凍った脳みそ

第5回 白いモビルスーツ(3)

2016.08.15更新

 滅菌するために天日に干したギターアンプは、日光の熱によって熱々に温まっていた。ぬくぬくとスタジオ内で繁茂していたカビ菌たちもさぞや驚いたことだろう。

 井の中の蛙ならぬスタジオ内の菌類である君たちには知る由もないことだけれども、ここから約一億四千九百六十万キロメートルという途方もなく離れた場所に、ギャインギャインに燃え盛る水素とヘリウムでできた天体があるのだよ。当たり前だけれども、君たち菌類の想像する一般的な熱さの、百万倍は熱い。我々人類でも日向に一日出ていたら、肌が赤く腫れ上がるくらいのパワーで、その熱エネルギーや光エネルギーを人類の暮らしに役立てよう、というような試みも世界各地で行われ、圧倒的なエネルギー量によって大成功を収めているのだ。しかも、ほぼ無尽蔵ときている。恐ろしさと有り難さ、そういったアンビバレントな要素を持つ天体なのだ、太陽は。ゆえに、場所によっては信仰の対象になっている。覚えておきたまえ。そして、人類の辞書には「盛者必衰」という言葉があるのだよ、カビ諸君。菌類の天下もこれまでだ。君たちの残党がまだ我が軍の根城に潜伏し、謀議を重ね、復活の機をうかがっていることを我々は察知している。誠に無慈悲なことではあるが、我が軍は君たちを殲滅せしむるべく、ここにアルコールの再散布を宣言する。投降する者はスタジオの外に出たまえ。と、俺はつぶやきながらスタジオ内に戻って、スタジオ壁面の幅木にもう一度、アルコールスプレーを散布した。

 これがコールドブレイン史に残るカビ反乱軍の最期であった。

 その後、大事をとって、室外用のカビ止め塗料を幅木に塗りつけることにした。買ってきた品はなにしろ室外用なので、カビを抑え込む効力が桁違いだろう。それを俺は贅沢にも、室内にたっぷりと塗布するのだ。むひひ。俺は透明な塗料を刷毛にたっぷりとつけて、スタジオ内の幅木をぐるりと塗装してまわった。低姿勢をキープしなければならない重労働だったが、これでカビ害に合わずに済むと考えると、とても清々しい気持ちになった。あまりに清々しいので二度塗りしてしまった。

 その後、屋外に出て、天日に干してあったギターアンプのところへ行き、まずは二枚の背板をアルコールで丁寧に拭いてから、屋外用のカビ止め塗料を背板にまんべんなく塗った。そして、配線やスピーカーに気をつけながら、ギターアンプの内外の木製部も同様に塗装を施して、背板を元通りに取り付けたのだった。

 しかし、カビ菌だけでなくギターアンプも、まさか天日に干されるとは思わなかっただろう。大体、ギターアンプを天日に干して良いのか悪いのか、というところを俺は知らない。もしかしたら、説明書に「天日に干さないでください」と書いてあるのかもしれない。段ボールの外箱に「天日無用」と赤い字でプリントしてあったような気もするし、プリントしてなかったような気もする。そんなことはまるで気にせず、外箱は造作もなく廃棄してしまった。

 思えば、製造物責任(PL)法という法律ができてからというもの、炬燵をひっくり返して餅を焼いてはいけません、みたいな、特別に書き記さなくても一般常識を持ち合わせていればやらないことまで説明書に記されるようになった。それでも「本体は食べられません」と炬燵の説明書には書かれていない。ということは、アンプメーカーが、ギターアンプは食べ物ではない、という当たり前の事柄と同様に「天日に干す」という行為を捉えて、そんなアホはいるはずがないと説明書や外箱に「天日干し禁止」を明記していない可能性がある。つまり、説明書に表記されていなかったとしても、少しも不安が解消されないということに俺は気がついた。次いで、説明書は遠のむかしに読みもしないで捨てたことを思い出した。ギターアンプの使い方など、プロのミュージシャンである自分にとっては感覚だけで如何様にもなるものなのだ、説明など要らぬわ、ぐへへ、という慢心の為せる業だった。

