こんな記事を読んで思ったのが、世の中どんどん世知辛くなってるよなぁというお話。かくいう俺も1日に1箱弱くらいのペースで吸ったり吸わなかったりする喫煙者だから、肩身の狭い思いをしている。
ここ20年で喫煙に対する世間の風向きは大きく変わった。俺が子どもの頃は地下鉄のホームにも灰皿が置いてあったし、バスや電車の中はもちろん飛行機の中でさえ吸えた時代だ。今となってはトチ狂ってると思うが、そういう時代もあった。
とはいえ、俺が喫煙できる年齢になる頃にはそうした名残は一気に消え失せ、「体に悪い」「不良」というイメージが常に付きまとうようになっていた。副流煙、発がん性、そうしたものが周知されるにつれ、喫煙者は自殺願望者どころか他人に害を与える加害者、殺人犯の如く見なされるようになっていった。
確かに、発がん性はあるのだろう。一説によると咽喉がんや肺がんのリスクは増すものの乳がんのリスクが減るというデータもあるようだけど、そもそも男が吸う割合が多いのだから乳がん自体もそこまでサンプル集まらないだろうし実際のところどうなんだろうと思わなくもない。また、ストレス値を低下させることから精神的摩擦を軽減するといった側面もある一方で、血圧を上げたりするので実際のところどうなんだろうと思わなくもない。
煙草は百害あって一利なしと言われるが、近年では酒すらも百害あって一利なしという科学的根拠が出つつあるわけで、明確で絶対的な科学的根拠が出そろうまでは手のひらをくるくるひっくり返すのが人類なので、おそらくは悪なのだろうけどその辺の折り合いを付けるまでにもう少し時間がかかりそうだなっていうのが正直な感想だ。
先に紹介したブログで紹介されてる喫煙者の分類を見てもらえると分かるように、「非常識」「鬼畜」のみならず「バカ」「カス」などと紹介されている。これは喫煙者全体を指したグラフであって、喫煙者の中でもマナーが悪い連中をピックアップして分類しているわけではない。少なからず喫煙者全員が「非常識」もしくは「鬼畜」かつ「バカ」ないし「カス」に分類されているというわけだ。
人をバカだのカスだの声高に叫ぶ時点でお里が知れるわけだが、それでも言わんとしていることは分からんでもない。確かに、「携帯灰皿を持っている」ということがどうして悪なんだろうと不思議に思っていたが読み進めていくと「つまり灰皿のないところで吸っている」という事になるのだそうだ。なるほど、確かに灰皿のあるところ(喫煙所)でしか吸わないのであれば携帯灰皿を持ち歩く意味は薄い。どこでも吸うからこそ携帯灰皿が必要になるのだなと納得した。
俺は携帯灰皿を持っていない。厳密に言うと持ってはいるが持ち歩いてはいない。基本的に喫煙可能な飲食店やゲームセンター、パチンコ屋、灰皿のある駅や職場、家でしか吸わないからだ。なるほど、確かにこのブログの言うことは的を射ている。
ただ、それはちょっとどうなんだと思う点が2点あった。それは、「飲食店での喫煙」と「吸わない人の許可を得て喫煙」の2つだ。これに関して少しだけ俺なりの見解を述べておきたい。
まず、「飲食店での喫煙」についてだが、喫煙可能な飲食店で吸うことがダメな理由として挙げられているのが「喫煙可能な飲食店に入った私が悪いが、私に向かって煙を吹きかけてきたり隣の席で喫煙するのは許せない」ということらしい。
確かに俺は喫煙者だが、見ず知らずの人間にいきなりフーッと煙を吹きかけられたら「は?」と言う表情を向けることは間違いない。そうでなくとも、恐らく意図してはいないのだろうが煙が顔面に直接流れてくるようなことがあればあからさまに手で扇いで煙さをアピールする。
まず知っておいてもらいたいのが、喫煙者が、全員が全員副流煙大好きということはない。むしろ副流煙はマズくて臭いので全員が嫌いだと思う。
そうなのだ。喫煙者は、自分の吸っている煙草の主流煙が好きなのであって、他人の副流煙は煙たいし臭いしで大嫌いなのだ。書いていて非常に我儘だと思うが、要するに自慰は好きだが自慰を見せつけられるのは嫌いだってことなのだ。
だからこそ、他人に煙を吹きかけることの意味を知っている。わざとやっているのだとしたら喧嘩を売っていることに他ならない。いきなり背後から刺されても仕方ないねと思う。つまり、ここで紹介されているような「私に向かって煙を吹きかけてきた」というのは被害妄想だと思うのだ。もしくは非常に鈍感な喫煙者が、煙がかかっていることに気付いていなかったのかどちらかだと思う。恐らくは両方かな。
自分語りになってしまうが、俺は喫煙者だろうが非喫煙者だろうが、極力煙がかからないようにして吸う。灰皿も壁際に置くし、吐く方向もなるべく人のいない方向にするようにしている。なぜなら自分がそれをやられたら嫌だからだ。これは俺が立派だとかそういう意味ではなく、真っ当な神経をしている喫煙者ならある程度は気を使っている部分だと思う。
