第4話 あなたがヒーロー!?

 小鳥が第11飛行隊に配属されたその日の夜。小鳥は矢本駅の近くにある居酒屋「皐月」にいた。航空自衛隊の基地がある市内には、隊員たちが足繁く通っている、馴染みの料亭や居酒屋があり、ここ皐月もその一つである。今夜は二階の奥にある座敷を貸し切って、小鳥の歓迎会が開かれているのだ。


 貸し切りにした二階の座敷には、十人以上の隊員たちが集まっていて、すき焼きや舟盛りなどの、豊富で豪華な宴会料理で、テーブルは占領されていた。隊員たちはすでに酒に酔っていて上機嫌だ。徳利をマイク代わりに、十八番の曲を熱唱するもいれば、シャツを脱ぎ捨てて上半身裸になり、滑稽な腹踊りをして座敷の大爆笑を誘っている者もいる。


「えっ!? 鷹瀬1尉はアグレッサーからブルーに来たんですか!?」


「桜木。そんなに驚かなくてもいいんじゃないか?」


「驚きますよ! アグレッサーは空自で最強の戦闘機部隊なんですから! すごいです! すごすぎます!」


 小鳥の驚きぶりに苦笑したのは、2番機パイロットの鷹瀬真由人1等空尉だ。タックネームはホーク。甘く整った端正な顔立ちに、襟足をすっきりと整えた暗い柘榴色のショートヘアをした、男性モデル並みのイケメンパイロットである。ゆえに航空祭では、彼のサイン・握手・写真撮影を求める女性ファンたちで、いつも長蛇の列ができるらしい。


「桜木はホークに興味津々だな。やっぱりイケメンだからか? ホーク、おまえも可愛い子に食いつかれて嬉しいだろ」


「ちっ、ちがいます! べつにイケメンだから食いついたわけじゃありません! からかわないでください!」


「そうですよ。言わせてもらいますけれど、ライスさんだって、『桜木って超可愛いな~』ってデレデレしてたじゃないですか」


「おいおいおいっ! それをいまここで言うか!? 普通は言わないよなっ!?」


 タックネームはライスの、4番機パイロットの飯島聡志1等空尉は、真由人に思わぬ反撃をお見舞いされると、子供時代の恥ずかしいエピソードを暴露されたように、激しく動揺した。慌てふためく飯島1尉を見た、鷲尾2佐たちは揃って笑い出し、つられた小鳥も声を上げて笑った。


 和やかな雰囲気に小鳥の心は温かくなる。さすがは協調性を重視する部隊。彼らは偏見を持たずに、小鳥を受け入れてくれた。


 小鳥は航空自衛隊では数少ない女性ファイターパイロットだ。戦闘機部隊に配属された当初は、周囲から白い目で見られていたが、ひがまずに自己研鑽を怠らず、努力を積み重ねることによって、少しずつだがみんなの信頼を得ることができ、そして命を預け合う同志として、認めてもらうことができたのである。


「桜木さん。どこに行くんですか?」


 トイレに行こうと立ち上がった小鳥に声をかけてきたのは、3番機パイロットの藤森晃祐2等空尉だ。藤森2尉が「いてっ!」と声を上げる。どうやら隣に座る、ほろ酔い加減の赤峰1尉に、思いきり頭を叩かれたらしい。


「ぶぁっかやろうっ! 宴会の席でレディーが席を立ったら、静かにお見送りするのが、ジェントルマンのマナーだろうが! ひっく!」


 座敷から出る前に、小鳥はひとつだけ空いている席に目を向けた。ひとつだけ空いているあそこは、5番機パイロットの天羽流星1等空尉が座るはずなのだが、なぜだか彼は宴会の席に姿を見せていなかった。真由人がLINEで「早く来い」と催促したにもかかわらず、流星はまだ姿を見せていないのだ。


「すみません!」


 用を足して洗面台で綺麗に手を洗い、座敷に戻ろうと女子トイレを出たとき、小鳥は隣の男子トイレに入ろうとしていた、数人の男性客の一人に肩をぶつけてしまった。


 肩が軽く触れ合っただけで、因縁をつけられて暴力を振るわれ、最悪の場合は命を奪われるという物騒な時代だ。小鳥はすぐに謝ったが相手は何も言わなかった。ということはとくに不快に思っていないのだろう。一礼してその場から離れようとした小鳥は、いきなり腕を掴まれた。小鳥は肩越しに振り向く。すると薄ら笑いを浮かべた男が、小鳥の腕をしっかりと掴んでいた。


「あの……放してくれませんか?」


 できるだけ穏便に済ませたいので、小鳥は穏やかな口調で腕を掴む男に言った。だが男は小鳥の腕を放そうとはせず、強い力で引っ張ると、彼女を自分のほうに引き寄せた。よく観察してみると、男たちの顔は猿のように赤く、口から吐き出される息は酒臭い。どうやら全員が酒に酔っているようだ。