 俺は蕩けるチーズが蕩けるくらいに温まったギターアンプを、階段前の廊下に運んで、煮物の粗熱を取ってから冷蔵庫にしまうような感覚で、しばらく置いてからスタジオ内に戻した。そして、とても不安な気持ちになった。

 灼熱の太陽からの光でほかほかを通り越して熱々になったギターアンプは、元通りに音が出るのだろうか。回路がショートするなどして、電気を通すなり爆発するという可能性も考えられた。恐ろしい。そういった事故の可能性を知りたいが、肝心の説明書がない。こういう場合はメーカーに問い合わせるしかないだろう。ところが、VOXというアンプはイギリスの会社が製造している。日本での販売はシンセサイザーなどで有名なKORGという会社が代理店になっている。なので、俺はKORG社に電話をすることになる。まずは電話受付の方に用件を聞かれて、わけあってアンプを天日に干したのだけれども元通りに使えるのか知りたい、ということを伝えねばなるまい。すると、まあ、電話受付の方はアンプのプロフェッショナルではないので、担当にお繋ぎします、ということになる。俺は、トラブルシューティングの担当者が受話器を取るのを待つ。その間、KORGの社内はきっとザワザワするだろう。なぜならば、アンプを天日に干す、みたいな行為には前例がなく、どの部署に問い合わせていいのか電話受付の担当者には判断ができず、隣の席の同僚、事務方、上司、などに尋ねるからだ。「天日に干すなんてバカじゃん」みたいな正論を言い出すヤツがいたり、なかには俺のことを嘲笑する輩も出たりするだろう。即座に電話を切るべきだと進言するアルバイト社員が現れるかもしれない。そんな状況を想像しながら、担当者が電話に出るのを待っていれば、俺の精神は内側にめり込んで、永久凍土のなかで氷漬けにされたマンモスのようになってしまうだろう。

 アンプに残る太陽のぬくもりとは裏腹に、冷たい妄想に捉えられた俺の脳みそはキンキンに冷えてゆくのであった。

 さらに、悪いことは重なるもので、おそらくKORGの社員では天日干しの可否については判断がつかないのではないかと俺は思う。なにしろ、俺のギターアンプはKORG社製ではない。自社製品でもないアンプについて、天日に干しても大丈夫か、という奇矯な質問を受けても、アフターケアの担当者は答えようがないだろう。様々な部署をたらい回しにされて、挙句、代理店の我が社では手に負えない案件なのでVOX本社に問い合わせください、ということになるはずだ。これは仕方のないことだ。面倒だけれど、本社に電話してみよう。しかし、俺は英会話がそれほど得意ではない。海外のバンドと共演したり、一緒にスタジオに入って録音をしたりという機会が過去に何度かあったので、物怖じせずに話しかけるくらいの度胸は持ち合わせているが、これが電話となるとハードルがうんと上がる。ハードルだと思っていたら棒高跳びでした、というくらい、相手の顔が見えない電話での英会話は難しい。これはまずい。となると、語学に秀でた友人に事情を説明して、代わりに電話してもらうしかない。けれども、スタジオを数週間放ったらかして置いたらカビがガビガビに繁殖してしまって、どうにもならなくなったのでギターアンプを天日に干した、ということを伝えた場合、この人は馬鹿なのかしらと思われて友人関係が途絶えてしまうかもしれない。

 参った。

 破れかぶれになった俺は、ええい、と、ギターアンプを電源に繋ぎ、ギターから伸びるシールドをアンプのジャックに差し込んで、アンプのスイッチを入れた。アンプは爆発しなかった。

 弦を目一杯に弾くと、ジャリーンと、乾いた和音がスタジオいっぱいに響いたのだった。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

後藤正文(ごとう・まさふみ)

1976年静岡県生まれ。日本のロックバンド・ASIAN KUNG-FU GENERATION のボーカル&ギターを担当し、ほとんどの楽曲の作詞・作曲を手がける。ソロでは「Gotch」名義で活動。また、新しい時代とこれからの社会を考える新聞『THE FUTURE TIMES』の編集長を務める。レーベル「only in dreams」主宰。

何度でもオールライトと歌え

『何度でもオールライトと歌え』後藤正文(ミシマ社)

2016年4月27日発売!!

バックナンバー