文責: 有川晴彦
1890 教育勅語(明治23年)
1894 【日清戦争】(明治27年)
1895 下関条約と三国干渉
・韓国をめぐる争いが発端
・日本が勝利して清国(満人)は莫大な賠償金を
・台湾が日本領に
1900 義和団の乱で日本含む列強の軍隊が中国駐屯開始
1902 日英同盟 (~1923)
1904 【日露戦争】(明治37年)
1905 ポーツマス条約
・義和団の乱以降、ロシア軍は満州(今の中国y東北部)に駐屯。次は韓国を…
・ロシアの日本海側の都市ウラジオストクは「東を征服せよ」が語源
・日英同盟でイギリスが日本を支援: 武器供与と軍事顧問(参考ep43)
特に日本海海戦の英国海軍の支援は絶大。
なぜ、英国は日本をそこまで支援したか?
・日本もロシアも、この戦争でたいへん疲弊した
(日露双方に、国際金融資本が支援。その矛盾する目的は?)
・日本はロシアより、南樺太と満州租借権を獲得(参考ep44)
(これが後の戦争の遠因となる)
1905 例: 桂・ハリマン協定を日本側が一方的に破棄(参考ep45)
1910 韓国併合 (日本の植民地なのか?)
1914 【第一次大戦】(大正3年~1918)
1919 パリ講和会議
・日英同盟のもと日本も出兵。中国山東省などでドイツに勝利し権益を拡大
1922 ワシントン会議
1923 日英同盟終了
1924 排日移民法がアメリカで成立1928 ドイツから中国に武器輸出と軍事顧問
1929 世界的経済不況(当時日本ではアメリカ型自由主義経済が一般的)
1930 ロンドン海軍軍縮会議
1931 【満州事変】(昭和6年9月)
11月 中国共産党が対日宣戦布告
(背景) 当時、満州(今の中国東北地方)は、政治的な空白地帯
(満州は万里長城の北にあり、もともと中国ではない)
(背景) ソ連も満州を虎視眈々と狙う (日露戦争前はロシアが実際進出していた)
(背景) 辛亥革命以前の孫文と日本との密約とは何か
(清王朝はもともと満州人であり、中国への侵略者)
・日本陸軍の関東軍が柳条湖事件をきっかけに軍事行動開始。(主導:石原莞爾)
・満州国が建国される。皇帝は清国(満人)の廃帝・溥儀(ふぎ)
・日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人による「五族協和」を掲げた。
1933 日本が国際連盟脱退(これで軍備増強に専念可能)
1936 二二六事件(神々の軍隊―三島由紀夫、あるいは国際金融資本の闇)
1937 【日中戦争(支那事変)】(昭和12年)
(正式に宣戦布告=戦争となったのは日米戦争開始後)←重要!
『 日中戦争 - 戦争を望んだ中国、望まなかった日本』
(PHP) 北村 稔 ・ 林 思雲 (共著)
07/07 盧溝橋事件
(誰が夜間演習中の日本軍、国民党軍に銃弾を放ったか)
(いったん事態は収まり不拡大方向に。ところが…)
07/29 通州事件(日本人居留民が数百名虐殺される: 体験談)
08/13 第二次上海事変のため、戦局は拡大(中国側が仕掛けた点に注意)
(必見!: 当時のニューヨークタイムズ記事)
同年12月 南京事件について: 資料1 ・ 資料2 ・ 資料3
1938 国家総動員法成立→40年体制 (戦後の日本型資本主義の原型)
11月に「東亜新秩序」声明 ⇒ 翌年2月国民党に米から2500万ドル
1939 1月 アメリカが通商条約破棄を通告(翌年条約失効)
9月 ドイツがポーランド侵攻
1940 6月 ドイツがパリを陥落。日本ではゾルゲ事件発覚。(日本南進決定)
9月 日独伊三国同盟
「大東亜共栄圏」構想 ⇒ 翌年、国民党に米1億ドル・英1千万ポンド
対日禁輸のABCD包囲網が進行、在米日本資産凍結方向へ
1941 4月 日ソ中立条約
6月 ドイツがソ連に侵攻、世界大戦へ
7月 南部仏印(現在ベトナム)進駐(by 海軍第一委員会の決定)
8月 対日石油全面禁輸
空母百隻建造計画がアメリカ議会で承認
11月 ハル・ノート を対日最後通牒と解釈
1941 【太平洋戦争(大東亜戦争)】(昭和16年)
12月8日 真珠湾攻撃 大勝利
10日 マレー沖海戦大勝利(英戦艦プリンス・オブ・ウェールズ撃沈)
『操られたルーズベルト ― 大統領に戦争を仕掛けさせた者は誰か』
カーチス・B. ドール (著), 馬野 周二 (翻訳)
・日米戦争開戦時戦力比較 (空母10:3、どちらが日本?)
