東京都新宿区神楽坂に本部のある東京理科大学 理数系を核とした私立大学、東京理科大学(東京・新宿)。1881年に創立、夏目漱石の「坊っちゃん」にも登場する東京物理学校を前身とする名門大学だ。理系の各学部は「留年なんて当たり前」といわれるほど単位取得が厳しく、優秀なエンジニアを輩出する大学として企業の評価も高い。ただ、教育研究費のかかる理系中心の私立大学の台所事情は厳しい。アサヒビール(現在のアサヒグループホールディングス)で物流や経営管理部門を担った元アサヒ飲料社長の本山和夫理事長に大学改革をテーマに聞いた。
■本山理事長 振り出しはアサヒの倉庫
「最大のテーマは安定的な経営ですよ。企業の当期純損益に相当する利益率は2005年の15%からほぼゼロになった(17年度は0.2%の予測)。私立大学では研究のコストは全国でトップクラスだからです。研究費は大事ですからそこは削れない。でも赤字が続けば、大学経営もやっていけません」。15年9月に母校の理事長に就任した本山氏、ミッションは明確だ。アサヒ時代に培った経営のノウハウを活用して財務を健全化し、「世界の理科大」に成長させることだ。マサチューセッツ工科大学(MIT)など米欧の理系トップ大学が目標だ。
現在のアサヒグループホールディングスの泉谷直木会長とは同期入社、同社の副社長にまで登り詰めた本山氏。しかし、決して華やかな会社人生ではなかった。花形の営業マンではなく、「入社して配属されたのは西宮の工場の倉庫。主な仕事は労務管理ですよ」という。
本山氏は理工学部で経営工学を専攻。柔道に明け暮れながら、統計学などを学んだ。「一昔前は理科大は厳しい先生が多くて、留年が多いので有名でしたが、まあ、私も4年で卒業できましたからね。今の学生は講義や研究にも熱心だし、留年率も下がっていますよ」と笑う。それでも現在の留年率は約2割だ。
本山氏の大半の同級生は電機メーカーに就職したが、食品メーカーに魅力を感じて1972年にアサヒビールに入った。当時はキリンビールが王者の時代、アサヒは3番手で、長く「夕日ビール」と呼ばれた。しかし、関西を本拠地としているため、「西宮や吹田の工場は忙しかった。ビールはかさばる商品。工場から倉庫、各拠点への配送をスムーズに回すのは至難の業だった」と振り返る。
コンピューターによる在庫管理は徹底していない時代。しかし、上司は「切らしても、余らしてもダメ」と次々無理な要求を強いる。どんなシステムが最適なのか、どうオペレーションしたらいいのか、優先順位を付けながら、常に最適解を探した。その際、理科大で学んだ統計学など経営工学が役に立った。
アサヒビールで副社長を務めた本山和夫理事長 ビール会社の本流は営業・マーケティング部門だ。営業マンは小売店や飲食店を競合他社から奪い合う。テレビCMのコピーが商品の成否を決めた。だが、本山氏は管理部門一筋の道を行く。労務から物流・人事管理。「スーパードライはヒットしたが、常に売れ続けているわけではない。経営トップがコストカットを求めるのは、営業や生産部門ではなく、まず物流・管理部門だった」という。
アサヒの黒子的な存在として経営幹部になった。忍耐を強いられながら、経営管理部門全般も担い、生産性向上に努めた。M&A(合併・買収)も手掛けた。これまでのビジネス人生を糧に理科大学をどう変えるのか。
■無駄なコストは削る
本山氏は、「大学には無駄なコストがかなりあるのでは。誰がいつスタートしたか分からないまま形骸化した事業や施設などがあれば、そういったところを見直す必要がある。一方で必要な教育や研究には投資していく」と語る。アサヒ時代は常にPDCA(計画・実行・評価・改善)サイクルを回し、生産性の向上に努めたが、これを理科大でも実践していく考えだ。
理科大学の学部生は約16600人、大学院生は約3000人で理系中心の大学としてはかなりの規模だ。現在、学部の再編や再配置に乗り出している。同大は理学部(夜間の理学部第2学部もある)、工学部、理工学部、基礎工学部、薬学部そして経営学部で構成されている。東京都心部の神楽坂を核に千葉県の野田や埼玉県の久喜、北海道の長万部にもキャンパスを展開していたが、15年に都内の葛飾区に葛飾キャンパスをオープンし、ここを一大拠点とすることになった。
野田にある薬学部も25年に葛飾に移転することを決めた。また基礎工学部を改組し、新学科も新設する。同学部の1年生は長万部で過ごしていたが、これを解消して葛飾で4年間一貫して学べる体制に改める。長万部は国際交流拠点として見直す。
葛飾の新キャンパスは工学・薬学の中核拠点となるわけだ。理科大には3つの工学系の学部があるが、「きちんと整理整頓する。高校生が受験するときに、工学部と基礎工学部、何が違うのか分かりにくいでしょう。名前も含めて役割を明確にします」(本山氏)という。
■経営学部、都心移転で人気学部に
理科大の新たな拠点となった葛飾キャンパス(東京・葛飾) 経営学部もてこ入れする。「理科大に文系学部があるのか」とその存在を知らない高校生もいたが、埼玉県の久喜にあったキャンパスは閉鎖し、16年に神楽坂に全面移転した。都心移転で知名度が高まり、偏差値も上昇中だ。「MITにも『スローン』という有名なビジネススクールがあります。理系大学で経営を学ぶというのがこれからの主流になりますよ」(本山氏)という。
現在の理科大OBには上場企業の経営者も少なくない。富士通社長の田中達也氏やテラスカイ社長の佐藤秀哉氏、ラックランド社長の望月圭一郎氏、ヤフーの社長を務め、17年に亡くなった井上雅博氏も同大出身だ。
起業家には化粧品口コミサイト、アイスタイル社長の吉松徹郎氏や、サイゼリヤ創業者で会長の正垣泰彦などがいる。メーカーではスズキ社長の鈴木俊宏氏などが代表的な存在だ。一般的にはタレントの楠田枝里子さんや俳優のムロツヨシさん(中退)、数学者で理科大教授の秋山仁氏が有名だ。ノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智氏も大学院は理科大。実は私立大出身者で初めてのノーベル受賞者となる。
理科大卒業者の有名企業への就職率は私立大としては毎年トップクラスだ。厳しい授業や研究で鍛え抜かれた学生は大手メーカーから引っ張りだこだ。本山氏は「もともと理系の大学で卒業生も限られ、エンジニアになる人が多かった。しかし、ここに来て大企業の経営者になる人が増えている」という。
31年に理科大は設立150年を迎える。「日本の理科大学から世界のTUS(TOKYO UNIVERSITY OF SCIENCE)へ。その基盤づくりをするのが私の役割。財務の健全化を進め、学部再編を実行して、研究活動を強化して世界大学ランキングを上げていきたい」と本山氏は語る。「日本版MIT」を目指す理科大学。元アサヒマンの改革はこれからが正念場だ。
(代慶達也)
本コンテンツの無断転載、配信、共有利用を禁止します。