次に、「吸わない人の許可を得て喫煙」について。これ、意図しているシーンがいまいち分からないのだが、例えば喫煙可とも禁煙とも書いていない山頂や川岸とかのシーンを想定してのものだろうか。それであれば携帯灰皿の話に通ずる部分もあるかもしれないが、まぁその場に居る人が許可しているのなら別に良いんじゃないのと思う。
記事の中では「知人、友人が許可を求められたら「NO」なんて言えない」「怒られるんじゃないかと非喫煙者は日々戦々恐々してる」と書いてあるが、NOと言えないのならそれは知人や友人ではないのでは?と思わなくもない。
例えば、上司や同僚など仕事上の付き合いのある人と社内のレクリエーションでボウリング場に行ったとしよう。俺の良く行くラウンドワンには喫煙所が設けられているが、フロントの目の前のレーンにも灰皿が置いてあってはっきり言ってどこでも吸える(歩きタバコとかはさすがにNGだが)状態だ。そこで同じレーンに配置された同僚や上司が「煙草吸っても良い?」と聞いて来たら、確かに断りづらいかもしれない。少なくとも上司相手に「そこに喫煙所があるんでそっち行ってください」とは言えないだろう。
だが、そうした部分も含めて職場の人間関係だ。それは喫煙者だからとかではなく、上司や同僚がヤニカスでウザいの一言で済む話ではなかろうか。そうしたヤニカスと付き合うことで賃金を得ている、あるいは職場が関係ないとしても友人や知人としての関係を続けることで何らかの恩恵を得ているのだとしたら、それは喫煙者がどうこうではなくメリットデメリットを天秤にかけて付き合うのを辞めれば良い話ではなかろうか。関係を続けることで発生するメリットを享受しておきながらヤニカス死ねと宣うのは自由だが、それはその人個人に限定されるべきであって、喫煙者全体に対してヘイトを向けるのはまた別問題だと思う。
とは言え、同窓会など大多数の人間を相手にしたときに、Aさんとの付き合いは保ちたいけどヤニカスのBさんとだけは縁を切りたい・・・なんてのはなかなか難しいだろうけど。いくら喫煙者と非喫煙者でテーブルが分かれたとしても、匂いを完全に分かつことは難しいわけで、実際どうしたらいいのかなんて俺には分からないけども。このブログの筆者の言わんとしてることは理解できるが納得は出来ないって感じ。
長々と語ってきたけど、要するに非喫煙者は戦う相手を間違えてるってことよ。喫煙者に対して「死ね」「カス」「バカ」だの言われても、まーた嫌煙家がヒスってるよとしか思わない。だって喫煙を悪だと思っていないから続けてるわけで、愚痴の領域を出てないんだよな。まぁ愚痴なんだろうから俺がそれに突っかかるのも変な話なんだけどさ。
法的に禁止されていないのであればその権利を行使することになんの問題もないってのが筋じゃない?法律で禁止されてないことは何をしてもいいって言うつもりはないけど、ワキガが酷い人に死ねって言うのはちょっと酷いと思うのよ。本人だって気を使ってるかもしれないし。勿論、マナーやモラルは大事だけど、それは他人に押し付けるもんじゃない。お天道様に向かって胸を張れるように自分が心がけるもんでしょ。
非喫煙者が戦うべきは喫煙者じゃなくて国や自治体なんだよ。
法律で禁止されたら絶対的な悪として一方的にマウント取れるんだから、ネットでウダウダ物申してないで行動に移した方が良い。俺も煙草が違法になったら止めれるし、そろそろ止めないとと思ってるから、ニコチン中毒者を助けるくらいのつもりでマジで頼むよ。
最後に1つだけ。これは非喫煙者からしたら「は?死ね」っていう案件だと思うけど、喫煙所とは名ばかりの、開いている収納スペースに灰皿置いてガラス張りにしただけのような、空調もクソもなく、ヤニの臭いどころか香水や体臭すら蔓延り、人口密度バングラディシュ以上の、複数人居れば酸欠で卒倒しそうになるような、人権を剥奪された見世物小屋、もとい喫煙所をもう少しどうにかしていただけませんかね。
あそこマジで地獄以下だからな。喫煙所があるファミレスとか増えてきたけどさすがにあんな公園の公衆便所以下の環境で煙草吸う気は起きないし、むしろ喫煙本数減って良い事なんだけど、さすがにあんな喫煙所ばかりだと一体喫煙者を何だと思ってんだ?せめて人間扱いしてくれや、っていう憤りを感じずには居られない。
確かに喫煙者は迷惑な存在かもしれない。マナーが悪い輩が居るのも事実だと思う。それでも、社会のルールに違反していない以上はあまりあれこれ言わないで欲しいなと思うわけでした。