・真珠湾の真実・第8章抜粋(出典: 真珠湾の真実 ― ルーズベルト欺瞞の日々)
(真珠湾の半年前からアメリカは空母百艦建造計画を実行!…つまり?)
真珠湾攻撃ビデオ: http://www.kyoto.zaq.ne.jp/ark/_video/PearlHarvor.wmv
(もし第二波の攻撃があったら?)
ハワイ国王の訪日ビデオ: http://www.kyoto.zaq.ne.jp/ark/_video/HawaiJapan.wmv
(国王の望みはハワイ解放。ではこの時どうすれば?)
・大東亜戦争敗因の検証・序(出典: 大東亜戦争「敗因」の検証―「帝国海軍善玉論」の虚像)
(陸軍暗号は解読不可能だったが、海軍暗号は殆ど解読されていた。なぜ?)
1942 蘭領東印(現インドネシア)を10日で占領するなど各地で大勝利
6月5日 ミッドウエー海戦で大敗北
8月8日 第一次ソロモン海戦で大勝利、ところが輸送船団を放置
10月13日 ガダルカナル米飛行場を艦砲射撃(中途半端!な攻撃)
10月26日 南太平洋海戦。米稼動空母がゼロに!
12月31日 ガダルカナル島撤退決定 (ガ島米飛行場が主因)
1943 4月 山本五十六長官戦死
5月 アッツ島の日本軍が初の「玉砕」
9月 イタリア降伏
1944 6月 マリアナ沖海戦で大敗北(日本空母9→6、米空母15)
7・8月 サイパン・グアム島を米軍が制圧(日本本土空襲が可能へ)
10月 レイテ沖海戦で初の神風特攻 (日本空母4→0、米空母35→32)
1945 2月 硫黄島に米軍上陸(米空母百隻建造計画は順調)
3月10日 東京大空襲
3月13日 大阪大空襲
3月26日 沖縄戦開始(~6月23日)
5月9日 ドイツ降伏
7月26日 ポツダム宣言 (日本「軍」の無条件降伏を勧告)
8月6日 広島に原爆(ウラン型)
8月9日 ソ連が中立条約を破り侵攻開始
長崎に原爆(プルトニュウム型)
15日 終戦 (玉音放送)
9月2日 戦艦ミズーリで降伏調印
(占領軍GHQの最高司令官はマッカーサー)
1946 東京裁判 (パール判事だけが日本人被告の全員無罪を主張)
1951年マッカーサーの証言:「日本の戦争は“生存”のためだった」
戦後、欧米の植民地のほとんどが、アジアを中心に独立を果たす
※ 欧米の植民地と、日本の台湾・韓国統治との相違点を考えてみよう
※ 植民地権益の多くを失った欧米支配層は、日本をどのように思っただろう?
※ 大戦に「辛勝」して日本を占領後、彼らは日本をどう変えようとしただろう?
戦後~1956 シベリア抑留(70万人以上の日本兵捕虜がソ連で強制労働させられた)
1950~1953 朝鮮戦争
1951 サンフランシスコ講和条約(日本の主権回復)
1957 中国帰還者連絡会結成
1965~1975 ベトナム戦争
《中国王朝の推移》
隋 → 唐 → 五代十国
→ 宋 → 金 → 南宋
→ 元 → 明 → 清
上記で、金と清は満州からの、
元はモンゴルからの侵略王朝
1616 長城の北から満人が侵略
明を滅ぼし、清を建国
1637 朝鮮、清に服属ラフォコンス(明の末裔)の暗躍
(日本の公卿N家との間柄)
(日本からゴールドの流出)
1840 阿片戦争
1911 孫文の尽力で辛亥革命
宋氏三姉妹は重要:
宋靄齢・宋慶齢・宋美齢
1912 清国(満人)滅亡
中華民国(漢人)建国
その後、国民党政府
中独合作開始
(ドイツが中国を援助)1917 ロシア革命
1919 コミンテルン結成
↓支援
1921 中国共産党が誕生
毛沢東が主導
1922 共産主義国家・
ソビエト連邦誕生
1924 第一次国共合作
1925 蒋介石が国民党の実権を
1937 第二次国共合作
↑支援
1938~ 米英仏の援蒋ルート
ルーズベルトアメリカ大統領の
ニューディール政策
1940 汪兆銘が南京に親日政府中国は戦後、国民党と共産党の内戦
1949 中華人民共和国建国
中国共産党(毛沢東)政府
国民党(蒋介石)は台湾逃亡
★推薦図書:
『侵略の世界史』
『赤い楯 』 抜粋copy
『日中戦争』
『操られたルーズベルト』
『真珠湾の真実』
『大東亜戦争「敗因」の検証』
参考資料: 世界史年表