凍った脳みそ

第3回 白いモビルスーツ

2016.06.15更新

 ようやく完成したCOLD BRAIN SUTUDIOはとても居心地が良かった。

 壁や床にはチープな合板を無塗装で使ったけれども、室内は木材の暖かみで満たされおり、電気代節約のために点数を減らした照明は程よい明るさの電球色で、落ち着きのようなフィーリングを演出していた。工賃や維持費を安くあげたいという貧乏性、というか吝嗇によって選択された極度に簡素な内装なのだけれども、どういうわけか、前の作業場から使っている木目が良い感じの高級机や、キャスターが気持ち良いイームズのデザイナーズチェアもバッチリ馴染んでいた。設計士と工務店の腕前が良かったのだろう。

 さらに最高なのは腰の高さくらいの新しいレコード棚で、天板が机にもなるように設計されており、この棚を入り口付近に設置することによって、カウンターになった。棚の面はスタジオの内側に向け、背板には大好きなweezerとoasisのポスターを額装して飾った。スタジオに入る度に大好きなバンドのポスターが出迎えてくれるのは気分が良い。弁当屋の脇のドアから続く薄暗い廊下と階段を通って、本当にこんなところに音楽的な場所があるのかしらんと自分でも不安になるくらい陰気なアプローチの先に、このような素敵な展示がなされていると、薄暗さの中で膨らみかけた虚無や暗黒のような心持ちを、やっぱり音楽ってサイコー! 的な天真爛漫さが追い払ってくれる。ような気がする。

 そして、仮に友人などが遊びに来た場合、格好良いポスターを飾ったカウンターがおいでませと迎えてくれるわけで、友人たちの俺に対する評価も、ゴッチはああ見えてなかなか洒落ている、もしかしたらスーツの裏地などにも拘っているかもしれない、やるなぁ、などと噂され、何ポイントかアップすることが確実で、尚のこと気分が良かった。

 レコード棚の天板の上には、レコードのターンテーブルとミキサーを置くことにした。ターンテーブルをもう一台購入すれば、DJの真似ごとなどもできるかもしれない。オリーブのオイル漬け、カマンベールチーズ、生ハム、メロン、プチトマト、ナビスコ・リッツ、などを買い出して、ホームパーティを催すことも可能になるだろう。妄想が膨らむばかりだった。

 そうなると、スタジオでの作業も楽しくなってくる。

 デモの制作にとりかかる前に、スピーカーやら、アンプやら、ミキサーやら、機材の正しい設置場所を決定してコードやケーブル類を繋ぐ必要があった。テレビやハードディスクレコーダーのアンテナ配線をやったことがある人はわかるだろうけれど、配線というのは世界三大鬱陶しい作業としてユネスコの何らかの負の遺産リストに登録されてもいいくらいに鬱陶しい。これが音楽機材となるとアンテナ配線の数十倍は複雑で、複数の系統の音を良い感じに同じスピーカーから出すためのあれこれを考えなければならなかったり、そうかと思うと特定の機材に行って戻って来る小姑みたいな音があったり、そういった音や信号の行き来を考慮せねばならず、脳の温度が軽く5℃は上がるくらい面倒なのだ。テレビアンテナの配線くらいで絶望してる人は、足の小指の先から溶解してしまうだろう。しかし、あー、面倒くせえ。テキトーでいいわ。と投げやりな配線をすると音像がむちゃくちゃになるというか、そもそも音が出ないということになってしまうので、なんとか成し遂げねばならない。そういった作業も、苦にならなかった。

 また、通販サイトにて、実際に使いたい長さの倍のケーブルを間違って買うという凡ミスがあり、これまでの俺ならば最低でも三日間は懺悔と後悔の念に絡まって、自宅の居間での虚無的な脱力を経ないと精神が復活できなかったけれど、まあ、半分に切って使おう、とポジティブに考えることもできるようになっていた。

