((C)白鳥士郎・SBクリエイティブ/りゅうおうのおしごと!
「竜王」
この言葉を聞いてすぐに頭に思い浮かぶのは、2017年に永世七冠を獲得した羽生善治竜王、そして永世竜王の資格を有している渡辺明棋王だろう。
2人が激闘を繰り広げた2017年の勝負を振り返るまでもなく、将棋界七大タイトルのうちで最も権威あるタイトルの1つである。
優勝賞金は将棋界最高となる4,320万円。さらに、2017年に藤井聡太六段(当時四段)が竜王戦ランキング戦6組初戦で加藤一二三九段戦に勝利してから、竜王戦本戦1回戦で増田康宏四段に勝利するまで、公式戦29連勝を達成したことで、将棋ファンでなくてもその名前に馴染みがあるのではないか。
では、「りゅうおう」と記されたら、どうだろう?
これでピンときた方は、将棋ファンよりも、アニメ好きな人が多いかもしれない。
実は、前回配信した中村太地王座の記事でのやり取りの際、編集担当の女史からこのようなメールをいただいた。
「さて、私から提案なのですが、『りゅうおうのおしごと!』を取り上げたら良いのでは……と思っています。将棋ブームを一般層に確実に広めるにあたって、アニメは大きな役割を果たすんじゃないかなと」
ここ最近、将棋を題材にしたアニメや映画が数多くリリースされている。その中でも異彩を放つのが『りゅうおうのおしごと!』だ。ライトノベルとして、そしてアニメとして爆発的な人気を誇っているこの作品、未見の方のために簡単に冒頭のあらすじを紹介しておく。
主人公の九頭竜八一(くずりゅう・やいち)は16歳にして「竜王」のタイトルを獲得。史上最年少のタイトルホルダーとなった。しかしトーナメント方式の妙による“番狂わせ”でつかみ取った栄光ゆえ、本人の棋力が竜王の格に全然追いついていない状態だった。それを揶揄する周囲の雑音に苦しむ中、突然1人の小学生・雛鶴(ひなつる)あいが弟子入りを申し込む、ところから物語は展開していく。
──と書いたものの、原作のライトノベルを読むと、ここで記すのは憚られる表現も少々ある。だが、どうしても敷居が高く見られがちな将棋という世界を、柔らかく、かつ噛み砕いた表現で展開していて、なおかつ人間ドラマもしっかりと織り込まれた作品なのだ。
「確かに、“刺激が強い部分”は結構ありますが……(笑)」
今回じっくり話を聞かせてもらったのは、棋士ではない。『りゅうおうのおしごと!』の作者である白鳥士郎先生である。
生まれ故郷は岐阜県多治見市で、J2・FC岐阜のサポーターであること、農業高校を舞台にした『のうりん』の作者でもあることは知っていたが、『りゅうおうのおしごと!』のインパクトが強すぎて、いったいどんな人なのだろう……という少々不安な気持ちもあった。
しかし、待ち合わせ場所の千駄ヶ谷駅前(もちろん将棋会館の最寄り駅)にいたのは長身で物腰の柔らかい人物だった。その第一印象通り、インタビューは穏やかな雰囲気で進んでいった。
(将棋会館近くの鳩森八幡神社でのワンカット)
『りゅうおうのおしごと!』はなぜ生まれたのか
まず聞きたいことは、この作品が生まれた経緯である。
「『りゅうおうのおしごと!』を書こうと思いついたのは5~6年前のことですね。ライトノベルって基本的に文字だけで表現するもので、会話劇になるんです。そこで多人数の競技を扱うとなると、<Aは『●●』と話した。それにBは『××』と答えた、しかしCの心の中は……』>といったように、会話劇としてテンポが悪くなるのと同時に、文章量も多くなってしまう。
それに比べると、1対1の競技の方が小説に向いているんです。1対1でできるボードゲーム、もしくは1対1でできるスポーツとかになってくるんですよね」
その中で将棋を選んだ点、そして九頭竜八一という主人公を作った点について、こう続ける。面白かったのは2つの要素だ。
((C)白鳥士郎・SBクリエイティブ/りゅうおうのおしごと!
