10年か前のこと。京大の某研究科某ラボに、バイトで雇われた。
意識も実力も高くて、面食らった。輪講の後のランチの雑談のネタが、その日の輪講の内容だった。
それまでに、目にしてきた大人達よりも凄かった。
作業の手順について、1個憶えて以前のことを確認する程度のレベルだったが、5,6手先を読んで作業を進める感じで、生活の全ての段取りがいいような人達が、多かった。
ルート混じりの分数の計算なんて、普通筆算で何回も書くと思うけれど、ソラで出来るぐらいの暗算能力とか、僕が知っている出張先などで同行・案内すると『あ。道憶えたわ』『昔、視力検査の表が紙だったときは、全部憶えちゃったよね』的なエピソードをしていた。
雑用をするぐらいが、せいぜいだった。頭脳労働以外の仕事もラボ内では、豊富だった。なぜか、パソコンが何人か苦手な人がいたので、或いは、エディタ宗教上の理由で自分の方が多少は知識があることがあって、サポート的な仕事は出来た。
秘書の人も、時給が1000円程度でTOEIC800点超えとか普通にいて、不思議だった。
新人が入って来たり、転職して僕以外のバイトの人が入ってきても
「○○クンって、出来るの?」「××大出てるみたいだよ」みたいな会話がされていたり。なんか、競争意識みたいなものがあって、なあなあではなかった。
夜、遅くまで働いていた時はあったが、昼食はゆっくりと取れて良かった。
美味しい食事処があった。先日、何年か振りに百万遍近くの美味しいお店にいったら、まだ、お店の人が顔を覚えていてくれた。今は、どこにいるんですか?と聞かれたがとても人に話せるようなことはしていないので、「大阪の○○です」と住んでるところを答えた。ホントは出世先を言えたら良かったのに。
その時は、本当にのんびりしていて、なんか周りの人はサクサク勉強していたが、自分は何をどれだけやればいいのかが、分からなかった。
学部卒で、不充分で。学術的なことは、何もかも分からずにいた。
土日に少し、実験をするようにもなったりパソコンの管理もするようになった。だんだん、上の人が抜けていった。研究職以外の道に進む人もいれば、博士課程が終わってからもポスドクとして残る人もいた。弁理士とか医学部再受験をする人もいて、元来の優秀さが伝わって来た。
京大の上下関係というか、教授の元教え子の人が更に京大の教授をやっているというところもあって、なんだか、自分には理解不能だった。優秀な人は40才未満のうちに教授になり、その時の院生が、外部に出て戻って来て別の分野で教授をやっているとか。地方国公立大では、なかなかお目にかかれないぐらい採用パターンで教員が採用されている。先生の数ももちろん多かった。
たまに、留学生もみた。インターナショナルなんだという感じで、英語できなくても、多少の挨拶ぐらいは出来たり、英語出来なくても笑顔で乗り切るが。研究の話になると、みんな英語でやっていてスゲーなーって感じでまいった。
本当にアホだった。あの時の暇な時間。30代の時の自分の時間の過ごし方、考えておけば良かった。バイトの掛け持ちをしていたが。そんなことしないで、大学を入り直すぐらいの気持ちで勉強することが出来なかった。
自分と周りの人との実力が余りにかけ離れていて。
それでも、優しい院生や研究員の人がいて仕事がやりやすい面もあった。
きついことは、それほど無かった。だけど、企業で就労する機会は失っていったのかな。
まとまらないけど、なんか、それまで高校の教育実習生とか新卒の高校の先生で京大出身の人を見たことがあったが、まるで違っていた。学者っぽい勉強オンリーのガリ勉というイメージから、血の通った能吏という感じだった。世界の拡がりみたいなのが分かった気がする。。。
働いた経験があっても、何か胸を張ってこれがやれたという実感がないというか、掴んだような掴まないような不思議な時間を過ごした。必死になっては、働いたけれど。どうだったんだろうか。
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