資産10億円を築いたカリスマの現在地~DAIBOUCHOUさんインタビュー【前編】
会社員時代に始めた株式投資で資産10億円へ――わずか6年で巨額の資産を築いた個人投資家のDAIBOUCHOUさん。華麗な投資遍歴から、カリスマ個人投資家として雑誌やテレビに多数登場した時期もありました。そんなDAIBOUCHOUさんに、投資を始めたきっかけやこれまでの投資遍歴をうかがっていきます。
人生の70%はDAIBOUCHOUとして生きてきた
「人生の70%は“DAIBOUCHOU”として生きてきました。いまだに本名より、『ダイボウチョウさん!』と呼ばれることのほうが多いです」
今でこそ個人投資家が雑誌やテレビに登場することは珍しくないが、それは比較的最近の話で、以前は株の話をするのは「アナリスト」や「株式評論家」といった肩書のついた専門家が当たり前だった。個人投資家がメディアに登場するきっかけのひとつに、間違いなくDAIBOUCHOUさんの功績がある。
「私の場合、数字が派手でしたからね。一介のサラリーマンが元手200万円で株式投資を始めて10億円……」
DAIBOUCHOUさんの資産はピーク時に、10億円に達した。2006年、ライブドアショックの直前のことだった。
ネットオークションも株も「安く買って高く売る」のは同じ
「株を始めたのはライブドアショックの6年前、2000年です。社会人になって数年、貯金ができ始めた頃に金融ビッグバン(金融市場の規制緩和)が起こりました。その流れでオンライン証券が登場し、貯金として寝かせておくよりはと株を買い始めました」
普通の会社員にとって株式市場との距離が今よりもずっと遠かった時代、戸惑いはなかったのだろうか。
「それまでもお小遣い稼ぎにインターネットオークションを活用していました。といっても、家にある不用品ではなく、高く売れそうな商品をリサーチし、フリーマーケットで仕入れて出品していたんです」
携帯型の液晶ゲームやアニメのグッズなど、パイは小さくともコアな支持者のいるマーケットが狙いだった。
「地方にいるファンは東京のフリマへ足を運べない。東京のフリマで販売する人は地方のファンへ売るすべがない。両者の架け橋となることで、お小遣い稼ぎができました。このときにやっていたのは『安く仕入れて高く売る』ということ。これは株式投資でも同じですよね」
株価が安いうちに買い、高くなったところで売るのが株式投資の基本。ネットオークションの経験から、株式投資へもすんなりと入っていけた。
「本来の価値よりも安い値札がついていたら買っておき、適正な価格で売却するという意味では、どちらも同じ。株式市場にも100億円の資産があるのに、時価総額が30億円程度しかないような銘柄があります。もしもこの会社を30億円で買収して、資産をすべて売却すれば70億円儲かることになります」
守備力の高い割安銘柄だけでは「増える力」が弱い
時価総額を純資産で割り算した数値である「PBR」。資産に対する割安度を測るもので、株式市場でよく使われる指標である。
「ちょうど私が株を始めたころは日本版ITバブルがはじけた時期で株式市場は右肩下がり。IT関連の銘柄は暴落していましたが、そんな時代でも低PBR銘柄はあまり下がりませんでした。よくも悪くも大きく動かないのが低PBR株の特徴。そのころから、低PBRだけでなく、『成長性』についても考えるようになりました」
PBRの低い銘柄の特徴は、急落のリスクは小さいものの上値も重い。守備力は高いが、攻撃力に欠けるといったイメージだ。
「資産面から見て割安な銘柄だけだと、上がる力が弱いんです。いろんな銘柄に分散投資していましたが、その中には焼肉の『牛角』が伸びていたレインズインターナショナル(現在はコロワイドの子会社)や、パチスロ機がヒットしていたサミー(現在はセガサミーホールディングスの子会社)など、割安だけど成長性の高さが目を引く銘柄がありました」
あのころ、東京の街には原油が湧いていた
DAIBOUCHOUさんが株式投資を始めてから3年、“りそなショック”が起きる。りそな銀行が実質国有化されたことによる金融不安の高まりだ。
「金融危機的な状況となり日経平均は一時8000円を割り込みました。そんな時期、2つのマンションデベロッパーが前後して上場しました。フージャースコーポレーションとアーネストワンです。私自身もそうですが、団塊ジュニア世代がマイホームを購入するタイミングでしたし、『土地を仕入れて家を売る』というビジネスモデルもわかりやすい。不動産にこだわったわけではありませんが、結果的にポートフォリオの中で大きなウェイトを占めるようになりました。成長力や割安さがピカイチでしたからね」
割安さだけでなく成長性にも目を向けていた当時のDAIBOUCHOUさん。不動産関連への集中投資を進めていった。
「当時は再開発やリノベーションも活発になっていましたし、不動産を証券化するビジネスも登場し、もてはやされていました。街を歩いていても、ついこの間まで古ぼけていた建物がきれいにリニューアルされているといった光景も多く見られました。リニューアルにともなって価値が高まり、家賃も上がる、関連企業の利益や株価も上がる。東京の街に原油が湧いている気さえしました」
DAIBOUCHOUさんはここで勝負をかける。DAIBOUCHOUさんの「得意ワザ」として知られる、信用取引を活用した「信用2階建て」の取引だ。
現物株の上に信用で買った株を積み増す「2階建て」
DAIBOUCHOUさんが不動産関連の銘柄に目をつけた2003年ころ、同時に盛り上がっていたのがインターネットを通じた情報発信だ。DAIBOUCHOUさん自身も掲示板を開設。そこで自身の投資体験談や銘柄分析を書き込んでいた。
「アーネストワンやフージャースについて、掲示板に書き込んでいました。ところが、同じ2社を買っているのに、私よりも儲かっている人がいたんです。資金力がある人たちです。400万円程度の資金で株価が2倍になっても400万円しか儲からないが、4000万円の資金がある人なら4000万円も儲かる。そこで、『信用取引』を使おうと思いました」
信用取引を使うと、現金や株式を担保にすることで自己資金以上の取引が可能になる。取引金額が大きくなれば、思惑通りに株価が上がったときの利益は増えるが、一方で下落時の損失も拡大する。通常の現物取引よりもリスク、リターンともに大きくなる。
独身、会社勤め――失敗してもやり直せると思った
「400万円の資金で1000万円分の取引を行えば資金がゼロになるリスクもある。ただ、2万円の高値をつけた2000年から8000円割れを見せた2003年まで、なんとかプラスでやってこられたことで自信がついていた。それに当時は独身で、会社員だから投資で失敗しても、最悪またがんばって働いて貯金すればいい。勝負をかけてもいいだろうと思いました」
信用取引は初心者向けではないし、リスクをきちんとわかった上で使わないと自らを傷つけることにもなる。そんなリスクを把握した上で、DAIBOUCHOUさんが行なったのが「信用2階建て」の取引だった。
「まず現物株を買い、買った株を担保にして、さらに信用取引で同じ銘柄を買い増すやり方です。このやり方でフージャースやアーネストワンなどの銘柄を買い増していきました」