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今後のことについて

 通常記事の更新を停止してからしばらく経ち、自分の中で色々と考えがまとまったこともあるので、このブログに関する今後のことを記しておこうと思います(なお、これは、通常記事の更新を再開するという意味では全くありません)。
 まず、以前から考えていた、削除した昔の記事の電子化について。これに関しては、記事をそのまま採録する形で電子書籍化することは現状では考えていません。ただ、自分として比較的納得のいく記事を精選し、改稿を加えた上で、注意深く配列して全体として一つの作品となるように構成することによって、私がこのブログでやってきたことはなんだったのかがわかるようなものを作ることにしました。
 とりわけ、自分の中でひっかかっているのが、通常記事の最後となったカサヴェテス論でカットすることになった、カサヴェテスと「アメリカ」や「アメリカ映画」との関係性の映画史的な検討にあたる部分です。このことに関してなぜ私の中では大きな問題なのかというと、ジル・ドゥルーズの『シネマ』の中でのカサヴェテスの扱いにあまり納得がいっていないということがあります。
 ドゥルーズの『シネマ』は、映画のイメージの分類の試みであって映画史ではないと銘打たれてはいますが、最も大きな分類である「運動イメージ」と「時間イメージ」を区別するにあたっては、映画史の観点を参照しています。そして、ドゥルーズによる映画史の参照の仕方は慎重なものであり、ゆえに常識的な範疇に収まる穏当なものであるのですが……結果として、カサヴェテスの位置づけが悪い意味で保守的なものになっているように思えるのです。
 運動イメージから時間イメージへの変遷、またそれにまつわる「アメリカ」と「アメリカ映画」との相関関係が検討される結果、カサヴェテスは、運動イメージから時間イメージへの転換期にある映画作家としてもっぱらとらえられることになります。
 繰り返しますが、ドゥルーズによる映画史への参照は、常識的であるゆえに、良くも悪くも適切なものです。したがって、そのようなカサヴェテス評価を覆そうとするなら、常識的な映画史の前提を転覆することを試みなければならないことになるわけです。


 私はこのブログの通常記事の最後のものとして前述のカサヴェテス論をアップしましたが、その反応の中に、全く論理的でも理性的でもない、感情的な水準での反発から悪罵の言葉を投げかけてくるようなものが複数ありました。その中の幾人かとやり取りをしてわかったこととして、それらの人々はそもそもカサヴェテスのことをよく知っているわけでもなければ、それ以前に文章を通読しているわけでもなさそうだ、と。
 逆に、少なくとも私の認識している範囲では、カサヴェテスのことをよく知っている人から「こんな風に扱われては困る」という反応はありませんでした。また、ブログに設置されている拍手ボタンというのはこれまであまり気にしてはいなかったのですが、そのカサヴェテス論が、これまでで最も拍手をいただいた記事になっていました。あの文章が蓮實重彦の『凡庸な芸術家の肖像』の批判でもあるという点については言及されたケースがなかったようなのは残念ではあるのですが、いずれにせよ、とにかく賛否が割れた文章であること自体は確かです。そして、このような反応があること自体、今になって冷静に考えてみれば、私のやろうとしたことが成功しているならば、当然出てくるだろうと予期できたはずのことだったのです。
 ジョン・カサヴェテスの映画は、万人から認められ受け入れられた映画ではありません。例えば、最初の監督作品『アメリカの影』のオリジナル版の上映時には、最初の十五分で続々と観客が退出し、映画が終わるころには直接の関係者と身内くらいしか残っていなかったようなことすらあったと言います。あるいは、監督としての名声を築いた後の作品であるはずの『オープニング・ナイト』でさえ、実質的に商品として成立しないほど商業的にも批評的にも大惨敗となり、実質的に封印されたような状態となり、カサヴェテスの死にようやく回顧上映が実現し再評価されたなどということもありました。
 私がカサヴェテス論の冒頭あたりで文章全体の目的として述べたのは、カサヴェテスの映画から自分が受け取った感情をいかにして言語化するかということです。結果としてそこから出てきたものが、万人から受け入れられ、誰からも不満も反発もなくただただ穏やかに賞賛され、カサヴェテス作品の素晴らしさがなんとなく漠然と伝わったようなものであるーー仮にそんなことが起きていたならば、むしろそのときにこそ、カサヴェテス作品に対する決して許されることのない嘘が含まれていたはずです。もちろん、明らかに商業的であるゆえに単純におもしろいという意味で成功している『グロリア』のような作品の長所をわかりやすく述べ立てるならば、そのようなものなどいくらでもできたことでしょう。しかし、そんな万人受けする紹介文の中でのカサヴェテス像なるものは、カサヴェテスの本来の姿を歪めたものでしかないことは明らかです。
 この際はっきり言っておきますが、私は、仮にカサヴェテスと同時代に遭遇していたならば拒絶し悪罵の言葉を投げかけていたであろうような人々に向けては、そもそもあの文章を書いてはいません(……というのと同趣旨のことは、あの文章の中でもきちんと書いてはいるのですが)。すでにカサヴェテスと出会った人と、カサヴェテスと出会うことができるが出会い損ねている人とのためにのみ書いています。
 もちろん、カサヴェテスの作品上映に際してと類似する感情的反発や悪罵や無視や黙殺があったからこそ私も成功した、などと言うことはできません。しかし、仮に成功していたとするならば当然付随してくるはずのことが起きている以上、成功だと言える最低限度の必要条件は満たしているとは、少なくとも言えるわけです。
 さらに言うと、そんなことすらわからない人々には、ある文章がカサヴェテス論としてどうなのかを判定する能力などないということもまた、あまりにも明白なことではあります。
 だいたい、カサヴェテスの映画を批評するならばどのようにするべきなのかということについては、私の言っていることは、取り立てて独創的だというわけですらありません。例えば、カサヴェテスの映画がほとんどまともに評価されていなかった時点からカサヴェテス研究に先鞭をつけたレイモンド・カーニーは、その『カサヴェテスの映したアメリカ』においいて、序文の時点でわざわざ次のように宣言しています。


