献立の基本は一汁三菜。
私たちはあまりにも長いあいだ、この思い込みにとらわれてきたのではないだろうか?
土井善晴さんという料理研究家がいる。1957年、大阪府生まれ。「きょうの料理」「おかずのクッキング」といった人気料理番組のメイン講師を長年務める大ベテランだ。
その土井さんが「三菜じゃなくていい」「家で作る料理はおいしくなくてもいい」と言う。なぜか? 作る人と食べる人、皆が幸せになれる家庭料理の在り方を丹念に検証した最新の著書『一汁一菜でよいという提案』について話を聞いた。
料理研究家 土井善晴さん
一汁一菜の食事スタイル。撮影:土井善晴
■日本の家庭料理のハードルはなぜこんなに高くなった?
――土井さんが提案している「一汁一菜」という食事スタイルについて教えてください。
ご飯を炊いて、あとは具だくさんのお汁を作ったら十分。家庭の料理は毎日、毎食、この一汁一菜でいいんです、という提案です。料理を作ることを義務だと感じている人、毎日の献立を考えるのが大変だという人にこそこれを実践してほしい。基本はご飯と、みそ汁。毎食これだけでもちゃんと健康は維持できるんです。
献立の基本形は「一汁三菜」だと長いこと言われてきました。でも私はその常識をずっと疑っていたんですね。一汁三菜の成り立ちについて調べてみると、そもそもは神様へのお供えであり、お公家さんが食べるハレの日の料理なんですよ。ところがいつのまにかそれが和食の基本だと誤解されるようになってしまった。
一方で、高度経済成長期以降の日本では、アメリカナイズされた豊かな食卓が庶民の憧れとされるようになりました。専業主婦の女性たちは目をキラキラさせて料理学校に通って、そこで覚えた新しい料理を家で披露するのが「いいお母さんの鑑」とされていたんですね。こういった要素が組み合わさって、家庭料理のハードルがだんだんと上がってしまったのが今の日本の食卓なんです。
でも毎回の食卓で一汁三菜、つまりおかず3つを作るって大変なことですよ。そこに使う時間、エネルギー、発想力、献立のバランスと統制力を考えたら、できなくって当たり前。専業主婦のお母さんでも大変だし、仕事をしながらだったらなおさら無理でしょう。そうなったら三つ星レストランのシェフより忙しいかもわからんかも(笑)。
つまり絶対にできないようなことを要求されているのが、今の日本の女性たちなんです。男女平等といわれながらも、やっぱり女性のほうが家庭に対してより強く責任を感じているから、どうしてもそうなってしまうんですね。奥さんが家にいる男の人は、女性たちがそういうプレッシャーを感じていることをあまり知らない。
食べ物が体を作っていることを実感させられる、心身ともに健康的で若々しい土井さん
■手間はたんなる労力、おいしさとは比例しない
――土井さんご自身が「女性のほうが家庭に対して責任を強く感じている」と考えるようになったきっかけはなんでしたか?
私ね、ちょっと前から時間が空いたときなんかに、「大人の食育」というテーマで勉強会を開き、ボランティアで料理を教えていたんですよ。
そこに来た既婚女性や、子育て中の女性たちが「晩御飯の献立で何を作ればいいかわからない」って口を揃えて言うんです。そのときの私にはそれがそんなに深刻な悩みだとわからなくて、「そんなのよく考えたらええねん」なんて言っていた。
でもよくよく話を聞いてみると、今の人たちってごちそうが家にある状態を当たり前だと思っているんです。お寿司とかお肉とか、口に入れた瞬間に「おいしい!」って感じるようなごちそうを、お父さんも子どもたちもみんな食べたがる。お母さんが全部手作りでその声に応えようとしたら大変なことになりますよ。
――「『料理はやっぱり"ひと手間"ですよね』とはよく聞かれる言葉ですが、それは労力を褒めているのであって、必ずしもおいしさにつながるものではありません」(『一汁一菜でよいという提案』)と書かれていますが、手間が美徳とされている風潮は確かにありますね。
家庭料理は、当たり前の下ごしらえ以上に手を掛ける必要はないんです。手を掛ければ手数が増えるので、その分だけ食材が傷んでしまう。ひと手間掛けることを愛情だと誤解している人が大勢いますけど、それは自分で料理のハードルを上げて自分を苦しめているだけ。
心をこめて飾り立てるハレの日の料理と、日常の料理を一緒くたにする必要はないんです。家庭料理がいつもごちそうである必要はないし、いつもおいしくある必要もない。
――おいしさすら重要でない?