まずは「必殺技」である。
「可愛い女の子が出てきて、さらに強大な敵が出てくるというのがラノベの形なんです。だから2人で一緒にできて、性別や年齢差を超えて戦えるものがふさわしい。となると、スポーツは厳しくなってきます。
しかし、マインドスポーツやゲームならできる。それで、将棋・チェス・囲碁という選択肢が生まれました。
3つのうち、どれを選ぶかというときに『必殺技』に当たる固有名詞が多い将棋が良いと思ったんです。しかもチェスや囲碁に比べれば、読者にルールを説明する必要が少ないなと。日本人に合っているという意味で、将棋が一番じゃないかと思ったんです」
詳細な陣形がわからない人にとっても「矢倉(やぐら)」や「雁木(がんぎ)」などは強そうに、かつ伝統的な戦法のように聞こえるだろう。一方で、「ゴキゲン中飛車(なかびしゃ)」「穴熊(あなぐま)」など、ちょっとユーモラスに聞こえるものまである。
そんな響きのいい戦術が興味を引き立てるとともに、棋士の人間性にもスポットライトを当てられるのが将棋の面白さだ。
続いての要素は「主人公がすでにタイトルホルダー」であること。
「将棋をモチーフにした作品を読んでいると、中学生棋士などはよく出てきます。ただ一方で、タイトルホルダーから始まる事ってないですよね。そういう状況にあえて主人公を置いてみたときに何が起こるのかなという発想から始まっているんです。
最初の構想では、あまり勝利をあげられず、うだつの上がらない20代後半の棋士のもとに女の子がやって来て、少しずつ勝てるようになっていく、という話を考えていました。……でもこれ、映画にありそうですよね(笑)。将棋の読者に対してインパクトがなさすぎるし、ありきたりすぎる。じゃあいっそ、トップから始めてみようという考えでした」
これを可能にしたのが「竜王」というタイトルの存在だ。「割とファンタジー向きなタイトルがあってくれてよかったです(笑)」と白鳥先生は冗談めかしているが、竜王戦は独自のランキングによって1~6組に分けられ、トーナメント戦を勝ち上がった各組の上位棋士が決勝トーナメントを戦う仕組みになっている。2017年の竜王戦で藤井四段が本戦2回戦まで勝ち上がったが、デビュー即優勝という可能性も決してゼロではなかったのだ。
決して非現実的ではない物語のベースとともに、内容に深みも求めている。
「しっかりとプロ棋士の方々に監修をお願いしています。『西遊棋』というグループの方々をはじめ、プロの先生にインタビューしてお話を伺い、見学もさせていただいてますしね」とも白鳥先生は語っている。
ちなみに、「西遊棋」とは、日本将棋連盟・関西支部の若手棋士が立ち上げたもの。その面々は豪華で、2017年度に羽生二冠を下して初タイトルを獲得した菅井竜也王位、さらに同年度の名人戦に挑戦した稲葉陽八段と、王将戦の挑戦者となった豊島将之八段という2人のA級棋士、圧倒的な早指し能力で鳴る糸谷哲郎八段、2017年度の棋聖戦で羽生二冠に挑んだ斎藤慎太郎七段ら、そうそうたる顔ぶれだ。
また、アニメ版『りゅうおうのおしごと!』の監修には野月浩貴八段も携わるなど、白鳥先生をはじめスタッフ全員の将棋に関する情熱を感じさせる。
空前の将棋ブーム到来が追い風に
ただ『りゅうおうのおしごと!』が始まった当初(2015年9月から刊行)は、まだ今の将棋ブームが来る前。正確に言うと「コンピューター将棋」に対して大きな注目が集まっていた時期だった。人間とAIが対局する「電王戦」で、徐々にコンピューターがプロ棋士に勝利するようになっていた。
その頃の思いを白鳥先生はこう振り返る。
「電王戦が終わった後の世界は、正直なところ“焼け野原”になっているのかなと感じていたんです。電王戦をやっている間に(りゅうおうのおしごと!が)売れてくれないとなー、と思っていたくらいですから(笑)。
でも私はコンピューターと人間の戦いを書くというよりも、コンピューターを使い始めた人類同士の戦いを書きたかったんですよね。コンピューターとどう付き合って、面白い戦いを繰り広げていくかという点です」
確かに2017年4、5月に実施された「電王戦FINAL」では、佐藤天彦名人が将棋最強ソフトの座にあった「Ponanza(ポナンザ)」に連敗したというニュースが駆け巡った。人間はコンピューターの強さを見せつけられ、白鳥先生も『りゅうおうのおしごと!』がどこまで続くのか、という不安を持って作品を執筆していたのだという。