 カサヴェテスの作品を取り囲む、ほとんど普遍的と言ってもよい批評的沈黙と混乱が示している通り、カサヴェテスは、批評に対して特殊な問題を提起しているのであり、それ自体当然のことながらこの研究の中心の課題の一つである。カサヴェテスの映画群は、われわれの時代の映画批評やジャーナリスティックな作品評のほとんどに保証されている方法やカテゴリーの適用を故意に拒んだり、混乱させるように作られている。この序文の冒頭に引いた彼の発言が示している通り、そして、ある種の映画群についての私の議論の多くが示唆しているように、映画とは、カサヴェテスの言葉によれば、映画と人生の両方における体験についての「全く新しい(方法の)思考を打ち立てる」試みなのである。つまり、映画とは、ある種の思考と認識の限界と可能性の探求なのであり、認識の体系的把握はほとんどの批評が価値あるものと考えているが、そのある種の破壊ほどアメリカ的なものはない。彼の映画群は、体験をアレンジし秩序付ける動かぬ定型的な方法を批評し、それに抵抗するように作られている。彼のフィルムを見る者たちも、彼の登場人物たちのように、認識の新しいやり方、つまり、通常の心理的社会的あるいは批評的な粗雑な解釈と図式性を越えて動いている認識方法を学ばなければならない。彼の映画を理解しようとする観客は、その観客自身に既存の知の構造やコードから自由になるように努めなければならないが、それは、ほとんどの批評家が探求し、芸術活動の中で記述する意味の制度の中に限定されるものではない。(『カサヴェテスの映したアメリカ』、序文Ⅴ~Ⅵ、梅本洋一・訳)


つまり、彼の映画群は、生活が、現実の時間と空間と社会の束縛の中ではっきりと体験されるように、問題に囲まれ失敗ばかりの人生の人間的表現なのである。彼の映画について書こうとするどんな批評も、彼の映画がそうであるように、人間的で実践的であることを心がけねばならない。(同、序文Ⅵ)


彼の映画における人間や演技や表現は、より技術的で形式主義的などんな方法で記述された批評より、ずっと複雑で微妙なものである。純粋に映画学的用語――記号的構造的連鎖、視覚的隠喩、寓話的意味作用など――で彼の映画を記述するものは、カサヴェテスの映画が探求する体験と知覚の方法を単純化し機械化し非人間化なものにすることにしかならないかもしれない。(同、序文Ⅶ)


 ……もちろん、レイモンド・カーニーはカサヴェテス研究の権威なのだからその言うことを聞けなどというつもりは、私には全くありません。しかし、カサヴェテスのことなどろくに知らないが、カサヴェテスの批評もまた誰にでも取っつきやすく消費しやすい商品にならなければ論外であるなどとする主張と、単純に議論の内容を比較することは可能でしょう。
 もちろん、私はカーニーという人物を非常に尊敬しています。カサヴェテス論を改稿し増補する部分には、ドゥルーズとカーニーのカサヴェテス間のズレを比較する部分も盛り込むつもりです。


 感情的な反発と言えば、このブログの更新を停止することについて書いた記事に対しても、複数の感情的な反発がありました。たぶんこれに関しては、現在の日本の文芸業界の状況について苦言を呈した部分が気に入らないという人々がいたんでしょうが……しかし、あそこに関しては、実は、とりたてて私が自分のオリジナルの考えを展開しているというわけではありません。
 あのあたりで私が言っていることの大半は、中村光夫が『風俗小説論』なんかで日本の近代文学に関して厳しく批判している内容を、わずかに現在の状況に照らし合わせてアレンジしているのに過ぎず、私自身のオリジナルな議論のようなものはほとんどありません。……ということは、感情的な反発を覚えた人々はわかっているんでしょうかね。
 もちろん、中村光夫の議論は近代文学を対象としている以上、現代の視点からすると古びた部分も所々にあります。しかし、そのような古びた議論の射程からさえ、現状の日本の文芸業界は踏み越えていることなどできていないという部分に、状況の悲惨さが露呈してしまっているというわけです。
 ところで、その『風俗小説論』をぱらぱらと見返していたところ、冒頭のあたりに興味深い一節を見つけました。それは、以下のような部分です。


 おそらくひとりの人間の生涯にも、彼が後に実現し得たより、はるかに多くの可能性を孕んで生きる青春の一時期があるように、時代精神の巨大な流れの中にも、やがて歴史の必然によって刈りとられる幾多の不運な芽が並んで萌え育つ青春期が何十年に一度かずつはめぐってくるのです。我国の明治文学で、もっともその名に値する時期は、漱石が「猫」を発表した明治三十八年から、花袋の「蒲団」までの二年あまりであったと思われます。
 青春がおのおのの個人にとって、悔恨と哀惜の対象になるのは、そこで実現の機を見出せなかった幾多の生への可能性によるのであるとすれば、僕等はすでに人間の生涯に近い時間を経過した我国の近代文学史の或るモメントに対して、真剣な悔恨の情を抱くべきではないでしょうか。



