人生のもやもや、「見切り発車」で晴れた/横浜から西へ1000キロ、長崎・平戸へ

最終更新:3/26 19:01

写真・画像西日本新聞生活特報部

 30~40代の間で高まる移住熱。見知らぬ場所へ、あるいは、ふるさとへ。1人で、あるいは、家族で。仕事や子育ての最前線にいるこの世代が、人生の風景を変える理由は―。「移住世代」の生き方に迫る。

受験も就職も「失敗ばかりだ」

民泊施設としての開業を目指し、自宅の玄関を点検する大田圭一さん=長崎県平戸市

 国道から細い道に入ると、両側には田んぼやダイコン畑が広がっている。その道を上り下りしていると、いつの間にか周囲はウグイスやカラスの鳴き声だけになっていた。そこからさらに曲がった先に、大田圭一さん(41)の家がある。

 横浜市出身。3年前に長崎県平戸市に移住した。ぞうきんで床を拭きながら、つなぎ姿の日焼けした顔で「見切り発車、ですよ」と笑う。

 うまくいかない人生だった。大学受験では法学部を目指したが、合格確実と言われていた第1志望に不合格。第3志望の大学の社会科学部に入学した。就職氷河期のさなか、希望していた業界への就職はかなわず、テレマーケティング会社に入った。

 仕事をしながら、かつて目指していた法律の勉強を重ね、行政書士試験に合格。念願の事務所を開き、インターネット検索で自分の事務所が上位に表示されるようSEO対策にも力を入れた。仕事の依頼は順調に増えていったが、客とのコミュニケーションはほとんどがネットを介した淡々としたもの。やりきれなさを感じることも少なくなかった。

 その後、法務を担う企業内行政書士として上場企業に招かれた。しかし翌年、社内でパワハラに遭い、退職に追い込まれた。もう一度法律の夢を、と行政書士の傍ら、司法書士試験を受けたが不合格。もともと楽天的な性格ではあるが、「なんだか自分は失敗ばかりだなあ」と、もやもやが晴れなかった。

 そんなある日、経営コンサルタント大前研一氏の〈人間が変わる方法は三つしかない〉という言葉にはっとした。三つとは<時間配分、住む場所、つきあう人>―。その言葉を見たのが本だったのか、ネットだったのかも覚えていない。それでも元来、釣り好きだった自分の中で、「住む場所」という言葉が、どんどん膨らんでいった。

「移住」へのあこがれは日に日に高まっていった※イメージ

 検索サイトで「移住」と入力して、つらつらと眺める日々。自治体が委嘱する「地域おこし協力隊」の制度を知った。

 父の実家があった長崎県を検索。3市が隊員を募集していた。三つとも応募し、最初に「合格」した平戸に移住を即断した。「もう、行った先でどうなるか、なんて考えなかった」。横浜で生まれ育った妻は乗り気ではなかったが、最後は「あなたが好きなことなら」と背中を押してくれた。

増える移住相談、30~40代が中心に

 かつては公害や過密からの回避や、悠々自適な第二の人生の舞台として一部の人に選ばれるという印象が強かった地方への移住。今、その選択肢は「当たり前」のものになりつつある。2016年度、全国の自治体に寄せられた移住に関する相談は21万3469件で、前年の1.5倍に増えた。

 若年齢化も進んでおり、NPO法人「ふるさと回帰支援センター」(東京)を利用する30~40代の割合は、10年前は全体の4分の1程度だったが、昨年は5割を超えた。

 「新しい生き方」を目指して15年春、平戸に来た大田さん。最初に担当した生月地域での壁は方言だった。「聞き返すのも、分からないのも失礼だと思い、とにかく愛想笑いばかりしていた」。このままじゃいけない、と思い切って「それって何ですか?」と尋ねると、誰もが丁寧に教えてくれた。「みんな最初から、私が話を理解していないことに気付いてくれていたんです」。趣味の釣りでは魚の呼び名に驚いた。カワハギは「キューロッポ」、シイラは「カナヤマ」…。

 「地域おこし協力隊員」の月収は約18万円。横浜の時の収入から半分以下になった。それでも家賃は、横浜市内では2LDKで約9万円だったのが、平戸では一戸建てを借りて3万円ほどで、さらに駐車場も付いている。環境が大きく変わったこともあり、収入減はあまり気にならなかった。

大田さんが移住直後の1年半を暮らした生月島。島の西側には民家がほとんどない

 当初は地域の祭りやPRイベントなどを手伝う業務だったが、行政書士と宅建の資格を頼りにされ、移住希望者に平戸市全域から空き家を紹介する仕事をするようになった。

 市内をくまなく回るようになり、次第に地域のことが分かるようになってきた。とにかく人のつながりが濃い。対面の付き合いばかりと思っていたら、意外にもみんな、フェイスブックをやっていた。平戸に来て初めて自分もアカウントを開設。「友達」はあっという間に1000人を超えた。

 横浜では、自分が暮らす地域のことなど考えたことがなかった。横浜市議会議員の名前は一人も知らず、近所の清掃活動なんてしたことがない。「税金を払っているから十分」、そんな思いだった。隣人とは会釈するだけで、誰なのかとか気にも留めなかった。「『ご縁』の意味を、平戸で初めて実感した」

 そうか、自分は人と直接会って、話をしたかったのか――。いつの間にか、15年間抱えていた「もやもや」は消えていた。

平戸と福岡の2拠点居住、新たな事業も

田畑に囲まれた大田さんの自宅。4月から、一棟貸しの民泊施設としての開業を目指している

 市内の空き家を探す仕事の中で、ある家を見つけた。高齢の夫が亡くなり、妻が施設に入ったという。静かな場所で立派な倉庫もある。「自分に住まわせてください」と持ち主の親族にお願いすると快諾し、「あんたで良かった」と喜んでくれた。

 地域おこし協力隊の任期は3月まで。今、大田さんはこの自宅を一棟貸しの民泊施設としてオープンさせる準備に忙しい。宿の名は「よこた」にした。かつての家主の名前だ。この場所に暮らしていた人のことを、何かの形で残すことができたたら、という思いを込めた。平戸市内に一棟貸しの宿泊施設は少ない。「家族でも、グループでも、ここで移住を体験してもらえる。自分が味わったように人生をターンする風景を見てみてほしい」

 大田さんに子どもはいない。妻の仕事は平戸では見つからず、移住後、福岡市内で就職した。大田さんは月の半分ずつを平戸と福岡で暮らし、福岡では知人の誘いで農業を始めた。パラレル居住、パラレルワークというライフスタイルを貫くのは、つなぎ姿だ。3年前、「平戸と何かを『つなごう』」と横浜の作業服専門店で買った8着を、今も着回している。

つなぎ姿にこだわる大田さん。「人生は見切り発車がいい」と思うようになったという=福岡市・天神

 スーツ姿の行政書士から「つなぎの兄ちゃん」に。「失敗続きだったけど、おかげでたくましくなりましたね」と話す大田さんは、いつか故郷の横浜にも事業を展開する夢も描く。「九州で得た仕事のノウハウを、いつかは横浜でも生かしたい。2カ所、3カ所と自分が生きる場所が増えるのは、面白いじゃないですか」
(文と写真=西日本新聞・福間慎一)

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連載「移住世代」

30-40代の間で「移住」への関心が高まっています。仕事や子育ての最前線にいるこの世代が、人生の風景を変える理由は――。西日本新聞生活特報部とYahoo!ニュースの共同企画による連載「移住世代」。3月26日から30日まで、計5本公開します。