「まちを変える」は諦めた。今の積み重ねの先に変わるものだと思うから。
宮津には昔から一刻だけしか干さない干物がありました。
一夜干しであれば一晩(魚の種類などの条件にもよりますが、6時間程度)であるのに対して、一刻干しは1〜2時間だけ干します。
今回取材したカネマスの5代目社長である谷口嘉一さんは、宮津で食べられている一刻だけ干す干物を「一刻干し」と名づけ、宮津の外の人にも知ってもらえるようにブランド化しました。
ただ挑戦する時には常に壁があるものです。
カネマスの取材では、普段は見えないそんな「壁にぶつかっている人の声」を聞けた貴重な取材でした。
一刻干しとは
魚を食べる文化のある地域では、保存のために干物を作ることは一般的に行われています。ですが「一刻干し」は保存のためではなく、旨味を引き出すことを狙っています。
つまり美味しく食べるために干すという考え方です。
カネマスの一刻干しの作り方はこうです。
まずは身を開いて水できれいに洗います。そして「薄塩水」に30分ほど漬けます。薄塩水とは根昆布の出汁・海塩・純米酒・米酢と宮津の地下水を混ぜて作ったものです。
そして冷風にあてて1〜2時間だけ干します。朝に水揚げされた魚が、同じ日の昼までには干し終わっている、それが一刻干しです。
一刻干しの見た目は、まさに干物と生魚の中間のような感じ。
味は干物のように濃いながらも、生魚を焼いたかのようなふわっとした食感が残っています。
地元の食材で宮津に人を呼びたい
明治2年に創業したカネマス。元々は乾物、例えば「乾燥わかめ」や「干しぜんまい」の卸売をしていた会社です。
そんなカネマスが一刻干しを取り扱うようになったのは、5代目の谷口さんが継いでから。
一見すると乾燥わかめや干しぜんまいと同じ「乾物」のラインナップが増えただけのようにも見えますが、ビジネスモデルが全然違います。
これまで取り扱っていた乾物は卸売、つまり誰かから仕入れて誰かに売る、というビジネスモデルです。一方で一刻干しはカネマスで生産もしています。
そのため同じように見えても、全然違う商材なのです。この一刻干しを取り扱おうと思った理由を学生が聞きました。
「なぜ一刻干しを売りだそうと思ったんですか?」
谷口さん:理由は2つあります。ひとつは、宮津にはいいモノが沢山あるんですが、商品化されておらず、人の手に届きにくいものが多いんです。
なので自分たちが今までの経験を活かして広めることができそうな商品を扱おうと思ったのが理由です。
もうひとつの理由は人がわざわざ宮津にまでやって来て食べようと思えるものを扱いたいと思ったことです。
一刻干しは元々地元にあった食べ方ですし、これを出せば宮津まで一刻干しを食べに人が来てくれるのではないかと思ったのがもう一つの理由です。
「自分の役割」は「実現する」もの
5代目を継ぐ前までは東京で食器などの営業をしていたという谷口さん。どういったきっかけで地元に戻ってきたのでしょうか?
