者にメッセージをお願いします」「最近の日本にどんなことを感じていますか?」「一番好きな調味料はなんですか?」「1億円あったらどう使いますか?」

ときには返答に困る質問もあるし、これまでの人生の中で一度も考えなかったことを突然聞かれることもあります。けれど取材の場で「一晩考えさせてください」とは言えません。その瞬間に答えを出さなくてはいけないから、無理にでも今までの自分の人生で得た知識や考えを総動員して答えることになります。

就活を経験したことのある人なら、エントリーシートで苦労した人も多いのではないでしょうか。「人生の一番の失敗は?」「一番がんばったことは?」「一番つらかったことは?」……それがたとえ自分の人生に関する質問でも、答えを練り上げるのは苦しかったと思います。物事を深く考え、分析して結論づけるというのは脳みそを酷使することですから、苦しくて当然です。

でも有名人の毎日は、こんな質問に毎日答えることでもあります。考えたことのないこと、知らないこと、わからないこと、意見がないことに対しても、その場で何かしらの答えを用意しないといけない。それは自分の内面に問いかけるということです。この繰り返しが、結果的に自分のことを深く知ることにつながっているのだと思います。

夢をかなえている人たちは、例えるなら「自分への取材」がきっちりとできているのです。自分に取材ができている人は、自分を客観的に把握できているからこそ、他人に自分の言葉で語ることができるのです。つまり、夢をかなえている人とそうでない人の違いは「自分への取材量」の差ではないかと思います。

取材をされる機会がなければ、自分で自分を取材すればいい

そうはいっても、通常は取材してもらえる機会なんてそうそうありませんよね。それならどうすればいいかというと、「自分で自分に取材する」ことを習慣にすればいいのです。作家やブロガーなど、文章を書くことを仕事にしている人は、自分で問いを立てて、意見を深めていく訓練をいつもしています。これは言ってみれば、つねに自分に取材をしているのと同じことです。日記や手帳を書く習慣がある人も、この「自分で自分に取材」が自然とできています。要するに、流されがちな日常の中で、他人だけではなく自分とも会話する時間を持て、ということです。自分の人生で一番付き合う人は他でもない自分ですから。

自分で自分に取材をし続ければ、人は精神的に成長するだけではなく、幸せになることができます。自分にとっての幸せが何かを知っていれば、他人の考えにおどらされずに、自分の頭で考えて、自分で行動することができるからです。「幸せになりたい」と思いながら、自分の幸せの基準がわからない人が、現代人にはとても多いように思います。どれくらい稼いで、どんな人が周りにいて、どんな生活を送ることが自分にとっての幸せなのか。幸せの基準さえしっかり持てば、むやみやたらに人を羨んで苦しくもならないし、誰かの足を引っ張る時間がいかに馬鹿らしいかわかって、自分の幸せを満喫することのほうに忙しくなるでしょう。

私はこの連載を通して、自分自身が習慣にしている「自分への取材」と「取材回答をつくるためのネタのストック法」「自分に取材した結果をもとに人生を変えていく方法」などを惜しみなくご紹介すると同時に、「自分への取材」の大切さをひとりでも多くの方に伝えていきたいと思っています。

さて、次回は、自分への取材の基本となる「日記」についてお伝えしていきます。

<今回のまとめ>
●夢をかなえられる人は、自分への取材をきっちりしている人
●日記や手帳を書く習慣がある人は、自分で自分に取材をできている人
●自分で自分に取材をし続ければ、自分にとっての幸せの基準もわかってくる