今日のブログはとてもネガティブな内容なので、暗い気持ちにさせてしまうかもしれません。ご了承ください。



1週間前の日曜日のお昼前、岡山の実家でゆっくりと風呂に入っていた。朝からやっていた荷物の整理をほぼ終え、かいた汗と浴びた埃を流し落とす。それは、実家での最後の風呂だった。湯船に浸かり、湯をすくって顔を洗うと、ふと涙がこぼれた。その瞬間、感情をコントロールしていたものが決壊した。堰を切ったように次々と涙が流れ、気がつくと声を上げて泣いていた。

6年前、実家は主人が不在の状態となった。2006年に父が亡くなって以降、母がひとりで住んでいたが、認知症の進行によって介護施設で暮らさざるを得なくなったのだ。自宅に戻りたいと、言葉が話せるうちはいつも言っていた母だが、その願いは叶わず、2年前に亡くなった。実家は本当の空き家になってしまった。以来、2年。母の三回忌までは実家は手放さないでおこうと決めていた。先々月、その三回忌が無事終わった。そして、いよいよその時期が来た。来てしまった。


この2年間、ときどき実家のある岡山に帰っては、少しずつ遺品の整理をしてきた。実家の中はどの部屋も、両親が暮らしていたときのまま、家具も調度品も残されていた。それは、自分がこの家で寝起きしていた18歳までのときとほとんど変わっていない。いくら整理しても、親子3人で暮らしていた当時の面影が立ち上ってくる品が次々と出てきた。その度に心を掻きむしられ、感情の高ぶりを必死で押さえ込んだ。だから、片付けは遅々として進まない。そんな2年間だった。

家の譲渡先が決まり、10月最初の週末、覚悟を決めて岡山に向かった。これがたぶん最後の帰郷。

この家を建てていた50年前のことを思い出す。そのころのわが家は、市から払い下げられた元市営住宅に住んでいた。平屋で、今で言うところの2LDKくらいの広さ。家屋の中には浴室がなかったため、父は庭部分に風呂場を増築した。薪で沸かす五右衛門風呂。一度勝手口を出て外を歩いて風呂場に行かなければならなかったので、雨の日や冬場はお風呂に入るのが億劫だったのを覚えている。小学2年生のときだったと思う。その年、放映が開始されたウルトラマンに夢中だった。そんな時代だ。

毎週末、父のスーパーカブの荷台に載って、建設中の新しい家を見に行った。柱が無骨に組み合わさっただけの構造物が、屋根ができ、壁ができ、次第に2階建ての家になっていくのが面白かった。大工さんに頼んで、左官屋さんの仕事を少しやらせてもらったりした。父もきっと嬉しくて仕方なかったのだと思う。自分の家ができる。父と母の夢だったのだ、この家は。



廃棄するものと東京の自宅に送るものを仕分けるのだけど、これが一向に捗らない。修学旅行のときに買った小さな置物。小学校に入学するときに父が買ってきてくれた色褪せた地球儀。なぜか自分の部屋にずっと飾ってあったマリア様の絵。上げていけばキリがない。どれもがもはやどうでもいいものなのに、廃棄処分行きの段ボールに入れられない。身を削る思いって、こういうことなのか……。

まる2日間かけて家の片付けをした。ようやくメドがつき、最後に実家の風呂に入ってみようと思った。ずっと空き家だったが、水道もガスも通じている。

50年前の新しい家に入居したとき、母が嬉しそうにお風呂の自動給湯スイッチを何度もいじっていた。僕は浴室が家の中にあることが嬉しくてたまらなかった。

そんな記憶の再生が感情のスイッチを押してしまった。50年前に戻ったように、小さな子供のように、大声で泣いた。父も母ももう本当にいないんだ。ひとりでいるのはこんなに寂しいことなんだ。




思い返せば、この2年間というのは、何かを「失う」連続だった。占いの“大殺界”の期間と完全に重なるというのが後付け的でアレなのだけど。で、ここからはただの愚痴であり自虐なので、華麗にスルーしていただければと思う。

KADOKAWAでの編集職を失うのと母を失ったのは、2年前の9月1日、同じ日だった。11月に関連会社の役員に横滑りしたものの、仕事はまったくと言っていいほどなかった。週1回の出勤で報酬がもらえるなんていい身分だよね、と周囲からは言われたが、これまで味わったことのない居心地の悪さ(自分だけがそう思っていたかも)に耐えられず、任期途中で退任した。自らのプライドだけを優先した愚かな判断だったと今は思っている。

その2ヵ月後、結核に罹っていることがわかり、1ヵ月、隔離病棟での入院を余儀なくされた。実はこの10年ほど小唄と三味線を習っていたのだが、その一門の名取り式が入院期間中にあった。せっかく名前をいただくハレの日に、自分は出席できなかった。兄弟子に代わりに出てもらったのだけど、一生に一度の機会を失ってしまった。後日、別のお弟子さんから当日の写真を送ってもらった。でも、未だにそれは見ていない。

新しい仕事にも就いた。自分としてはチャレンジだったけど、手慣れた編集の世界とは異なり、それほど甘くはなかった。自らの能力値の低さ故に唖然とすることもしばしばで、ほぼ失う結果になった。

それでは、ということで自ら案件を組み立て、提案をしてまわった。が、いいところまでいくのだけど、ほとんどが立ち消えになった。最終段階ではねられたり、可否の連絡が来ないまま何ヶ月も過ぎてしまうこともあった。個人としての力のなさを痛いほど思い知らされた。自身のバリューを失っていることに、今さらながら気がつく有様だ。

そして、唯一の逃げ場所だった実家を失った。いや実質的には故郷を失った。もうひとつ。気がつくと蓄えのほとんども失っていた。

そんな2年間。「転落」という言葉が頭をよぎる。ああ、そうか、それだけのことか。なんだ、雑誌のコラム記事にもならないありふれた話じゃないか。


もちろん最悪なことだけではなかった。いくつかの面白い仕事もさせてもらったし、その人たちには本当に感謝しかない。変わらず付き合ってくれる昔からの仲間もいる。それなりに新しい仕事の話も来る。だから、たくさんのものを失ったけど、不幸だと思ったことはない。あとは、今度こそ前を向けるか、だけだ。


1週間前、気が狂いそうになるくらいに苦しく、辛い涙を流したというのに、とっくに落ち着きは取り戻した。人が忘れられる生き物で本当によかった。そうそう、昔、祖母から言われたあの言葉も早く忘れよう。
「あんたは一生お金に困らんて、占い師が言うとった」
同じことを小さいときに聞かされた人、けっこういると思うけど、それウソだからねw

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