 青春は、必然に過渡の時代です。この性格は殊に我国のような時代の流れの慌しい近代には、はっきり現われます。
 過渡期は、古いものと新しいものの並び存するときであり、そのいずれもが完成と円熟から遠く距った時期です。(『風俗小説論』、講談社文芸文庫版、p10~11)



 ……この『風俗小説論』を始めとする著作において展開された中村光夫の文学史観に関する後代からの検討については、ひとまず措きましょう。今私が注目したいのは、ここでの中村が、「青春」という言葉について、肉体的側面に関してではなく、精神的・抽象的な側面からのみ捉えているということです。
 そのことによって私が直感的に発送したのは、全く異なる文脈にある人物のことでした。若い頃から、常に「青春」という言葉と結びつけられてきた人物……プロレスラーとして全国津々浦々を巡業し、どんな状況だろうと全身全霊のファイトを繰り広げ、結果として全身はボロボロになり……引退に際して過去の自分のベストバウトを問われると「全部」と即答し、引退試合のまさに当日にマイクを向けられると「これからも青春は続きます」とあっさりと言ってのけた男、小橋建太です。
 「青春」という言葉を中村光夫が言うような意味で捉えるならば、小橋の言うことは何もおかしくはありません。これから先の自分が実現しうる可能性を何も諦めることなく、実現し得なかった可能性を捨て去ってただ悔恨の対象としてのみ扱うようなことをしない限り、「青春」はいつまででも保持し続けることができるわけです。
 そのように考えてみると、私がこれまで決定的な影響を受けてきたものは、そのことに関しては共通していたことに気づきます。肉体的に老いようが、物理的・身体的な面での可能性は徐々に削り取られていこうが、それでもなお、過去を悔恨の対象とするのではなく未来に向けて前進し続けること、自分の可能性を捨てないがゆえに、成熟とは無縁なままにいつまででも変容し続け、成長し続けること。そのような生が実際にありうるということを、私はフョードル・ドストエフスキーの小説とジョン・カサヴェテスの映画と小橋建太のプロレスを通して学んだのです。
 『シネマ』におけるドゥルーズの映画史観を、中村光夫の言葉に置き換えて理解するならば、私が抱いた違和感が何であったのかも説明がつくように思います。……つまり、運動イメージから時間イメージへと移行していく歴史の流れの必然の中で、カサヴェテスの映画は、きたるべき時間イメージの可能性を胚胎していた、完成と成熟から隔たった青春の映画であった。ゆえに、時間イメージのあり方が確立した末にはもはや過去としてのみ振り返られることになる、運動イメージと時間イメージが共存する過渡期の映画であった、と。
 無数の映画作家を時代順に並べて歴史的に把握しようとするとき、確かにそのような視点が成立するのかもしれません。しかし、あくまでもカサヴェテス個人のみを見たときに重要なのは、カサヴェテス自身は完成も成熟も、自らの可能性を捨て去ることも、既に確定し固定した過去を感傷的な対象としてのみ回顧することも、それら全てを拒絶していたということです。
 純粋に技術的な側面を見るだけでも、ドストエフスキーの小説もカサヴェテスの映画も、その死の直前に至るまで成長を続けていることは、はっきりとしているのです。青春期と中年期と老年期とにわかれた通常の人間の感覚によって、青春の可能性を保持し続ける人間を理解しようとするとき、決定的にこぼれ落ちるものがあるのではないか。