「実家を継ごうと思ったきっかけってありますか?」
谷口さん:特にないですね、きっかけっていうのは。
継ぐ気はなかったんです。
帰ろうかなと思って帰ったら継いでました。
「そんな流れで社長になったら大変なんじゃないですか?」
谷口さん:思った以上に、大変ですね。
大学生のみなさんもこれから働くってなったときに、それぞれ役割ができてくると思うんです。
例えば自分みたいに明日社長になるとするじゃないですか。そしたら「できる」「できない」ではなく、「何とかしてできるようにする」ということだと思うんです。
だから自分も社長の役割を果たそうとしています。
「社長になって一番大変なことってなんですか?」
例えば東京に一刻干しを持って行くと、そもそも京都に海があるってことを知らない人が多いんです。どんなに美味しくても知名度がないと買ってくれないんです。
なのでまずは「一刻干し」を知ってもらう必要がある、そこが思っていた以上に苦労しています。
ブランドを広めたい気持ちと守りたい気持ちの間
カネマスのコンセプトは「旬の魚の一刻干しを出す」こと。
冷凍しなければ3,4日で食べられなくなってしまう一刻干し。谷口さんは、一番美味しく一刻干しを味わってもらうために、どれだけお客さんがいても新鮮な魚が取れなければお店は開けないというこだわりがあります。
しかしそれは同時に利益のチャンスを逃している、ということの裏返しでもあります。
「利益とこだわり、どっちを優先したいと思っていますか?」
谷口さん:社長として利益は絶対に譲れないです。でも一刻干しのこだわりも捨てられない。
この両立は長年の課題なんですが、今考えているのは宮津だけじゃなくて京都市内にももう1店舗出すことです。京都市内のお店はカネマスでも販売している冷凍の一刻干しを使って安定的に提供できるようにしようと思ってるんです。
宮津が最上級の一刻干しを味わえるお店だとしたら、京都市内のお店は気軽に一刻干しを食べられるお店。このふたつがあることで「こだわりたい」という想いと「一刻干しを広めたい」という目標が効率よく達成できると考えています。
唯一無二のものを扱い始める
「谷口さんが先の4代のやり方と比べて一番変えたことはなんですか?」
谷口さん:4代目までは通常の卸売、つまりどこでも売っている商品を販売していました。
でも一刻干しはカネマスでしか売っていない。うちならではのものを始めたのが一番の違いですね。
「新しいやり方を始めると聞くと、先代との対立がよくあるイメージですが、いかがですか?」
谷口さん:それは結構あります。やっぱり理解してもらうのはなかなか難しいですね。
多分、その、あたたかい目で見てくれてはいるんだろうなと思うんですけど、口ではけっこうきついこと言われることもあります。
そしたらこっちも「なにくそ」って感じでやったり。親子である以上に男同士である、というところが難しいところな気がしますね。
それに自分はA型で父がB型なので笑
もはや意地。
聞けば聞くほど苦労をしていることが伝わってくる谷口さんのお話。ただここで一つ疑問に思うことがあります。それはなぜ挑戦することを止めないのでしょうか?
「社長としてやっていく中でこれが楽しいとか、一番楽しいって思う瞬間ってありますか?」
谷口さん:楽しいこと?それはないんですよ。
谷口さん:つらいと思うことしかないんです。
「なぜ続けられるんですか?モチベーションはどこから来るんですか?」
谷口さん:やっぱり自分で始めたことなので、負けるのは嫌なんです。もう論理じゃなくて意地みたいな感じですね。
最初、宮津に戻ってきた時は「自分がこのまちを変えてやる!」くらいには思っていたんです。でもその気持もだんだんと薄れていって、やっぱり一人の力だけでまちを変えるのは難しい。
色々な人の力を借りてやらないとまち全体を変えるようなことはできないと思います。8年前の戻ってきた時よりも今は30代、40代、50代と各世代に宮津をどうにかしたいって考えている人が揃ってきたので動き出しています。
なので自分が戻ってきたばかりの時とは全然違いますね。
それに今は「宮津を変えたい」という思いではなく、自分がやっている「一刻干しを広める」という活動が結果的に宮津のために、丹後のためになればいい。そんな風に考えが変わってきました。
編集後記
東日本大震災のボランティアセンターで活動していた人の言葉で印象的だった言葉があります。その人はビーチクリーンという海岸のゴミを拾う活動をイベントとして、誰も参加しない日も続けていました。
「なぜ参加者が0なのにイベントをするんですか?」
と聞くと、
「参加者が0人でも今日イベントをした、という事実には変わりない。イベントをした事実があれば、次は参加する人が来るかもしれない。」
と答えてくれました。
谷口さんのお話を聞いていたら、この話を思い出しました。最初は「宮津を変えてやる!」という意気込みで始めた一刻干し。ですが当初予想していた以上に、壁は高く硬く大きくありました。
だからといって諦めるのではなく、楽しくなくても、もはや意地と表現するくらいになっても続ける。
「挑戦する」
と言うとカッコいい姿を想像しがちですが、実際は上手くいかない場合の方が多くあります。でも、そんな上手くいかない時を潜り抜けた先で初めて成功することができます。
学生たちには、そんな挑戦している過程の生の声を届けることができてとても良かったと思います。
■カネマスについて…
社名:カネマス
問い合わせ(電話):0772−22−3297
問い合わせ(FAX):0772−22−0369
E-mail:hakariuri@kanemasu-taniguchi.com
カネマスの七輪焼き住所:〒626-0003
京都府宮津市漁師1711
公式サイト:http://kanemasu-taniguchi.com/index.html
齋藤和輝
ライター・木こり