 そして、ほとんど躁のような状態のままホームセンターに出かけ、工具各種、ネジ、釘、ドリル、結束バンド、などを買って、電気コードやスピーカーケーブルなどが部屋の隅を通って折り目正しくそれぞれの場所まで届くように、トンカントカン、ギュルルルル、と束ねて床や壁に固定する作業を自力で行った。自分でも信じられない活力が湧き上がっていた。

 こうなってくると、すべてが好転していった。

 スタジオの雰囲気が良いと作業が捗り、それによってスタジオはさらに居心地が良くなる。そうなるとまた作業が捗る。このまま簡易的な内装と配線だけをしながら生きて行けるかもしれない、そう感じる日もあった。けれど、自室の内装と配線だけでは収入がまったくなくなってしまうので、どこかでエイヤとエネルギーの向きを音楽に変えて、そのままの回転数でデモ音源などを作るべきだと俺は思った。

 なので、そろそろ良いかな、という感じのところでスタジオの整備をひと段落として、作曲活動を再開することにした。気分の良さを利用して、びゃんびゃんに曲を書こうと思った。

 が、特に作曲のペースが上がったりしなかった。というのも、別に気分の良い部屋だからといって曲ができるというわけではなかったからだ。「安禅必ずしも山水を須いず」という禅語には、瞑想によって悟りのような境地になるには山奥のむちゃんこ綺麗な場所でなければならないってわけじゃない、みたいなことが書いてあるのだと思うけれども、それと似たような感じで、音楽的な良さとスタジオの居心地とを等号で結ぶことができなかった。
 なので、雰囲気の良さは良さとして楽しみながら、今まで通り悶々と、良いフレーズやメロディが浮かんだときは嬉々として、音楽活動を行った。

 ただ、やっぱり環境が影響するなぁと思ったのは、誰にも気兼ねなく爆音でギターを演奏できることだった。9の字の棒の先ところに作った簡易ブースにギターアンプを設置し、Tの字にしたマイクスタンドと毛布、吸音パッド、レンガ、などを使って残響を調整しながら、ギターの録音ができるようになった。これまでのデモ音源制作ではライン入力とアンプシュミレーター、つまり、ギターアンプのある空間を模した環境をコンピュータ内で再現する機材やソフトを使って録音していたのだけれど、俺は率直にこのやり方があまり好きではなかった。好きではないので、もちろん上達もせず、そうなるとギターの音は悪いままで誰にも聴かせたくなくなってしまい、メンバーにデモ音源を送る際の障壁となっていた。これが画期的に解消されたのだった。

 最高、最高、俺サイコー、みたいな感じで精神が盛り上がった。


 凍っていた脳も溶けてきたように感じていたある日のことだった。

 スタジオに着いてドアを開けると、カウンターの横、9の字の棒の根元のあたりに、白いギターアンプが設置してあった。

 ほう。これは恐らく、スタッフが新しいアンプを使えと運び込んでくれたのだろう。そういえば、アジカンのギターの建さんが使っているSHINOSという白いアンプのクリーントーンがとても豊かな音色で、日頃から俺がその音を羨ましがっていたのをスタッフが察して貸してくれたのかもしれない。これは、むちゃんこ嬉しい。お祝いにビールでも買いに行こう。と、俺は思った。

 けれども、直感的に、なんか違うな、とも思った。見たことのある形だな、と思った。つうか、これ、俺のアンプじゃん、と思った。

 そこにあったのは真っ白いカビで覆われて、白いモビルスーツのような感じになったAC15というギターアンプだった。見紛うことなく俺の私物だった。スピーカー前部の布地は、カマンベールチーズの皮のように成り果てていた。


つづく

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後藤正文(ごとう・まさふみ)

1976年静岡県生まれ。日本のロックバンド・ASIAN KUNG-FU GENERATION のボーカル&ギターを担当し、ほとんどの楽曲の作詞・作曲を手がける。ソロでは「Gotch」名義で活動。また、新しい時代とこれからの社会を考える新聞『THE FUTURE TIMES』の編集長を務める。レーベル「only in dreams」主宰。

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