 ……と、いうような話をすると、じゃあなぜ通常記事の更新を止めたんだということになるかもしれません。それは確かにそうなのですが、一方で、自分の可能性を捨てずに保持していたところで、日本語の環境では自分の思うことなど何もできないということも確かにあるわけです。
 今回の件で改めて痛感したのは、私と話が全く噛み合わない人々は、自分たちが当たり前だとみなしている価値観の外部が存在するということ自体を全くわかっていないということです。
 私自身は、何らかの対象に接し価値判断を下そうとするのに際して、対象に接する前から言うことが決まっているということはありえません。まず対象を咀嚼し、分析し、そこから出た結論として批判するべき点があると思えば批判する。ゆえに、批判の根拠を問われて答えに窮することなどありませんし、他人から再批判を受けた結果として自分の間違いがあると思えば撤回し訂正します。つまり、単にニュートラルな議論をしたいだけなのであって、このような時に私が求めているのは「納得」だけです。
 一方で、どのような形で言い争いがなされているのであれ、その目的は最終的に勝ち負けや優劣を決めるためだけのものであり、序列争いや権力争いこそが目標であることを全く疑ってもいない人々がいます。この手の人々が面倒なのは、あらゆる他人も同じ欲望の元に行動していることを当然の前提としてしまっているからです。
 もちろん、文学なり芸術なり批評なりがその種の欲望を満たすために存在しているはずはありません。シンプルに数値化された勝ち負けや優劣を他人と競い合いたいのであれば、ソーシャルゲームにでも専念していればいいわけです。文学なり芸術なり批評なりをいったん通すような回りくどいことなど本来する必要はない、さすがにそれは明らかだからこそ、この手の人々は、表向きには、私が言っているようなことも認めざるを得ない。しかしそれは、あくまでも上辺だけの建前としかとらず、隠された本音があるはずだと邪推し始めるわけです。
 今回の件で、私がすばるクリティークという賞の選考委員に対して怒っていたのも、その理由をきちんと明示しています。そこでは、従来の賞とは全く異なり、応募者の誰もが納得のいく形で選考がなされることが大々的に喧伝されていた。しかし、いざ蓋を開けてみれば、そんなことはなかった。だから怒っているというだけの話なので、事前の説明通りにフェアに選考がなされた結果、私の文章の致命的な欠陥が明確に指摘されていたのであれば、別にそれはそれでよかったわけです。
 実際のところ、選考委員たちは事前にどんなことを言っていたのでしょうか。文芸誌「すばる」の2017年2月号に掲載された募集にあたっての座談会から引用しますと、「だから、選考委員の僕らが必死に泥まみれで批評を書く姿を示すことが、ようやく、未知の書き手にとってのかすかな光になるのかもしれない」(p97)「お前たちの書くものは生ぬるい。ふざけるな。そんなふうに獣のように挑みかかってきたら、こっちもなにくそ、と感じるはずです。そういうのを望んでいます」(p102~103)「ネット論壇か文芸誌か、というアングルも、未知の書き手たちには狭すぎるのかもしれない。そういう人たちが「すばるクリティーク」をわざわざデビューの場として選んでくれるには、たんに新しくもう一つ投稿先の賞を準備しました、というだけでは足りない気がする。たとえば「すばる」のウェブに批評の場を作って、それを「すばる」本誌と連動させる、という程度でも全然足りないだろう」(p103)「実は、ゼロアカ道場なり、批評再生塾なりが信用できない理由もそこにあります。僕には、上下の関係を乱さない趣味人同士の閉じたサークルのように見える。要するに「批評オタク」ですね。この賞では選考委員を俺は潰すぞという覚悟があってもいい。もちろん、レベルによってはこっちが潰すことにもなりますが、少なくとも、その過程は公開するわけです」(p112~113)「つまりこの賞を「運動」にするということですね。既に出来上がった上の人間が下の人間を評価するという決まり切った回路を動かすのだと」(p114)……はい、全部嘘ですね。というか、文字通りの意味にこれらの発言を文字通りに解釈しようとすると、ここでの「潰す」とは論外と見なしたら完全に無視して黙殺するということなのかとか、どんどん虚しくなってくるわけです。
 これらの発言とその後実際に起きたことを比較すると、私は単純に納得がいきません。しかし、ある種の人々は、絶対にそうはとりません。私が表向きに何を言っていようが、隠された動機は、自分が落選したこと自体に対する怨恨であるのに違いないという確信があります。彼らがそうとしか思えないのは、最上位にある最終目的が、権力争いであり序列争いであるはずだという前提が存在するからです。その外部が存在することを認めないからこそ、私が何を言おうとも、彼らの世界観の内部に私の考えも組み込んで、彼らにとってはしっくりといく「私の動機」を勝手に作り出し始めるのでしょう。
 今回の件で私が遭遇したことには、そのように考えなければ説明のつかないことが、いくつもありました。根拠なしに他人の文章を全否定しておいて、実際に説明を求められても、具体的なことは完全に何一つ言えない者。あるいは、具体的な批判を始めたのかと思いきや、全体の主旨からするとほぼど~でもいい細部ばかりを罵りつつ、それだけをもって文章全体が否定できるかのように振る舞いつつも、細部の否定の根拠はと言えば、自らが捏造したデマを平然と混ぜてくる者(ちなみに、このようなやり口は、修正主義者がやるのと完全に同様のことです)。
 どのようなデマが流されたのかということを、具体的に記録しておきましょう。例えば、件のカサヴェテス論の冒頭11段落は体言止めを濫用しており情報量がゼロであり全て削除するべきなどと言われるケースがあったのですが……これに関しては他の方から指摘があったのですが、そもそも該当箇所の冒頭11段落では、体言止めなど一回も使われていません。私自身、少なくともこの人物は具体的に文章に即して批判する気はあるのかと思ってまともに応対していたのですが、そもそも真に受けるべき相手ではなかったということです。
 また、文章をもう少し進むと、13番目と15番目の二つの段落では、体言止めが繰り返して使われています。しかしこれに関しては、議論の文脈上、カサヴェテスの伝記情報を紹介しておかなければならなかったところです。そこで文字数をあまり使いたくなかったから、体言止めによって分量を切り詰めたというだけの話です。つまり、書かれている内容は純粋な伝記情報であり、なおかつ文字数も切り詰められている位なので、むしろ一文字あたりの情報量という意味ではあの文章全体の中でも最も多いくらいの部分なんですが……なんで、体言止めを使うと情報量がゼロなんでしょうか。これに関しては捏造という言葉は当てはまらないかもしれませんが、白を見て黒にと言い張るのにも近い、完全なデタラメに基づく難癖でしかないことは確かです。ついでに言うと、商品になってないから論外という主旨の事も延々と言われたんですが、先述の座談会では「批評は、有用性の世界ではないからこそ賭けがあり得る。有用性は有用性で別のところで担保しておけばいいんですよ」と明言されているんですけどね。人を全否定するのにあたって、関連する事情を全然調べてないっていうのもね。
 あるいは、引用部分を除いた本文だけでもおおよそ百段落ほどある文章の最初の方で体言止めを何回か繰り返した段落が二つだけあるというだけで、体言止めが「濫用」されているゆえに全体を全否定してよいと言い張るような人は、そもそも最初の方をちょろっと眺めた程度で、自分が全否定する当の対象を通読などしてはいないのではないかという疑いもまた、強まるばかりです。
 極めて当たり前の話ですが、単にニュートラルに議論をしようとする限り、こんなことが起こるはずはありません。批判するべき内容を見つけたからこそ批判するという手順を踏んでいる限り、批判の内実の説明を求められたらせこい権力欲をふりかざして自分には説明責任などないと言い張ってみたり、嘘の上に嘘を重ねて自己正当化を取り繕う必要など、あるはずもありません。
 繰り返しますが、これらの人々に共通しているのは、自分の価値観の外部にある異なる価値観の存在をそもそも認めていないということでしょう。だからこそ、自分の言葉では説明できない相手の行動原理が、低劣な人格に基づくものだと断定する。そして、議論の中身は全くの無であったり完全なデマであったりしても、さも自分の方が正当であったり優位であったり道徳的に優れているかのような体裁を整えることに専念する。
 自分が詳しくない分野に関する議論なら、その中身は判定できない。あるいは、そもそも自分の能力が足りていなければ、込み入った議論の判定などできない。そして、他人の感情なり人格なりを容易く把握することもできないし、ましてや、議論の内容とは無関係な人格攻撃で他人を貶めることなど許されるはずもない。そして、議論の内容など全くわかっていないどころか、問題となる文章を通読しているかすら覚束なくとも、能力を単純素朴に数値化し、せこい序列争いや権力争いに組み込むことを疑いもしない。
 もちろん、その過程では具体的な内容批判などできないから、人格攻撃に手を染める……その正当性を確保するために、デマまで自ら捏造して、自分の正しさを宣伝するために。素朴な疑問なんですが、これらの人々は、テレパシー能力でも持ってるんですかね? 他人の感情が「透けて見える」などというオカルト的な言い回しもしょっちゅう目にしますし。仮にこの手の人々にテレパシー能力がないのなら、ある特定の状況下における他人の感情について断定する人々のその確信の根拠は、私には一つしか思い当たりません。……すなわち、ある特定の状況下におかれるた人間は必ず下劣で卑しい感情を持っているに違いないということについて、我が身に覚えがあるからでしょう。
 しかし、このような場合、この手の人々にとって、自分の人格は完全に無謬でありつつ、他人への人格攻撃はどこまでも続きます。自ら捏造したデマに基づいて他人を人格的に貶め侮辱し、相手がそれについて怒り始めたら、「批判を受け入れない」「批判に弱い」などと言い始め、さも相手を人格的に貶めてもよい証拠を押さえたかのように騒ぎ立てることが往々にしてあるわけです。
 このような愚劣かつ卑劣な行為を見物しつつ、体裁が整っているように見える側が優位であったり正しかったり勝っているのだと思いこんではやし立てるような人々をも含めて、私としては、そもそもこんな連中は視界に入れること自体が間違っていたのだと、今になって思います。
 仮に、相手の側が敬語を用いて丁重に応対していたら自分には何らかの正当性があるものだと勘違いできるというのならば、率直に述べた方がいいのだろうか? ……自分にはわからない・読み解けない文章が存在するのなら、必ずしも文章の方が悪いとは限らない、往々にして、単にてめーらの頭が悪いんだ。他人の文章から、そこには直接表明されていない動機や感情を卑しいものとして断定するような真似をするのなら、そんなことが平然とできるてめーらの方こそが卑しいんだ。他人に対する批判を公にしながら、自分の発言の説明を求められてもまともに説明することすらできないんなら、ハナっからすっこんでろ。


