2018-03-27

クソ運動部の思い出

現在28歳。中学高校とクソバ体育会系妖怪跋扈するバリバリのクソ運動部にいた。クソバ体育会系妖怪というのはクソバヤンキーとクソバ根性論者とただのバカに分類できるが、実際は複数性質を併せ持つ厄介な人間が大半を占めている。ちなみに俺の所属していたクソ運動部はクソバ体育会系妖怪10割以上を占めており、指導者も当然ながら妖怪だった。俺も当時はただのバカだったので気づかなかったが振り返ると本当にクソみたいな環境だった。

まず練習には合理性というものが全く欠けていた。中高時代いずれも、部の目標は「とりあえず目の前の試合に勝つこと!そのためには顧問や先輩の言うことを聞いて部員全員がド根性で頑張る!死ぬ気でやれば結果は出る!とにかくただひたすらシャカリキに体を動かす!」というのが基本だった。というよりそれしかなかった。中学とき部活練習終わりの100本ダッシュかいうのを伝統にしていたが、俺も含めてみんなそのトレーニング内容に疑問を抱いていなかった。ただ言われるままに実行するのみであり、その苦行に耐えられる俺達はすごいんだと思っていた。

そして練習はいつも「オオォォォ!!!」「ファイトォォ!!!」「一本集中ゥゥゥ!!!」「一本ナァイス!!!」という叫び声で体育館が満たされていたブックオフ。今振り返っても意味があるのかどうか全くわからんがとにかく練習中は常に大きな声を出せと言われた。(ブックオフ式の)声出しをしなかったときは周りの先輩や顧問から容赦なく罵声が飛んできた。「怒鳴る」「キレる」「罵倒する」というのは彼らにとっての基本的コミュニケーションだった。そこには議論余地などなく、疑問を差し挟もうものなら”指導”が行われるのみだった。あまりにも一方通行関係性。最初こそ戸惑っていた俺だったが、その暴力的コミュニケーションに順応しようと必死に頑張った。その甲斐もあって一年後には無事に罵倒する側に回っていた。今振り返ると中2当時の俺は、スポーツ練習というのは声を出して無茶をすることだと認識していたように思う。

次に、部活には休みというもの存在しなかった。高校生の時なんかは365日のうちで休みは5日ほどしかなかった。お前の生活の全てを部活に捧げろと言わんばかりの指導方針だったので、どんな理由であれ練習を休むことは悪だという同調圧力部活内に充満していた。水分補給顧問や先輩がいいと言うまで出来なかった。しかし俺も含めて皆そのことに疑問を呈すことはなかった。というか今までのアレな経験の数々から疑問を呈すことができず、言われたことをただ黙って実行するしか無いんだと思っていたし、そういうのに耐えぬくことが強くなるために必要なんだとも思っていた。不必要なほど自分にも他人にも厳しいという日本社会の縮図がそこにはあった。その結果、キツさに耐えかねて退部していく人間が多かったわけだが、そんな彼らのことを優越たっぷりの目で見送ったことが何度もある。その頃の俺は完全にクソバ体育会系妖怪と化していた。

他のクソバ運動部員と俺の部活こんなにつれーよ自慢をしたことも何度もある。つれーよ自慢は本当に定番の娯楽と言ってよく、そのなかでも定番中の定番ネタ練習時間の長さ自慢だった。その頃の俺は練習はたくさんやるほど良いものなんだと思っていたので、「朝練と準備と片付け含めたら毎日5時間以上いってるわー土日はもっとだわー夏休みとかマジ地獄だわー」とか言って笑っていた。今振り返るとそんなのはただのクソバオーバーワーク&クソバ指導者のクソバ自己満足指導しか思えないが、みんな知性を持たないクソバカ同士なので手を叩いて盛り上がっていた。つれーよ自慢というのはクソバ体育会系妖怪の結束を高め合う儀式のものだった。まるで組体操だな。

ならいい加減にしろと言ってやりたいところだが、悲しいことに当時の俺たちはそれ以外のやり方を知らなかった。適切な練習時間や怪我をしない正しいワークアウトのやり方や競技力向上のためのディスカッション方法運動生理学栄養学やメンタルヘルス知識などとは全くの無縁だった。今まで出会った指導者(という名の独裁者)はそんなこと教えてはくれなかった。俺がそういう知識を学び始めたのは二十代半ばを過ぎてからのことで、ジムトレーナー(の竹内さん)の指導を受けたのがきっかけだった。恥ずかしながら、今までいか自分不条理で心身に悪いことをしていたのかを知った。部活練習が激しいせいで生理が止まる女子中高生結構いることもそのとき初めて知った。18歳で故障してずっとスポーツから遠ざかっていた俺には他人事に思えなかった。そして、日本より人口の少ない国が日本よりメダルを取れる理由がわかった気がした。

言わなくても分かってるだろうが、今の日本がこんなに過労死ジャパンなのもクソバ体育会系妖怪が原因のひとつで間違いない。死因と言ってもいい。生産性の低いクソバ根性論法を伝統と称して続けてきたツケが回ったのだ。実際俺が過去にいた会社過労死ジャパン代表にしても恥ずかしくないような所だったし、一年ぐらいやっていたバイト先の居酒屋代表入りできる逸材だったなと今は思う。そして勿論そういうところではクソバ体育会系妖怪が偉そうに幅を利かせていた。幼少期から英才教育の賜物だろう。

とにかく上記のようなことが原因で俺はクソバ体育会系妖怪が心底嫌いになってしまった。反対に合理的だったり知的だったりするスポーツ選手・指導者に惹かれるようになったというか、クソバ体育会系妖怪と相反するような要素を一つでも持っているとビンビンにおっ立つ体になってしまったのだった。

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