凍った脳みそ

第4回 白いモビルスーツ(2)

2016.07.15更新

 黒いはずのアンプが白い。しかも、びっしりと生えたカビによって白い。このような事態が現前して尚、正気を保っていられる人間は少ないだろう。実際に気が遠くなるような光景だった。

 思い起こせば高校時代、野球部の上級生が下級生に礼儀作法を学ばせる、というよりは絶対的な忠誠心を暴力的に育むことを目的に「説教」なるイベントが年イチで開催されていた。電気を落とした汚い部室に下級生を正座させ、とにかく理不尽な問答をふっかけて泣かす、みたいな、ザ・体育会系の記念式典のような催しだった。説教の最中に「俺がカラスは白だと言ったら、白だ」と先輩が言えば、その日からカラスは白だった。もしかしたら、そういう構造でアンプが白いのかもしれない。つまり、黒いものを白いと思い込めという暴力的な圧力に屈した記憶がトラウマとして発露し、黒いアンプが白く見えているのかもしれない。けれども、そのような可能性について考える余地はまったくなかった。上級生の理不尽なロジックを引き合いに出すまでもなく、現実的に、アンプは白カビでモフモフになっていた。リアル・モフモフ(白)だった。

 どうしてこんなことが起きてしまったのか、俺には理解できなかった。カビについては十分に注意していたつもりだった。

 というのも、以前にアジカンの倉庫兼練習スタジオでも同じような事態が発生したことがあったからだ。ツアーなどの理由で、長期間に渡ってスタジオを空けている間に湿度が上昇し、室内で結露が起こり、程度は軽かったけれど壁面やギターケースにカビが繁殖してしまったのだった。

 二度と同じ轍は踏むまいと決意して、俺はプライベート・スタジオの設計を依頼した。水漏れでグズグズになっていた階段を撤去して鉄骨の階段を設えたのには、カビ対策の意味合いもあった。キッチンやトイレなど水回りもスタジオの外に出した。そして念のために、カビを使って発酵させたチーズ、加熱殺菌していない生の醤類、納豆やヨーグルトなどの発酵食品、醸造酒、発泡酒、その他のリキュール、酢やみりんなどの調味料、だけでなく食品全般の持ち込みを控えていた。

 それでも、カビの繁殖を止めることができなかった。
 どこか、カビのことを甘く見ていたのかもしれない。どうせ菌類でしょ、みたいな心持ちで蔑んでいたことは否めない。

 思えば、この地下室は魚屋の水槽だった過去がある。その頃から大量の湿気が溜まっていて、小型の換気扇だけでは太刀打ちできない湿度だったのだろう。様々な設計上の工夫も虚しく、どこかにカビ軍団の残党が居たり、あるいは新たな胞子を別の場所から持ち込んだりしてしまったのかもしれない。結果、適当な室温と湿度によって爆発的にカビが繁殖してしまった。恐ろしい生命力と執念だ。

 アンプ以外にも、壁面が大変なことになっていた。壁の下部に張り巡らされた10センチくらいの幅木の縁にもビッシリとカビが生えていた。白カビだけでなく、場所によっては青カビも混じっていた。こんなことならば音楽スタジオではなくチーズの貯蔵庫にしておけば良かったと、俺が酪農家だったら思ったかもしれない。赤ワインを欲するような生えっぷりだった。

 壁面を見回っているうちに、一刻も早くカビを拭き取らねばという気持ちが溢れ出した。後悔というよりは焦りに近い感情でダバダバになって溺れそうだった。同時に、何もかも燃やしてしまいたい、というような捨て鉢な感情が胸で芽生えた。なぜならば、こんもりとアンプやら壁の幅木に生えたカビが「風の谷のナウシカ」の腐海を連想させたからだ。映画の中では盲いた老婆が、「胞子が着いた樹木は一本残らず燃やしてしまわなければならない」みたいなことを言っていたような気がする。その言葉に従って、風の谷の人たちは悲しみに暮れながら先祖代々守ってきた森を燃やしていた。俺のスタジオも腐海に飲まれたのだ。嗚呼、滅びゆく文明よ。谷よ。しかし、どこにも王蟲はもちろんナウシカもいなかった。阿呆なミュージシャンが腐った巨神兵のように絶望しているだけだった。