「お姉ちゃんは松島基地の自衛隊員さんだよな?」


「そうですけれど……それがなにか?」


「めちゃくちゃ可愛いじゃんか。へへっ、ちょっと俺たちと遊んでくれよー」


 小鳥の腕を掴んでいる男は、もう片方の手を滑らせると、彼女の腰を執拗に撫で回してきた。陰湿な手の動きに小鳥の背筋はぞくりと粟立つ。互いに顔を合わせた男たちはにやりと笑い、小鳥を強引に男性トイレの中に押しこんだ。まさかと気づいた小鳥は戦慄する。彼らの目的は一つしかない。トイレの個室で小鳥を乱暴するつもりなのだ。今度は背後から胸を掴まれて揉まれる。小鳥は身を捻らせると、胸を揉む手を振り払った。


「なにをするんですか!? やめてください!」


「うるせぇ! 俺たちはな、おまえらの飛行機が出す騒音を、いつも我慢してやってるんだぞ! おまけにあんな事故を起こして、たくさんの人間を傷つけたくせに、なにもなかったように平気な顔をして空を飛びやがって、腹が立つんだよ! その身体で償わせてやる!」


 彼らが言いたいことは分かるがこちらにも言いぶんはある。小鳥は毅然とした眼差しで男たちを見据えた。


「それは違います! 大切な仲間を失くして、守るべき対象の国民を傷つけてしまったのに、平気な顔をして飛べるわけないじゃないですか! 辛いのはあなたたちだけじゃないんです! わたしたち自衛隊員だって辛いんです! 苦しいんです! 悲しいんです!」


「生意気な女だな! おまえはおとなしくしていればいいんだよ!」


 乱暴に押されて尻餅をついた小鳥の前で、にやりと笑った男は、ジーンズのベルトを外し始めた。仲間の男たちに手足を押さえつけられながらも、小鳥は必死に抵抗する。抵抗をやめない小鳥に苛立ったのか、顔を歪めた男が右手を高く振り上げた。


 小鳥は両目を固くつむり、頬に痛みが弾けるのを覚悟する。だがいくら待っても熱い痛みは頬に落ちてこない。なぜと思った小鳥は恐る恐る両目を開けた。すると男たちの背後に若い青年が立っていて、振り上げられた手を掴んでいたのだ。突然の闖入者に男たちは瞠目して驚いていた。


「……彼女の言うとおりだ。あの事故を痛ましく思っているのは、あんたたちだけじゃない。自衛隊員の誰もが、辛くて苦しい記憶を忘れずに抱えているんだよ。もしものときは、自らの命を捧げてでも、国民を守る義務がある。それは殉職する可能性もあるということだ。そんな覚悟を背負って生きている自衛隊員を、力ずくでレイプして満足か? 満足できるならさっさとやれよ。――なんなら今から俺が、手本を見せてやってもいいんだぜ?」


 強い口調で言った青年は、見る者に戦慄を植えつけるかのような、凄みのある冷笑を唇に浮かべた。どうやら戦慄の冷笑が、男たちの酔いを一気に冷ましたようで、顔面蒼白になった彼らは、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。


「――おい、大丈夫か?」


 涼やかで凜とした低音の声が座りこむ小鳥に問いかけた。悪漢から小鳥を救い出したヒーローは、とても端正な顔立ちをした黒髪の青年だった。黒革のライダースジャケットの下に、胸元が大きく開いたVネックのシャツを身に着けて、ブラックのダメージジーンズを、すらりと伸びた長い両脚に穿いている。


「はっ、はい……」


 小鳥は立ち上がろうとしたが、足が震えてうまく起き上がれない。小鳥の目の前に大きな手が差し出される。見上げるとそれは青年の手だった。小鳥は青年の手を握って立ち上がった。青年にお礼を言おうとした小鳥は、大きな驚きに目を見張る。なぜなら小鳥は青年の顔に見覚えがあったからだ。


「天羽1尉……?」


 小鳥を助けてくれたのは、なんと5番機パイロットの天羽流星1等空尉だったのだ。パイロットスーツを着ていなかったから、すぐには分からなかった。呆けている場合じゃない。相手が誰であれ、助けられたお礼を言わなければ。


「助けてくれて、ありがとうございました」


 小鳥は礼を言ったが流星はなにも言わない。ロシアンブルーのような切れ長の目で小鳥を見つめている。前髪から覗く瞳は、まるで夜空に輝く星のように綺麗で、小鳥は思わず見惚れてしまった。しばらくして流星はゆっくりと唇をほどいた。


「――おまえはあの人の娘だ。だから俺には助ける義務がある」


「えっ? 助ける義務があるって、どういう意味ですか?」


 小鳥の質問に答えることもせず、流星は薄暗い廊下を引き返していった。案山子みたいに突っ立っていても仕方がない。嘆息した小鳥は、宴が開かれている座敷に戻る。戻った座敷に流星はいたが、彼は小鳥と目を合わせることも、話しかけることもせず、さっきの出来事なんてなかったかのように、静かに酒を飲んでいたのだった。

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