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ベトナム戦争は、冷戦記民主主義と共産主義が雌雄を分けた局地戦の一つだった。

この戦争で米韓を中心とする連合軍は、南ベトナム政府を助け、戦争に参加した。

対して、南ベトナム民族解放戦線には、北ベトナムから援助物資が運ばれ、その北ベトナムにはソ連や中国から、豊富な食料や武器が援助されていた。彼らはベトナムを共産化しようと虎視眈々と狙っていた。それどころか中国軍も戦闘に参加していたが、その事実は、最後まで徹底して隠されていたのである。

このような事実に民主主義側の国民がはっきりと気付くのは、全てが終わってベトナム全土が共産化された後の話だった。

南ベトナム民族解放戦線議長のグエン・フートは、インタビューに答えて「私は共産主義者ではない」といい続けた。(『アメリカはなぜ勝てなかったか』P120)

1968年、ホーチミンの跡を継いだ北ベトナムのファン・バン・ドン首相は、

「我々が軍事力を用いて南を強引に併合などといった、そんな馬鹿げた、そして犯罪同様なくわだてを持っていると思って欲しくありません。」(『アメリカはなぜ勝てなかったか』P13)

と述べていた。しかしそれは真っ赤な嘘であり、数年後その「犯罪同様なくわだてを持っていた」事を我々は理解する事になった。ベトナム解放戦線が勝利すると間もなく、民族主義者達は国外追放などにより実権を失い、北ベトナムの共産主義者が実権を握った。

これには、ベトナム戦争を民族解放の独立運動として宣伝していた「ベ平連」も阿然とした。彼らは「平和」を唱えながら、米国内の反戦運動と連動して、一生懸命に「米国の帝国主義」を攻撃していたが、それは結局は北ベトナムとソ連の野望を助力していたのである。














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