 ひとまず、ギターアンプを階段の上の共有部分に出すことにした。スタジオ内で無闇に弄ると胞子が飛び散るかもしれなかったし、何よりカビや汚れを拭き取るための雑巾を一枚も持っていなかったからだ。

 俺は雑巾を買うためにホームセンターへ向かった。

 ホームセンターは薄暗かった。スタジオが完成した当時は、小躍りしながら買い物のできる楽園のような場所だと思ったけれど、看板や外壁は崩れかかり、園芸コーナーの植物は枯れ果て、内部は閑散として人気がなく、レジ担当のスタッフたちは涎を垂らしながらゾンビのようにうな垂れていた。入り口付近には痩せこけた野犬の群れがたむろしていた。そういう妄想に没入してしまうくらい、俺の精神は内側に減り込んで陥没していた。こんなに楽しくない買い物ははじめてだった。

 買い物の用カートに10枚セットの雑巾を入れて、他にも必要なものがないかと店内をトボトボと歩きまわった。ショックによって再び凍りついた脳をなんとか回転させて、滅菌用のアルコールスプレー、柄のついたブラシ、カビ止めの塗料缶(屋外用)、刷毛、ゴミ袋(大)、ゴミ袋(小)、軍手、食器用洗剤、トイレットペーパー、ボックスティッシュ、龍角散のど飴、などを購入した。買い過ぎてしまった。自転車で来たことはすっかり忘れていた。そのため、東南アジアかどこかのリサイクル商人、みたいな過積載状態でスタジオまで戻る羽目になってしまった。

 半泣きでスタジオに戻って、まずは幅木のところに生えたカビを雑巾で拭き取った。9の字型のスタジオの全面を一周する大変な作業だった。雑巾は青カビの緑と埃で不気味な色になってしまった。雑巾を何度も濯いだけれど、汚れがまったく落ちなかったので、よく絞ってからビニール(大)の中に丸めて捨てた。

 次に除菌用アルコールスプレーを幅木全体にまんべんなく散布した。雑巾で拭いただけでは、ただ単にカビ軍団を塗り広げたことになってしまう可能性があったからだ。それだと、また一週間くらい後にカビ軍団が繁殖をはじめて、室内が腐海に戻ってしまう。そうなった場合、スタジオの存続はおろか、この町で暮らしてゆく自信がなくなってしまうだろうと思った。

 幅木に散布したアルコールが蒸発するのを待つ時間を使って、今度はギターアンプの清掃をすることにした。まずは、アンプを共有部分の外に運び出した。
 太陽の明るさで、アンプの状態が露になった。表側だけだと思っていたカビは、スピーカーの裏側や内部にまで広がり、どこから手をつけていいのかわからないくらいだった。それでも、どうにかしなければいけなかったので、まずはドライバーを使って背板のネジを緩めた。

 上下に一枚ずつ付いていた背板を外すと、背板の裏には小麦粉をダマのままぶちまけたような感じでカビがへばり付いていて、綿菓子のようにモフモフしていた。カビじゃなかったら飛び込みたいくらいのモフモフ感だった。アンプ内部の四隅の角にも白いフカフカが繁茂していた。こちらは虫の巣のような見た目で、大胸筋から二の腕にかけてムズムズと痒みが広がるような不気味さがあった。

 ひどい有様だった。

 ご家族を呼んでください。アンプに家族が居たならば、そう声を掛けたくなるなるような状態だった。アンプ本人にはとても伝えられないくらい、カビは進行していた。このまま粗大ごみに出してしまいたい、という気持ちもあった。けれど、大事に使ってきた機材を捨てるのは忍びない。なので、まずは背板から丁寧にカビを拭き取った。そして、スタジオの壁面と同じくアルコールを散布して、天日に干した。

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後藤正文(ごとう・まさふみ)

1976年静岡県生まれ。日本のロックバンド・ASIAN KUNG-FU GENERATION のボーカル&ギターを担当し、ほとんどの楽曲の作詞・作曲を手がける。ソロでは「Gotch」名義で活動。また、新しい時代とこれからの社会を考える新聞『THE FUTURE TIMES』の編集長を務める。レーベル「only in dreams」主宰。

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