 今後の自分にできることの可能性を何も諦めてはいない一方で、同時に、この種の連中と関わり合うことは永久になくしたいという考えもまた、強固にあります。
 では、どうすればよいのか。改めて考えてみれば、それは簡単にして当たり前のことでした。……つまり、亡命すればよかったというだけのことだったのです。
 もちろん、物理的な移動をともない完全に亡命するのには、大変な手間と労力がかかります。しかし、現代において、例えばインターネット上などにおいて文化的な面だけで活動する言語環境を移動するというのは、大して手間も労力もかからないことであるのでした。……いざそのことに思い当たってみると、私自身がポール・ド・マンへの敬意を公言しておきながら、積極的に外国語で文章を書くことを本気で考えていなかったのは、非常に甘い考えであったのでした。
 もちろん、文化的なことについて読んだり考えたり書いたりするのをほぼ英語に移したところで、不愉快なことがなにもかもなくなるわけでは全くないし、そのことに関しては幻想など持っていません。しかし、はっきり言えることとして、少なくとも英語圏では、まともな議論がまともな議論として流通する部分も存在する、ということです。
 今回の件で私が改めて呆れたのは、自分がプロの批評家であるとか元文学研究者でございなどという大層な肩書きを名乗る人々が、自分の発言を後から改変したり、他人の発言を引用・言及する際の最低限のルールすら踏みにじることによって引用元の発言を改竄しデマを捏造したり――などということが、平然とまかり通っていることでした。それでいて、これらの人々は、自分がいっぱしの人物であることに疑問を抱いていないように見受けられるのです。
 本来なら当たり前の話だと思うのですが、先進国においてなら、まともな議論がなされている渦中で、なおかつなんらかの分野の専門家であると自称する者から、他人を批判する根拠の捏造やら修正主義的言説を弄ぶようなことが出てくれば、その時点で「そういうもの」として扱われ、以後相手にされることはありません。
 しかし、それが、日本語の環境では「まともなもの」「特におかしいところのないもの」として平然と流通してしまう。あまりにも悲惨な文化的環境です。「批評家」とか「文学研究者」などと自ら名乗ってしまって、その肩書きの元に発言する以上、むしろ自分の発言に一定の責任を持つ覚悟を示すことになるのだと、私は考えていました。なぜならば、そのような肩書きを名乗ることは、自分が何らかの言説について精確に取り扱いニュートラルな立場から公平に取り扱うことができるようにするための専門的訓練を受けてきていることを意味するからです。自分がそのような専門的な立場から発言していることをまず誇示してしまった以上、それ以後の発言には、専門家としての責任を負う、というのが私の感覚です。
 しかし、日本語の環境では、専門家としての肩書きを名乗ることは、自らを権威付け人を威圧し、責任逃れを押し通そうとしたり論理的な説明をすっ飛ばすための口実に利用するためにあるようです。自分は専門家であるということを理由として、無条件に他人より優位にあるかのように威圧した上で、そこから先はデマだろうと捏造だろうといくらでも手を染める。
 自分は専門家の立場から発言していると自己申告する人々の多くは、どうやら、自分の発言が無条件で他人より優位で信憑性があるように扱われなければならないことにつながると信じているように見受けられます。専門家だから信じろ、批判されても受け入れろ、ということなのでしょうか。具体的な中身が何も伴わない批判だったりデマに基づく批判だったりした場合にその内実を問い返されると、メリットがないから答えないだの、そちらの側から勝手に聞いてきただのと言ってさも自分が被害者であるかのように振る舞い始める……これはつまり、自分が保持しており尊重されなければならない既得権益が侵害されたと感じているということなのでしょうか。この手の人たちにあるのは既得権益ではなく、説明責任なんですが。……正直なところ、私としては、日本語の「批評家」とか「文学研究者」などという言葉からは、完全に縁を切りたいと思うに至った次第です。
 さらに言うと、これらの人々が平然とそのようなことができるのは、おそらくは、「批評家」とか「文学研究者」という肩書きの元に同様のことがなされてきたことを、幾度も目にしてきたからであるように思えます。誰もがきちんと責任をとった上で専門家として発言しているのに、いきなり自分だけがデマ・捏造に手を染めたのならば、さすがに平然としていることはできないように思えるからです。
 だからこそ、このような者たちを賞賛するような人々まで現れる始末なのでしょう。そこで実際に議論されている内容などわけがわかっていなくとも、個々の人格を漠然とキャラクターのように把握して、自分の価値観の中で強弱を判定したり序列付けをしたりすることに何も疑いを持たない。
 日本語という環境で来る日も来る日も行なわれていることに対して、「議論などではなく、まるでチキンレースのようだ」と感じたことがあります。……しかし、冷静に考えてみれば、チキンレースとは大きな違いがあります。少なくとも、チキンレースにおいては、参加者は自分の命を実際にリスクにさらすことによって、他の参加者との間で優劣を競っているわけです。しかし、ネット上での罵り合いには、引き受けるべきリスクなどというものはありません。ひとたび「自分こそが正しい」「自分こそが優位である」「相手が間違っている」「相手の人格が劣っている」という態度を取ったならば、自分の正当性を絶対に疑わず、強気な態度をとり続け、間違いを指摘されたら無視し、相手の言説を百八十度改変して引用し、相手の言説を完全に無から捏造し、辻褄が合わなくなった自分の発言は事後的に何度も何度も後出しで変え続けるーーそれでもなお、強気な態度を崩さずにいれば、いかにも強気で正しそうな態度を崩さない者を、「勝者である」「優位である」「人格的に優れている」とジャッジしてくれるギャラリーはいくらでもわいて出てくるわけです。
 やはりこれは、チキンレースではありません。嘘の上に新たな嘘を後から後からどれだけ重ね続けようとも別にかまわないわけですから、実体性などどこにもない、妄想の世界の中のみでの争い合いでしかありません。ここで起きていることは、どんなことが起きようとも、デマや捏造に手を染めようとも、自分の方が正しく間違いがないことを平然と強気に主張し続ける者こそが勝者である(と思いこめる)、言ってみれば妄想チキンレースです。そこで参加者を選別しているのは、自らの肉体的な死に向かい合う勇気ではなく、恥知らずであることの度合いの強さだけです。
 もちろん、ある種の人々にとって本当にやりたいことがそれであるのならば、有志を募ってそれこそ一生でもやっていればいいでしょう。しかし、ここに、実際のチキンレースとは決定的に異なることがもう一つあるのです。……現実のチキンレースにおいては、参加者と非参加者を取り違えるようなことは決して起こりません。一方、妄想チキンレースの価値観が当たり前のものだと信じて疑わない人々は、あらゆる他人もまたそこに参加しているものだと信じ込んでいるのです。そして、自分が参加者だと見なす相手に対して、言っていることの具体的内容のわけなどわかっていなくとも強弱や優劣や人格などの判定を喜々として始めるのです。
 デマ師に憧れる、ペテン師の言っていることがもっともだと思う、詐欺師の強気な断言が優位なものだと思い人格的にも高潔だと思う――そんな自分の頭の悪さと下劣さを棚に上げて、他人の能力やら人格やらを判定などするな。そんなことが知的な言説に関わる何事かだと思いこむのもやめろ。妄想の世界でのみチキンレースをやりたいんなら一生やってろ、ただし他人を巻き込むな。そして、くれぐれも、自分が文学やら芸術やら批評やらに携わっているなどとほざくんじゃねーよ。