しかしその後、空前の将棋ブームが待っていたのだから、世間とは分からない。
将棋ブームの火付け役、藤井六段は2018年2月に朝日杯オープン優勝を飾るなど、まさに破竹の勢いで突き進んでいる。
前述した通り、白鳥先生の出身地は愛知県のお隣、岐阜県。それもあって、以前から藤井聡太少年の名前は聞き及んでいたという。また、彼の存在が『りゅうおうのおしごと!』への注目が集まる契機になったことも明かしてくれた。
「私は名古屋で働いているのですが、地元の新聞には『藤井聡太』というすごい子が出てきたぞと。成長スピードがすごく早かったので奨励会に入ってからも早かったですし、本格的に注目されたのは(奨励会時代の)二段、三段の時ですかね。
その頃から、地元テレビ局の方なんかから、地元だからということで私の作品にも注目していただきました。しかし、将棋がここまでのムーブメントになるというのは、やはり想像できなかったのではないでしょうか」
(今でも十分に若いが)若き頃の藤井六段の話がよく聞こえてきたのは、白鳥先生も東海地方に拠点を置いていたからこそだろう。
東海地区に住むということもあり「何か食事しながら考えることはあるか、ですか? やはりコメダ珈琲店ですかね(笑)」と、創作するためのワークスタイルを教えてくれた。
(『りゅうおうのおしごと!』PRのため、『竜』の駒になり切って海岸を歩く白鳥先生:本人提供)
「一般人」から見た棋士の異質さ
ここ最近、将棋界は“現実が創作を超えていく”ことが多い。
2018年3月、「将棋界の一番長い日」と言われるA級順位戦最終局でも驚きの結果があった。11人総当たりで戦うA級順位戦でトップに立った棋士が「名人戦」への挑戦権を手に入れられるのだが、全日程終了時点でなんと6人が6勝4敗で並んだのだ。結果、羽生二冠や豊島八段らが、佐藤天彦名人への挑戦権をかけてプレーオフを戦うことになった。これは過去にも前例のない異例のケースと言われている。
「事実は小説よりも奇なり」という言葉があるが、こういった現実離れしたできごとが続々と起きるからこそ、白鳥先生の腕も鳴るのかもしれない。
(“現実が創作を超えていく”ことの多い最近の将棋界。白鳥先生は自身のTwitterアカウントでも、将棋についてわかりやすく、親しみがわくような言葉づかいで情報発信をしている)
白鳥先生は当初、観戦記者の観戦記などをベースに物語をしたためてきた。ただ前述した通り、「西遊棋」の棋士や野月八段らに話を聞いて、内容を深めようとしている。
「棋士に話を聞いて表現する立場」という意味では、筆者と共通するものがある。そこで聞いてみたかったのが、「白鳥先生の目で見た棋士の人物像・人となり」だった。
「考えて考えて考えた末に、一般人とは違う見解を口にしますよね。思考回路や考え方が深い人が多いのかなと思いますね。
観戦記者の方と話していて印象深かったのは『棋士の言葉は濃すぎて、我々が薄めないと使えないんです』というもので、それは私自身も実感したことがありました。棋士の方に取材した話をもとに執筆した時、入れようとした情報が濃すぎて、それを自分の中で消化しきれなかったことがあるんです。
だから私は取材後、取材した言葉をパソコンで打ち直して、1~2週間は置くようにします。それを推敲するなかで『この言葉は面白いな』と感じたところを使ったり、派生させてこういう言葉に変えたら面白くなるなというのを考えたりしています。一度文字にして、客観的に見る必要性があるんですよね」
白鳥先生が口にした「濃さ」。それは筆者も実際に感じるところだ。
例えばだが、ある対局が終盤を迎えたときのこと。
中継を担当していたスタッフが「この対局、もう終わっちゃいそうじゃないですか? 色々と用意しなきゃいけないことがあるんで……」と少々焦り気味に、控室にいる棋士へ声をかけた。
しかし、そう言葉をかけられた棋士は「いや、この状況で終わることはありませんよ。少なくとも終局はあと30~40分くらい後になるはずです」と冷静に返していた。その言葉通り、対局後は35分後に決着の時を迎えた。
この先見性はもちろんのこと、控室では対局の展開予想が矢継ぎ早に繰り返される。
