『さよ朝』を観ていても思ったのだが、最近のアニメ作品って、「こうしないと良い作品に思ってくれない!」という、妙な強迫観念で作られているような気がして、観ていて非常に不自然で、不自由だ。
それ、心の底から思って作ってる?っていうね。

例えば3Dを使ったりする、被写体への高速回り込み。
そりゃあ技術力を誇示するのには持ってこいの方法だ。

しかし、演出上、それ要るか?と思う。

僕は『ハレのちグゥ』で、一回やってみた。
当時だから『マトリックス』の360度回り込みのパロディだったのだが。
もちろんまだちゃんと3Dが使えない時代だから、全作画でやった。

その時はパロディだったから面白かったけど、正直「このカメラワークは要らねぇな」と思って、一切使わなくなった。

背景3Dで回り込んで、俺達すげぇ!と誇示するのは勝手だ。
しかし、それと作劇とは何の関係もない。


エイゼンシュテインがその辺を鋭く指摘している。まぁエイゼンシュテインもスタンドプレイが多かったが・・・。
「カメラが芝居をするな!」と言ったのは黒澤明先生だ。

そういった、ゴダールの言う(引用する)「倫理」というものがフィルムから伝わらないと、本当の感動からは逆に外れてしまうと思っている。
僕は少なくともそう思ってやってきた。

何より、我も我もと流行りを追うのは、若いうちだけにしておけ。
大事なのは「作劇」であり、絵の迫力や美麗さは二の次でいい。
作画のリソースも業界全体で足りないんだし、それくらいのストイックさが今、日本の映像全体に求められるのではないだろうか?

どれだけあがいても、所詮ハリウッドには届かないのだ。
「できる」ことから、「必要な」ことを選んでやるべきだ。


それを粛々とこなした『この世界』は、だから凄いのだ。
「倫理」の極みである。