 ……もちろん、こんなことを言っても無駄でしょう。そもそも恥というものを知らない人間に「恥を知れ」などと言うのは、完全に無意味なことです。
 結局のところ、日本語では有意義な議論などというものはできないのでしょう。いやもちろん、多大な労力をかけてそれが可能なわずかな場を探し求めることはできるかもしれませんが……しかし、先進国においてなら「単にふつうのこと」にすぎないことを求めるのに、わざわざそんな労力をかけることが馬鹿馬鹿しい。私自身は、別に日本語がこの世に存在しなくとも生き延びることはできるわけですし。
 とはいえ、英語力ということに関して言うと、現在の私は、インプット面では特に問題を感じることはありませんが、アウトプットに関しては、自分の考えを細かく十全に表現しきるとなるとまだまだ心許ない部分もあるので、いずれにせよ、そこの学習にしばらく専念しなければなりません。……しかしまあ、私がこのブログに書いてきた文章のほとんどはただの走り書きに過ぎない以上、英語での文章能力も、たかだかその程度のことはできなければ、将来的に使い物にならないことも自明です。
 まあ、それくらいは、特に問題なくできるでしょう。……だって、おれだもん。それに、英語でのアウトプットが問題なくできるようになれば、アメコミのライティングをするチャンスだって出てきますし。ジェフ・ジョンズやトム・キングの仕事なんかは、語学力や語彙力という点に関してはそれほどハードルが高くはないということもわかっていますし、やっぱそういうことができる道もある方がいいや。