テレビやネット中継の解説で「先手が『3五角』と動いて『3四角』の形に持ち込めれば十分ですね」など棋士が話すのを聞いたことはないだろうか。
これは、あくまで読者や視聴者向けのスピードなのである。
棋士同士で読み合う際には、大げさではなく数十秒で何個ものパターンを考えつき、妙手か悪手かを検討し、言葉で表現していく。それを傍で聞いていると、一般人である筆者にとっては、情報が波のように襲ってくるように感じられる。
棋士は、普段は物静かな、折り目正しい人物が多い一方で、本分の将棋となるとこのように“異質”な部分が見えてくる。それは棋士と対峙した白鳥先生も同じ印象を持ったのだと思う。
一般人では落とし込めない感性や思考回路。それは思考スピードだけでなく、もっと奥底の本能的な部分に感じることもある。棋士同士の会話の節々には「自分の手の方が優れているはず」「君はどこまで考えているんだ?」という、そこはかとないプライドも感じるのだ。
「実際に接してみると、棋士の方のパーソナリティは、小説やアニメにする際に薄めてみても、十分異質なんですよね」とも白鳥先生は話している。例えば『りゅうおうのおしごと!』でも、雛鶴あいのキャラクター設定でそれを感じさせる部分がある。
「(雛鶴あいは)欲しいものに対しての執着心がとても強い子にしたかった。八一くん(主人公)が他の女の子に指導をしているだけでものすごく嫉妬するのも、彼女の強いパーソナリティである執着心のあらわれなんです」
((C)白鳥士郎・SBクリエイティブ/りゅうおうのおしごと!
確かにアニメを観ていても、「JS研」(雛鶴あいと他3名の女子小学生による将棋研究会)の他メンバーと八一の距離が近いと、あいは「師匠のだらぁ!」(だら=バカの意)と、明らかに機嫌を損ねる。冷静沈着なイメージの棋士とは正反対のものだが、「棋士の方はとても純朴な性格ですよね」と白鳥先生が棋士に持つ印象をそのまま反映したものといえる。
将棋に、そして勝敗に執着するからこそ。
雛鶴あいのキャラクター設定にも、白鳥先生は棋士に対するリスペクトを表現している。
棋士と作家の共通点
「将棋は作業中に指すなど、疲れない、ゆるい楽しみ方をしたいです」と話す通り、白鳥先生は1人の“観る将”である。
ただそれと同時に、作家としての自身の立ち位置と、棋士の生き方を照らし合わせることもあるという。
「将棋そのものというより……技術だけとか、勝負の世界で生きていく人の気持ちというのは、小説で食っていこうとする人間と変わらないな、というのを棋士の方と話していると感じます。
そこには年齢の衰えもありますし、いつか自分がその地位を失うのではないかとか、収入が入らなくなるんじゃないかとか……棋士も作家も、そういった不安と戦いながら何かを表現しているんですよね。
それと同時に、自分の持ち味を本当に表現できるようになるためには、相当な時間がいるのだなと感じています」
棋士と作家の共通点を見出す。対局を楽しみ、それを自身の筆で表現する。白鳥先生と将棋の距離感は心地よいものだろう。
『りゅうおうのおしごと!』は現在も続いている。白鳥先生は「例えば(八一の姉弟子である)空銀子が初の女性棋士になるため、棋士の登竜門である奨励会三段リーグに臨んだり、あいちゃんは女流棋士として歩み始めたりしています。色々な登場人物がそれぞれの境遇に悩み、成長していく段階を複合的に楽しんでもらいたいと思います」と語っている。冒頭にも書いたが、『りゅうおうのおしごと!』は人間ドラマとしても読みごたえのある作品だ。
入り口は、現実の対局でも、アニメの世界でもどこでもいい。将棋を愛する人によって生まれた『りゅうおうのおしごと!』はきっと、将棋を愛する人を1人でも多く増やすための新たな扉なのだ。
「コメダ珈琲店」の店舗一覧
取材・文:茂野聡士
1982年11月4日、東京・板橋生まれ、実家は豆腐屋の編集者兼ライター。学生時代に大学スポーツを取材していた縁から、スポーツ紙に勤務し、その後「NumberWeb」など各種スポーツの執筆・編集に携わる。「月刊少年チャンピオン」に掲載された「ナリキン!」という漫画でのインタビュー企画を契機に、将棋の奥深さに魅了されている。構成担当に「サッカー選手の言葉から学ぶ成功の思考法2014」などがある。