21歳。忘れてしまう前に、死んでから2年少し経つ父の話をさせてくれ。
家は二代続いていた自営業で、祖父が亡くなった時に父はサラリーマンをやめ、三代目になったそうだ。
昔はけっこう上手くいってたんだって。儲かって儲かって仕方がなくて、お金を入れてた地元の信用金庫の人からは未だに感謝されてるぐらいだ。儲かったお金は祖父が連帯保証人になってた親戚のせいで吹っ飛んだので俺におこぼれがくることはなかったがな!
でも俺が7才ぐらいのときかな、事業は上手くいかなくなってしまった。石油が値上がりしてな。夫婦仲は最悪になり、毎日喧嘩が聞こえてくるリビングと自室が離れていることが唯一の救いだった。すべてが最悪になってしまい、父は家を避けるように日中仕事場にこもり、帰るなりビールを煽る。高校生のときには家族が見てないところで酔った勢いで殴られてたので父のことは大嫌いだった。縋るように手を出した新事業も失敗。もともと健康だった父は日に日にやつれてしまった。
そんな家庭環境が続いて十数年、転機が訪れる。廃棄木材を大量に譲っていただけるツテが見つかったのだ。これなら石油に頼らずやっていける。でもこの10年で父の身体はボロボロで、病院で貰った血圧の薬をビールで飲む毎日。そんな父に廃材を運んだりバラしたりする体力があるはずも無かった。
そんな父に家族は冷たかった。母は心配するそぶりを見せているが全くそんなつもりはない。最大の関心はジャニーズと毎週のドラマである。上の兄弟は大学生活をエンジョイしてるので家には全く関心がない(しかし母に同調するのが上手かったので母のお気に入りだ。それは今も)。
そう「家族は」と書いたからには俺も含まれる。苦しかった大学受験が終わり、新たにはじまった大学生活は楽しくて楽しくて仕方がなかった。家のクソさに嫌気がさして、大学を理由に門限ギリギリまで外に出て、帰るなり自室にこもる生活だった。
廃材を使い始めて1年。案の定、父は倒れた。倒れているところをお客さんに見つかり、救急車で病院。意識朦朧の父が担架に乗せられたときの「ア、だいじょうぶで……」が最後に聴いた言葉だ。脳出血。なんと植物状態。ここで家族は延命措置を取るか否かを迫られる。
まあここまで読んだらわかると思うが即決だった。
葬式で涙を流しながら親戚と話していた母と兄弟は忘れられない。お前が、いや、俺たちで殺したんだろ。愛情もなく、正直死んでホッとしたと思ってるだろう。生命保険もたくさんかけてて良かったな?ウン千万だってさ
親戚もすべて憎かった。父が家業を継いだ経緯を知ったのは父を殺した少し前のことだ。曽祖父、祖父が死んだとき、ハイエナのように遺産を奪いに来た親戚から必死で家業を守ったのが父だった。サラリーマンをやめ、家業を継ぐから売却しないでくれと。家業は、大企業のエリート営業マンだった父がそれを捨ててまで守りたかったものだったのだ。
俺は父のことが嫌いだが、親戚も同じぐらい嫌いだ。そんな親戚達が「あの人は立派だった」「お前は父に似ている」など涙ながらに語るのでハラワタが煮えくり返りそうだった。
そう、もうすぐ父の遺産が1/4手に入るからその金で家を出るんだ。父が死んでからの家はこれまた最悪で。縁をさっぱり切ろうと思う。大学はまだ一年残ってるけど、まあ何とかなるだろう。
以上。家族の愛を受けて育ってきた人たちが羨ましいぜ。俺は家族も親戚も大嫌いだ。