 今後のことについてとそれにまつわることに関して書き連ねていった結果、このエントリが本当に最終回のようなものになり、きちんとした一区切りがついた気もするので自分としてはよかったです。
 ……ということで、The Red Diptychは、いずれ再起動することになりますが、おそらくブログ名は変わりますし、使用する言語は英語になります。
 告知事項などは今後ここでも更新することはちらほらあるかとは思いますが、内容的にはこれが最後です。となると、自分の中で、最後に書き記しておきたいことがあります。
 それは、ここ数年間の間に自分が実際に遭遇することになった、それぞれが微妙に関わりがあると言えるかもしれない、二つの出来事です。
 まず一つは、何年か前に、後楽園ホールにみちのくプロレスを見に行ったときのことです。観戦中、試合と試合の間の手持ちぶさたなわずかな時間のこと、なんとなく通路の方に目を向けたところ、ある人影が見えました。通路から一人で静かに試合を見ている、車椅子に乗ったその人は、ハヤブサなのでした。
 大仁田厚の弟子であり、将来を嘱望され続けた覆面レスラー・ハヤブサは、試合中の事故で頸椎損傷の重傷を負い、再起不能とされました。しかし、本人は全身が動かなかった状態から懸命にリハビリを続け、その時その時の自分にできる様々な活動もしつつ、いつかリングに再び上がるのだと言い続け、「引退」という言葉は拒絶してきました。
 そのハヤブサが、一人の状態で、目の前にいる。いや、マスクもかぶらずに素顔のままでいる以上、そこにいるのは「ハヤブサ」ではなく、単に本名の江崎英治さんであるとしか言えないのかもしれない。……しかし、いずれにせよ、若き日のその人から自分がどれほどのものを受け取ったのかを、伝えることのできる機会があるのなら伝えておきたいと思った……それと同時に思ったのは、自分はこの人にかけることのできる言葉などあるのだろうか、ということだった。
 この人に、「がんばってください」などと軽々しく言うことができるだろうか。あるいは、いつの日かこの人がリングに復帰することなど信じていない前提での言葉をかけることなどできるだろうか。……改めて自分のなかで反芻してみても、自分はハヤブサにかけることのできる言葉など持っていない、というのが嘘偽りのない本当のことだった。
 そんなことを考えている最中、まさにハヤブサがいたその通路を通って騒々しくバラモン兄弟が入場してきており、その人は苦笑いしながら車椅子を自ら動かし、私がいたところからは見えない、目立たない物陰に静かに移動していた。
 ハヤブサの訃報が伝えられたのは、それからしばらくしてからのことだった。結果として、私がハヤブサを直接見かけたのは、その日が最後のこととなった。
 そのことと微妙に関わりがあるかもしれないもう一つのことが起きたのは、同じく後楽園ホールにおいてのことであった。小橋建太が引退試合を終えてからしばらく経った頃、小橋自身がこれはと思った選手を集めて自らプロデュースする自主興業を行うことになっていた。その開催に向けて、小橋が自ら色々な団体の会場に営業しに出かけ、その場でチケットを購入した人と記念撮影するというファンサービスをも兼ねているのであった。
 何かのタイミングで、たまたま人気がない時間帯に後楽園ホールの入り口ロビーにいた私は、一人で座っていた小橋が手持ちぶさたにしているのを見かけた(ちなみに、後楽園ホールの男子トイレの入り口の脇に数メートル離れたあたりが、かつてジャイアント馬場さんがグッズ売場内でいつも座っていたところであり、その時の小橋はちょうどその向かい側のあたりにいた)。
 小橋がこういうときにファンに話しかけられて邪険に扱うことのないことを知っていたからこそ、そのときの私は、自主興業のチケットは発売して即座に押さえたために今日は購入できないんですがと断った上で、自分が子供の頃からいかに小橋さんの試合を見続け、影響を受けてきたのかを必死に伝えた。すると小橋は、「ありがとう!」と言いつつ自ら手を差し出してきて、堅く握手してくれたのである。
 もちろん、それはそれでよかったのだが、本当に驚いたのは、それからしばらく経った後のことだった。自主興業が盛況の内に終了し、同じ主旨で第二回が開催されることになったとき、小橋は同じように各所を営業して回っていた……のだが、そのとき、但し書きが一つ付け加えられていたのだ。既に別のところでチケットを手に入れている人とも記念撮影します、と。
 ……惚れ直したよ。……これは、何もプロレスうんぬんに限った話ではなく、身内でも何でもない、二度と会わないかもしれない他人にためにそ
こまでする人を見たことがない。どれほど些細なことに見えようとも、他人の気持ちを本当に汲み取ろうとしている人でなければ、絶対にするはずのないことだ。
 しかし、驚くべきことに、小橋にとっては、これは特別なことでも何でもないのだ。様々な伝聞を合わせて類推する限り、小橋は、何十年間にも渡って全国を巡業で経巡る過程で、記録になど残るはずもない、わずかな数の当事者たちの中にのみ残る小さな出来事の中でも、いつもいつもそのようにして周囲に接してきたはずである。……そりゃあ、そんな姿を目撃し続けたならば、秋山さんも多聞ちゃんも小橋に心酔するはずですよ。
 結局、一般的な知名度が高いとは決して言えない小橋が引退して何年も経った今でもなお芸能関係の仕事などがなぜ切れ目なく続いているのかと言えば、小橋に接してきて支持する人々の熱意が段違いであるからなのだろう。われら小橋信者の結束は固い。たまたま外部から人を招く仕事でもあろうものなら、会議室で机をバンバン叩きつつ「今回の企画には! 今回の企画には! 小橋さんの! 小橋さんの! 小橋さんの力が! 絶対の絶対に必要不可欠なんですよおぉぉぉぉぉぉ!!!」などと吠えまくり、ありとあらゆる手段を尽くして周囲を説得しまくっているのに違いないのだ。……というか、仮にそういう仕事をしているとしたなら、私自身も絶対やってるもんなあ。だからこそ、特にわれわれにとっても最も記念すべき人もなれば、力の限り叫びたい! 小橋さんのためなら! 小橋さんに会えるなら! 小橋さんと一緒に仕事ができるなら! 公私混同なんてお手の物である!


