神社破折

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〖東京都江東区の富岡八幡宮付近で宮司の富岡長子さん(58)が刺殺された事件で弟の富岡茂永容疑者(56)妻の真里子容疑者(49)が「富岡さんを殺害後、自害する」という内容の手紙が見つかっていたことが12日、捜査関係者への取材で分かった。室内からは複数の刃物や双眼鏡なども見つかり警視庁捜査1課は2人がこの部屋を拠点に犯行を計画していた可能性があるとみて調べている。 捜査関係者によると手紙は現場から約30メートル離れたマンションの部屋にセロハンテープでとめられていたという。封筒の表に「警察並びに報道関係者様」とあり裏側には真里子容疑者の名前があった。手紙は12月1日付で富岡さんについて「積年の恨みから殺害することにいたしました」「殺害後はその責任をとり自害するつもり」「1人で自害できない場合には夫にその幇助を依頼している」などと書かれており犯行後の計画についても記載されていた。室内からは日本刀(刃渡り約66センチ)とマグロ解体用の包丁(同約80センチ)サバイバルナイフ(同約30センチ)など刃物のほかにも双眼鏡も見つかった。マンションからは襲撃現場周辺の路地が見え、2人は6月末からこのマンションを契約していたとみられる。また茂永、真里子両容疑者は今月7日、富岡さんと男性運転手(33)を襲撃した後、神社敷地内の富岡さん宅の玄関付近で倒れているのが見つかり搬送先の病院で死亡が確認された。周辺の防犯カメラの映像などから茂永容疑者が真里子容疑者の胸などを刺した後、自分の胸を複数回刺して自殺を図ったとみられている。〗 


«神社破折»
『大白法』平成27年10月16日付 第919号 諸宗教破折64より引用 

❮神社は信仰⁉︎風習?❯

初詣や地域のお祭り、家には神棚・神札・お守り・注連飾りと日本人の多くは 

「何となく……」

でも確かに神道を生活の中に定着させている。

かつて国家は「神道は宗教にあらず」と国民に神社神道を浸透させた。
しかし神社では神を祀り神の行事を行うのだから歴とした宗教である。

ただし神道は正しい宗教にあらず邪宗教である。

だから絶対に神社へ参詣してはならない。


❮神社に神様は不在❯

なぜお参りしてはいけないか。
それは神社には神が棲んでないからである。

日蓮大聖人は『守護国家論』に
「法味を嘗めさせれば威光勢力有ること無く四天王並びに眷属の国を捨て日本国守護の善神も捨離し己はんぬ」  (御書  144頁)

本来、神々は正法を守護する立場である。
しかしその正法が広まっていない現在、法味に飢え天上に帰ってしまった神々の代わりに神社には悪鬼魔神が棲みついているのだ。
そして毎年、何百万と言われる人々が悪鬼魔神に手を合わせて祈るから悪鬼魔神は力を得て、
自然災害や事件・事故などの災難が起きるのである。

❮中身なき神道の誤り❯

なぜ神社にお参りしてはいけないか。
それは他の邪宗教と同じく本尊も教義も実にいい加減だからである。

火や水などの自然神、天照太神や大国主命、伊邪那岐などの神話神、天皇や将軍などの人物神、屋敷神や穀物神・厄神などの生活神など、
八百万と言われるだけあって実に様々な神を祀る。万物に感謝し自然に畏敬の念を抱き、歴史上功績のあった人々に学ぶことはけっして悪いことではない、

しかし

それを信仰の対象とするのは大いに間違っている。

なぜなら大聖人が『日女御前御返事』に
「一切の仏菩薩や大小の神々は一人も漏れなく妙法蓮華経の御本尊の中に住まわれ妙法五字の光明に照らされて本有の尊形となる〈趣意〉」  (同  1387頁)

と仰せのように神社に祀る神はすべて妙法の中に包摂されているからひとつだけを選び取って拝むことはかえって根源の法を誹謗することになる。よってそこには利益がないばかりでなく様々な災難に遭い仏罰を蒙ることとなる。
また神道には明確な教義がない。
確かに『古事記』や『日本書記』といった神典と呼ばれる書物は存在するがそこには神々の様子が描かれているだけで教典としての性格は全く備えていない。
さらに神道では敢えて「言挙げ」しないとされる。
つまり他宗との論争など宗教的論議はしないというのだ。これは神道に確かたる教えがない証拠ではないか。神主は自身の正義を語らないのではない語れないのである。
存在しない神の名のもとありもしない教えを弘めるべく祝詞を読み、お祓いをし毎年更新の神札を売り、賽銭を回収する
これが神社神道の実態である。

❮神社を捨て正法を受持せよ❯

いくら神社へ詣でても神の護りは絶対に得られない。
法華経『安楽行品』に説かれる

「諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護す」 (法華経  396頁)

と加護を得るためには大聖人の正法に帰伏する以外にはない。

「祖父の代からお世話になっているから」
「仲良しの友達が行くから」
「毎年家族でお参りしているから」

等々、習わしや付き合いといった次元で信仰してはいけない。
本当に救われる為には正邪を峻別することが最も大切である。
各地の神社に詣で祭りに参加し悪鬼魔神に手を合わせ知らず知らず供養している人たちに、
一刻も早く悪しき慣習を改め、正法に帰依するよう折伏し続けることが我々に課せられた使命である。 


神社にお参りしてはいけません。
御守りも買ってはいけません。 

「一年経ったら効き目が無くなるので新しいのを買って下さい」 


一年経とうが御守りには邪悪な魔神がずっと住みついてるので災いをもたらす事になりますから必ず燃やして捨てましょう。
金儲けする為にそんなことを言っては御守りや神札を売りさばき、また賽銭箱が置かれてあり賽銭に金を貢げば願いを叶えてやるという神に愛も優しさも慈悲もありません。 


神社に祀る神は日蓮正宗の猊下様が作成してくださる御本尊様の中にしたためられてあり入信して拝んでいれば神が私達を守って下さるのです。なのに旅行先や正月の初詣などで帝釈天や日光東照宮などに参拝して祈願し拝むことは道理にはずれたやり方であり御利益など得られるわけがないのです。御利益が無いどころか様々な災難に合い仏罰があたってしまいます。

御守りには商売繁盛や交通安全などあるが 

ならば 

なぜこんなにも世の中において老舗の店屋や一流企業会社が倒産したり交通事故が多発してるのだろうか?御守りに効き目があればこんな事など起こらないはずです。 


実にいい加減で災いをもたらすこれこそが神社神道の本当の姿なのです。 

正しい仏法を信仰していきましょうね