原田 泰 (早稲田大学政治経済学部教授・東京財団上席研究員)
 日本のリベラルはアベノミクスの第1の矢、大胆な金融緩和、リフレ政策が嫌いらしい。リベラルが、機密保護法や集団的自衛権に反対するのは、そのイデオロギーから言って当然だろうが、なぜリフレ政策に反対するのだろうか。

 リフレ政策のお蔭で経済が拡大している。雇用が良くなっている。増えているのは非正規ばかりと言われていたが、正規の雇用も拡大している。雇用情勢が良くなっているのは大都市だけのことではない。有効求人倍率はどの都道府県でも上昇している。

 人手不足のおかげで、これまで安い人件費で猛烈に人を使っていた企業も、考え直さざるを得ない状況になっている。そもそもブラック企業と評判の立った企業に人が集まらなくなっている。

経済の好転は自殺者も減らす

 自殺者も減っている。景気が良くなれば自殺者も減るとは常識的な判断だが、これは厳密な実証分析でも支持されている。失業や倒産は当然、経済的困窮を通して自殺率を高める。さらに、精神的・肉体的疾病のリスクを高めることによっても自殺率を高める。

 澤田康幸・上田路子・松林哲也『自殺のない社会へ』(有斐閣、2013年)は、著者自身と多くの実証研究を駆使して、経済と自殺の関係を明らかにしている。失業率と自殺の相関関係は、日本の場合、他のOECD諸国に比べても大きく、男性の就業年齢層(35-64歳)では、特に失業率が自殺率を高める。40-50歳代男性の職業別自殺率を見ると、無業者、無業者のうちの失業者において特に高くなっている。国際データ、県別データでの分析によっても、失業率や個人の自己破産率が、男性、特に40-59歳の男性の自殺率の上昇をもたらしているという。

  図は、自殺者数と失業率の関係を示したものだ。自殺者数には警察庁と厚生労働省と2つの統計がある。どちらもほぼ同じ動きをしているのでより直近の数字が分かる警察庁の数字を使っている(図の2014年の数字は、直近時点までの合計値または平均値)。図から、失業率が上がると自殺者が増加し、失業率が下がると自殺者が減少するという関係が明白である(人口が減少しているのだから人口当たりの自殺者数、すなわち自殺率にすべきだ、また、高齢者の自殺率が高いので高齢化で調整した自殺率を使うべきだという批判があるかもしれないが、そうしてもグラフの形は変わらない。厳密な分析は前掲の澤田他著がある)。

 特に、98年の金融危機による大不況によって一挙に上昇し、それまで2万人程度だった自殺者が3万人に跳ね上がったことが印象的である。もちろん、経済情勢が悪くなってから自殺に追い込まれるまで時間がかかるようであり、原因は経済的問題ばかりではない。しかし、それでも3万人の自殺者が1万人減るという効果がある。自殺をする人々のすべてをどうしたら救えるかはよく分からないが、経済が良くなれば自殺者の3分の1の人は救うことができるのだ。経済が良くなることの恩恵は大きい。

雇用拡大は格差を縮小させる

 リフレは格差も縮小させる。1990年代の前半まで、日本では若者の格差がほとんどなかったのに、90年代末以降、若者の格差が拡大するようになった。そうなったのは、正社員になれた若者とフリーターのままの若者の所得格差が大きかったからだ。正社員同士の格差より、正社員とフリーターの格差の方が大きいから、正社員になれない若者の比率が高まれば、所得格差は拡大する。

 若者が正社員とフリーターに分化した最も大きな理由は、80年代は景気が良くて、90年代以降は景気が悪かったからだ。景気が良ければ、より高い比率の若者が正社員になれ、悪ければ、より低い比率の若者しか正社員になれないし、若年失業者も増える。ところが、2009年のデータでは格差が縮小している。小泉政権下で、不十分ながらもリフレ政策-2001年から06年まで続いた量的緩和政策-が行われて景気が良く、若者の就職状況が良かったことの恩恵が09年でも続いていたからだ。すなわち、景気回復が格差を縮小させたのである(原田泰『日本を救ったリフレ派経済学(仮題)』日本経済新聞社、2014年11月刊行予定、図1-7参照)。

安倍政権下の本格的なリフレ政策なら、さらに若者の雇用が改善し、若者の格差が縮小するだろう。若者の格差は、持ち越される。20代で安定した仕事に就けた若者とそうではなかった若者の格差は30代になっても続く。不安定な仕事にしか就けなかった若者は年金も少ないので、格差は高齢者になっても続く。リフレ政策は、すべての年代での格差を縮小することができる。

リフレ政策の恩恵

 リフレ政策はあらゆる雇用を拡大させる。ブラック企業を減少させる。自殺者も減らす。格差も縮小させる。これらは、リベラルと言われる人々の望むものだと私は思う(私はリベラルではないが、私も望んでいるものだ)。少なくとも、アメリカでリベラルと言われる人々-プリンストン大学のポール・クルーグマン教授(同教授のニューヨークタイムズの連載コラムのタイトルは「リベラルの良心」である)やコロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授など-は、雇用拡大のために金融を緩和せよと論じている。ところが、日本のリベラルは金融緩和に反対である。

 なぜ、そうなのだろうか。考えられる第1は、リベラルではない安倍政権になって、リフレ政策が成功したら嫌だから反対しているという答えである。しかし、うまくいったらどうするのか。そもそも、民主党というリベラル派の政権ができたのだから、その時にリフレ政策を行っていれば良かった。誰がやっても、リフレ政策は効果があって、雇用情勢は改善する。もちろん、リーマンショック後まもなくだから、すぐには良くならなかったかもしれないが、何もしないよりはずっと良かったはずだ。

 第2は、成功したら、自分たちが攻撃している問題が少なくなって攻撃のネタに困るという答えである。しかし、これにも成功したらどうするのかという問題がある。第3は、今はうまくいったように見えても将来はもっと悪くなると考えているからだという答えである。将来もっと悪くなるというのは、ハイパーインフレになるということだろうが、アベノミクスの大胆な金融緩和には消費者物価で2%という上限がついている。もっと悪いことが起きなかったらどうするのか。

 社会党は、資本主義ではうまくいかない、社会主義にしなければダメだと言い続けて、壊滅状態になった。私は、雇用拡大、ブラック企業・自殺者減少、格差縮小に賛成なので、それに賛同してくれる人たちが減らない方が良いと思っている。リフレの政策の成功で、リベラル派が壊滅状態になるのではないかと、他人事ながら心配である。

 ただし、朝日新聞(2014年8月25日)のアベノミクスを批判した社説では、リフレ政策への批判がなく、アベノミクスは、市場経済重視の姿勢であるかのようで、実は、賃金を上げろ、投資を増やせ、女性を活用しろと、企業が自ら決めるべきことに介入しているからダメだという批判になっている。反市場主義派が、市場主義派の論理を使ってアベノミクスを批判している。私は、市場主義派のエコノミストなので、市場主義派の論理をより広範な人々が使ってくれることは嬉しい。