 ……そんな、何の因果か同じ場所で似たような時期に遭遇することになった二つの体験は、いずれもともに、私の中で消し去ることのできない影響を及ぼしている。もちろん、あの苦悩も、あの感激も、その場限りの一回だけの個人的な体験に過ぎないのであって、いかなる意味でも普遍的な回路に開かれてなどいない。それは、あくまでも個人的な体験に過ぎないからこそ、私個人の内部に生々しい印象を与え続けている。
 しかし、その一回限りにして個人的であるがゆえの生々しさを、そのままに普遍的に開かれた作品に定着させることこそが芸術なのだと、私は言い続けてきた。ただひたすらにそのことだけを書いたジョン・カサヴェテス論をふまえてあの体験を改めて振り返るならば、何を言っても間違ったことしか言えない状況ですら、それでもなお何かを言うことこそが芸術なのだ、ということになる。
 もちろん、あの個人的な体験の感触を回避しさえすれば、なんらかの表現にそれを落とし込むことは容易い。例えば、あくまでも過去のこととして距離を置いて回想し、感傷性や諦念へと感情を置き換えつつ、その生々しさを削り取り、誰もが受け入れやすい形へと作り替える。それこそが芸術なのだと、あの苦悩やあの感激をそのままに作品化するようなことなどしてはならない、不可能な試みゆえに無惨な失敗を積み上げる無様な行為などしてはならないのだと言われるならば、私は言うだろう、イワン・カラマーゾフとともに、「そんなことを俺は認めるわけにいかないんだよ」、と。


 P.S. もし仮に、自分が生涯であと一試合しかプロレスを見ることができないとしたらーーあるいは、生涯を通してプロレスと完全に無関係で過ごす人にただ一つだけ見る試合を勧めるとしたら、そんな場合に躊躇なく選ぶのが、私としては、95年6月の三沢・小橋対川田・田上であるということになります。
 永久に変わることのない、わが生涯ベストバウトたるこの試合について思い出すにつけ、様々な感慨にとらわれます。そもそも当時の全日本プロレスは結構な危機的状況にあり、トップ層の外国人レスラーは次々と離脱し、スタン・ハンセンもさすがに衰えを隠せなくなりつつあり、若手の台頭はいまだ起こらず……結果、興業の売りとなるのはほぼこの四人だけ、という状況。そんな中、その四人がタッグで対決すること以外には派手な試合もない興業で、「このカードで本当に日本武道館が埋まるのか?」と内心びくびくしながら足を運んだことが思い出されます。
 そして、そんな状況のただ中にありながら、三沢も小橋も故障を抱えていました。本来なら、この四人は60分フルタイムドローになることすらふつうのことだったのだから、万全の状態なら完全に互角。にもかかわらず、三沢と小橋が故障を抱えたまま臨んだ試合の方が、万全の状態の試合すら内容的に上回ってしまうということに、プロレスの本質があるように思えます。普段なら辛口のダメ出ししかしない放送席の馬場さんも絶句するわけですよ。
 そう言えば、田上引退試合を見に行ったときに、田上の若い頃の勇姿を映像で回顧するところがこの試合から取られていて、「お、わかってるねぇ~」と思ってはいたものの、強すぎる田上の姿を見てどよめく会場内を見て、「今のノアファンはこの試合を見てないの!?」ということにショックを受けたこともありました……
 ついでに言いますと、「小橋=テリーマン」説を唱えた今となっては、この試合の小橋が故障を抱えていたのが左足であったことが、必然にすら思えてくるのでした。


   https://youtu.be/gHsuvDfC8aw
   


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