LGBTPZNの攻撃性は、ある時はLGBTに向けられ、またある時はアングロサクソン的なペドフィリア弾圧に向けられる。前者は、LGBTがPZNを切り捨てる冷酷な既得権益集団であるという見方である。後者は、ペドフィリアに対する攻撃を、海外の価値観の輸入による内政干渉とみなす見方である。
私はこれらの立場には与していない。わが国のLGBTは既得権益ではないし、いまだ決して安全ではない。海外の価値観を否定することでナショナリズムを称揚することにも反対である。
ここで、マジョリベーション (majoribation) という用語を紹介したい。これは majority と masturbation の造語であり、「私たちはあいつらみたいなキチガイじゃなくてよかったね」という、エンターテイメントとしての相互確認のことである。
マジョリベーションに回収された攻撃性は遊戯的でない。V (vanilla) はもとより、LGBTの当事者でさえ、LGBTの運動家を非難するためにLGBTPZNを援用することがある。しかしながら、当事者と運動の分断を煽ることは、マジョリベーションの常套手段である。
同様に、ナショナリズムに回収された攻撃性も遊戯的でない。私たちは自由闊達に、攻撃したり攻撃しなかったりすべきだ。
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