家庭の料理には教育機能が備わっています。たとえば、子どもがお母さんに料理を作ってもらうとき、一回の食事だけでも膨大な情報がやり取りされています。子どもは野菜を切ったり炒めたりする音を聞き、その匂いを嗅ぎ、食べて「おいしい」「今日のみそ汁はしょっぱい」と味の感想や違いを言ったりする。
意識していなくても子どもは食べる経験を通してたくさんのことを教わり、親からの愛情を受け取っている。その繰り返しが情緒を育みます。
作る側と食べる側。料理にはこの両面があります。作り手が気を張って手間暇かけた料理を出すよりも、「今日はこれしかないからごめんね~」と笑って出してくれる料理のほうが家族はみんな幸せになれる。
ご飯を炊いて、そのあいだにおかずを兼ねた具だくさんのみそ汁を作れば5分、10分で一汁一菜の食事が完成します。みそ汁の具は何を入れてもいい。これなら誰でも作れるし、毎日続けられます。男女の区別もありません。
「おいしい」って舌先で味わうものばかりじゃない。食べた後に「なんだか体の中がきれいになった気がする」と感じたこと、あるでしょう? 口の中に入れて体から出て行くまでが「食べる」という行為だとしたら、細胞のひとつひとつが喜ぶような、「心地良い」というおいしさもある。一汁一菜はその柱となる食事のスタイルなんです。
毎日基本の「一汁一菜」を作ることに、男女の区別はないと語る土井さん
■この本は男性にも届けばいいなぁと思って書いた
――共働き家庭の増加によって、日常的に料理をする男性も増えてきています。『一汁一菜でよいという提案』の思想に共感する男性の声もSNSでは多く見受けられました。
ああ、それは嬉しいですね。私はこの本をそういうところに届けばいいなぁと思っていたんです。前半部分はとにかく大変な女性たちを救いたいという気持ちで書きましたけど、後半では「科学的根拠はなんだ」「出典はどこだ」とすぐ考えがちな男性読者にも納得してもらえる材料を提示したつもりです。1冊全部読んでもらったら伝わるやろう、って。
――手早く作れる一人分のみそ汁レシピの他に、一人で食べるならお膳を使うという楽しみかたもあるなど、「一人で食べることが多い人」への提案もありますね。
そうそう、独身の人だって同じですよ。一汁一菜は誰でも簡単に応用できる食事の形ですから独身でも既婚でも関係ない。お膳を使うと食事というものにちゃんと向き合える、清らかな空間がそこにできるんです。それが自分の心の置き場にもなる。料理をすることで、自分を大切にしてください。
ひとつ予想外だったのは、毎日のごはんを一汁一菜にすると決めた人が「今晩のおかずどうしよう」という義務感から解放されたことで、逆にすっごく料理をする気が湧いてきて楽しく作るようになった、という話(笑)。結構聞くんですよ。そういう反応は想像できなかったと言うか、思わぬ副産物やったと思いますね。
「料理をすることは、自分を大切にすること」と土井さんは笑顔で言う
■家庭料理にイデオロギーはいらない、どこまでも自由でいい
――ご飯とみそ汁というスタイルは和食ならではですが、一汁一菜のスタイルは日本以外の国でも応用できそうでしょうか?
もちろん。たとえばフランスなら野菜スープをベースにして、あとはパンやチーズ、果物なんかがあれば十分。日曜に家族が集まったときに作ったローストの残りを、ちょっと食べるくらいで。どこの国にも毎日食べても飽きない基本の料理が必ずあるんですよ。それは絶対にすべての民族が持っているはず。それでないとやってられないでしょ。
米もみそも自然が作ったものだから飽きないんです。でも頑なにそこにこだわらなくていい。ご飯がパンやパスタに、みそ汁が野菜スープに変わっても一汁一菜はできる。好きなもの、あるものを食べればいいんですよ。
パスタにみそ汁はおかしいとか、イタリアンはこうあるべきだとか、そういうイデオロギーみたいなことは家の中に持ち込まなくていいんです。
うちのおじいちゃんは100歳くらいまで生きましたけど、ご飯に牛乳かけて食べてましたわ(笑)。家庭料理はそれくらい自由でいいんです。
本の帯は味噌汁の色だという『一汁一菜でよいという提案』
※前編:「『うちの嫁が』と言う男性には違和感しかない」 土井善晴さんが訴える、家の仕事の再認識
(取材・文 阿部花恵)