正常な世界はとても強引だから、異物は静かに削除される。まっとうでない人間は処理されていく。
一時期本屋に行くと本書『コンビニ人間』が並んでいたのを覚えています。
第155回芥川賞受賞作品。
一つ前に羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』を紹介しました際にもちらりと書きましたが、この辺りの文学賞受賞作品って、結構“つまらない”という評価を受ける事が多いです。
ざっくり言うと直木賞=大衆小説、芥川賞=純文学という棲み分けがあり、ストーリーの起伏やキャラクター性に優れたエンターテインメント作品の多い直木賞に比べ、芥川賞は淡々とした物語が多いんですよね。
淡々と主人公の胸のうちを語るような平坦な物語で、読み終わっても「……で、結局なんだったの?」となりがちです。
『火花』も「オチがない」とか「退屈」、「笑えない」なんていうマイナス評価も多いですよね。
でもまあ芥川賞とってそもそもそんなもんだ、というのが僕の持論だったりするんですが。
ネットで「芥川賞」の後にスペース入れると「つまらない」とか酷い評価も多いですからね。
ところが本書は、良い意味で芥川賞のイメージを覆しています。
面白いんです。
一説には『コンビニ人間』が面白すぎたから、次となった156回ではあえてバランスをとるために退屈な作品を選んだ、なんて言われているそうです。
第156回受賞作品についてはここに書くのは控えますので、気になる方はネットで検索してみてくださいね。
コンビニ人間の意味
冒頭からコンビニでテキパキと働く主人公古倉恵子の様子から描かれます。
働きぶりから察するに、ベテランの気の利くスタッフさんのようです。
そこから始まる回想は、下記のような一文から始まっています。
コンビニ店員として生まれる前のことは、どこかおぼろげで、鮮明には思い出せない。
恵子は昔から変わった子どもでした。
公園で遊んでいる最中、死んでいる小鳥を見つけて悲しむ子供たちの中において一人だけ、「お父さんが好きだからこれを焼いて食べよう」などと言い出し、周囲の度肝を抜きます。
小学校では男子の喧嘩を止めるために、スコップで殴りつけたこともあります。
教室でヒステリーを起こした女教師を黙らせるために、スカートとパンツを下ろしたことも。
そんな恵子に対し両親は娘を愛しながらも、戸惑い、悲しみを見せます。
私は家の外では極力口を利かないことにした。皆の真似をするか、誰かの支持に従うか、どちらかにして、自ら動くのは一切やめた。
成長し、高校、大学と進んでも恵子は友達一人いないまま、自らを押さえ込んだまま生活を続けます。
カウンセリングや治療に悩む家族をよそに、本人は「何かを修正しなければならないのだなあ」「治らなくては」と、それが一体なんなのかもわからないまま成長していったのです。
そんな恵子がコンビニエンスストアのアルバイトを始めたのが大学一年生のとき。
マニュアル通り、教わった通りに仕事をした結果、褒められる事が彼女に喜びを与えます。
そのとき、私は、初めて、世界の部品になることができたのだった。私は、今、自分が生まれたと思った。世界の正常な部品としての私が、この日、確かに誕生したのだった。
そうして彼女は“コンビニ人間”として新たに生まれ変わったのです。
アルバイトは18年。気が付けば36歳になる恵子
恵子はそのままコンビニでのアルバイトを続け、36歳になります。
大学を出てからもずっと、一度も就職する事無く、コンビニのアルバイトとしての生活を続けています。
朝になれば、また私は店員になり、世界の歯車になれる。そのことだけが、私を正常な人間にしているのだった。
洞察力に秀でた彼女は「人々は身近な人のものが伝染し合いながら、人間であることを保ち続けている」と言います。
他の年長のアルバイトの泉さんや年下の菅原さんらの口調やファッションを真似ながら、傍目には普通に振舞い続ける恵子。
まるでマニュアルを求め、見本となる人を真似するというアルバイトの延長線上のような方法で自身の「人間」を保とうとします。
しかし36歳になった恵子を周囲は放ってはくれません。
ずっとアルバイトを続け、就職も結婚もしない彼女に周囲は奇異な視線を向けます。
奇妙な同棲生活
コンビニには白羽さんという新しいアルバイトがやってきます。
三十代半ばで無職、特に経歴もない白羽さんは朝礼を「宗教みたいだね」と言い、店長を「コンビニの店長ふぜい」と見下します。
コンビニの仕事を最初から馬鹿にし、働いているスタッフを見下し、真面目に働こうともしない。
遅刻の常習犯に加えて仕事中にスマホをいじったり、挙句お客の個人情報を元にストーカー紛いの行動に出、店をクビになります。
そんな白羽さんと再会した恵子は、「一緒に住もう」と持ちかけます。
そこにあるのは一般的な恋愛感情や男女関係ではありません。
彼女なりの考えの下、「人間」を保つために男性と一緒に住んでいるという事実が必要だと思ったのです。
ちょっと面倒だけど、でも、あれを家の中に入れておくと便利なの
ぞっとする話です。
幼少時代の常軌を逸した恵子の言動を思い起こさせます。
普通とは、正常とは
主人公古倉恵子はどこか現実離れした異常さを感じさせます。
一方で、現実世界にもこんな人間は沢山いるんじゃないか。むしろ自分にも恵子みたいな部分があるんじゃないか、と妙に胸を打たれます。
今自分が立っているまともだと思っている現実が、周囲の目から見ても本当にまともなのかどうか、ふと考えさせられてしまいます。
正常な世界はとても強引だから、異物は静かに削除される。まっとうでない人間は処理されていく
冒頭にも引用しましたが、「異物」ってなんでしょう? 「まっとうでない人間」ってなんでしょう?
僕らは本当にまっとうな人間なのでしょうか?
古倉恵子はコンビニ店員こそが自身の存在意義を保ってくれる唯一の手段であり、コンビニ人間以外の生き方はできません。
迷うでもなく、抗うでもなく、古倉恵子は他に選択肢なんてないかのようにコンビニ人間であり続けようとします。
でも「コンビニ人間」を僕ら自身が働いている会社であり、業界の名前に変えたら、もしかしたら全ての人間に当てはまる話なんじゃないでしょうか?
本書は一気読みさせる面白さの一方で、そんな疑問をも読者に問いかけてくるようです。
また一人、素晴らしい作者に出会えました。
村田沙耶香さんは『消滅世界』その他、かねてより読んでみたい思っていた著書も多いですから、今後優先的に読み進めていくことにしたいと思います。