LGBTPZN Advent Calendar 2016 参加記事。
前項で砂鉄はなんとか片付いた。本稿はあおいんについて考える。
2016年11月23日の砂鉄事件に対するあおいん (aoiiiin) のツイートは以下。RTといいねは12月4日時点、ただしツイート2は12月5日調べ。
- そんな運動あるのかと思い調べたらツイッター発の実体のない運動だったうえに架空の社団法人Webサイトが立ち上がっていてゾッとした http://lgbtpzn.org/about.html (理事に山形福祉大学云々と書いてあるけど実在しないし他の会社も実在しない模様)(11月25日、433 RT、215いいね)
- 一見新しいタイプの活動で面白いじゃんって思うかもしれないけど、この砂鉄氏の発言が典型例で、人権活動家への攻撃材料として架空の人権活動が作られてるわけだから非常にたちが悪いと思いました。(11月25日、338 RT、170いいね)
- 反応をチラ見したら、このLGBTPZNなる概念も最初は所謂ネタのつもりだったようですね。でもLGBT問題を安易にネタにすることの意味が分からないはずもなかろうし、事後的に揶揄的な文脈を帯びていた以上は加害性に言及せねばとは思ったのですが…思ったより反響があってビックリ。(11月27日、23 RT、10いいね)
あおいんのツイート1が443 RTなのは驚くべきことで、砂鉄がLGBTPZNに言及した3件のツイートのRT数の合計が469であるので、単独のツイートでほとんどそれに匹敵している。後世の歴史家は、2016年11月の事件を砂鉄事件と呼ぶべきか、それともあおいん事件と呼ぶべきか、頭を悩ませるだろう。あおいんのツイート1が443 RTされたことで、LGBTPZNアンチの話題の中心が「架空の社団法人」になったという影響もある。
ツイート3、「LGBT問題を安易にネタにすることの意味が分からないはずもなかろう」とは言うが、ネタにするだけで危険になる言葉など存在するだろうか? 「LGBT」という言葉を唱えるだけで危険になるならば、「LGBTPZN」という代替の語が必要なことを示す最大の証左になる。さらに言えば、言及することと「ネタにする」ことは区分可能だろうか? 周囲の反応を恐れて、いつもへらへら笑いを浮かべながらでなければ言葉を発することができない人が、何か言葉を発するならば、それは「安易にネタにする」ことと区分できない。
一般社団法人LGBTPZN協会設立準備会は「架空の社団法人」だろうか? 設立準備会を自称し、わが国において歴史的に同性愛のシンボルであった「菊」をシンボルマークとしているウェブサイトが。あおいんとLGBTPZNアンチたちは、「山形福祉大学」と、他の株式会社および社会福祉法人が実在しないことを問題にした。しかしながら、あなたがたの権威と信用は、一般社団法人、株式会社、大学、社会福祉法人を源泉にしているのだろうか? それこそ、LGBTが権威であり特権階級であることを、自ら認めることになる。
一般社団法人LGBTPZN協会設立準備会のウェブサイトは、11月27日、フィデル・カストロの肖像を掲げて、降参の意を示した。LGBTに対する「加害性」と、鼻歌交じりに向きあった結果である。
では、LGBTは、その言葉を口にする者によって、権威と信用のために利用されたことはないだろうか? それは、おそらく、LGBTの当事者が最も望んでいなかったことである。