玄関を入ったところ
実家は珍スポットだったのではないか、そう思うことがある。
父はもう他界して13年経つが、最後に住んでいた宮崎の家は間違いなく珍スポットだった。 いまでも珍スポットを紹介する記事やテレビを見ると、その家の家族のことを考えてしまう。家族は嫌がってないだろうか、一緒に笑っているだろうか。 その家族とはつまり、僕だからだ。 父の行動はこれまでなんどか書いてきたが、時系列にふりかえりたい。 ※この記事はとくべつ企画「あなたの知らない世界」のうちの1本です。
1971年東京生まれ。デイリーポータルZウェブマスター。主にインターネットと新宿区で活動。
編著書は「死ぬかと思った」(アスペクト)など。イカの沖漬けが世界一うまい食べものだと思ってる。
前の記事:「作業服でオフィスワークする~忙しそうに見える術~」 人気記事:「空中浮遊写真を撮る方法」 > 個人サイト webやぎの目 父は宮崎県で生まれ、東京に出てきて結婚して練馬に家を構えた。子どもふたりが成人して就職したあと、宮崎に戻ってセミリタイアのような生活を送った。
もともと自動車の整備士で、その後は自動車事故の事故額の査定という仕事をしていた。自営業なので毎日決まった場所に出勤する仕事ではなかった。 これはこのあとのエピソードに通底する、機械好きという話の伏線である。 東京での萌芽このページは昭和50年代の東京・練馬の家での話である。僕の子どものころの話だ。
昔の人なので厳しくて怖い父親だったが、たまにおかしなことをした。 たとえば洗濯機にキャスターをつけた。 移動洗濯機
風呂の残ったお湯を洗濯機に入れやすいよう、洗濯機を移動式にした。
洗濯機にキャスターを付けて動かせるようにしたのだ。脱衣所との段差をなくすために風呂内にレールを敷いた。 洗濯するときだけ、洗濯機が浴室に入ってくる
昼は廊下を洗濯機がゴロゴロと移動していた。
その話を大人になってから人にしたところ、長いホースを使えばよかったのではないかと指摘された。 あ 一家でホースという発想がなかった。 手作りジャグジー風呂に手作りのジャグジーを作ったこともあった。塩ビパイプにドリルで穴を開け、その塩ビパイプにポンプで空気を送る。
その塩ビパイプを風呂に沈めるとジャグジーになる。 使うとテレビの音が聞こえなくなった
そのポンプはジョーカソーからとってきたと話していた。中学生ぐらいだったのでジョーカソーがよく分かってなかったが、今ならわかる。浄化槽だ。
汲み取り式のトイレのうんこをためておく場所である。うんこをかき混ぜて分解するためにポンプが付いていた。 たぶん昭和50年代、練馬に下水道が整備されて浄化槽が必要なくなったのだろう。そこにあったポンプの再利用だったのだ。 それを使ったジャグジーだ。 浄化槽のポンプでかき混ぜられる、いってみればうんこ気分である ドドドドと小気味いい音を立てて空気を出すポンプを見ていいポンプだと父は満足そうだった。 自転車にタッパーをつける兄の自転車にタッパーをつけたこともあった。警官が乗っている自転車の後ろの箱のような感じで、タッパーをつけた。
当時、流行していたロードマンにタッパー
ただ、タッパーなのでフタがにゅーっと外れる。見た目もかっこ悪いうえに、機能的にもいまいちだ。
僕は自分の自転車じゃないので便利そうだと適当なことを言ったが、兄は外してくれと怒った。 家に車の部品がやたらとある家にホイールやヘッドライトのカバーなどがあった。
先にも書いたが父の仕事は事故額の見積もりである。 修理工場が部品の交換が必要としたときに、その部品を持って帰ってきてしまうのだ。交換としたのに板金で直すなどの不正を防ぐためだという。 なるほどと思うが、家にホイールは邪魔である。 フェアレディZのヘッドライトのカバーは雪の日にそりにして遊んだ。 ホイールを再利用した花壇。生えてる草が周囲の草と変わらない
家の壁に絵を描きたいと言うと突然いい出したのだ。絵心はない。どんな絵を描くのかと聞くと、チューリップの絵とのことだった。
母とお願いだからやめてくれと言った記憶がある。 いまはこうして家に浄化槽のジャグジーがあったことを書けるが、高校生のころは恥ずかしかった。いとこのお姉さんが来たときにジャグジーを見て爆笑していたが僕は笑えなかった。 そのころ、珍スポットや探偵ナイトスクープのパラダイス系というポップにくくる言葉がなかったので、ただ、変わった家だったのだ。
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