Summary
人と向き合うには真正面じゃ駄目だって言うこと..。
働き盛りの40代から50代にかけて無職になる人が増え続けているというドキュメンタリー番組を見た。
就職する職が見つからないのではなく、結果論として働けない身体になってしまったとのこと。
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働けなくなるということ
最初は客観的に見ていた。仕事はストレスの対価としてお金を受け取る。誰もがゴロゴロしていたい。それでも、生きるため与えるために働き続けている
『文明がそれを選択した』単純に甘えるなよって。
結果には必ず原因がある。一例として認知症の親の介護が取り沙汰されていた。親が他界した後に、緊張の糸が途切れて心身ともに病んでしまう。
腑に落ちた。働けなくなる理由に妙に納得してしまった。そっか、辛いよね。
これからも増え続ける認知症の暴走する高齢者。それを取り巻く家族介護の心情。「ピンピンコロリ」そう上手くはいかない。
人にはそれぞれの世界観
現在は、施設に入っている認知症の義母。家で見ていた数年間を振り返っては思い出す。
作話しては嘘をつく。機嫌が悪いと物を破壊する。犬とおやつの取り合いで喧嘩をする。
挙げ句の果てには、犬のウンコをチョコボールと勘違いして食べ始める。
行動が非常識だから、まともに捉えては、注意をしながら自分が壊れていくのがわかる。精神的に保たなければと思えば思うほど身体が不調を訴える。
『吐血、下血、血尿』もう全てが嫌だ。限界
そんな時に、鏡に映る自分の顔を見た。眉間にしわを寄せて鬼の形相になっている。ふと、鏡に移った義母の行動を見つづける。民芸品のこけしを手に取りながら、話しかけてはひたすら笑っている。
別の世界の住人なのだど悟った。認知症患者の行動を真っ向から受け止め、正論で反発していた自分がとても馬鹿馬鹿しくて笑えた。
人と通じるための扉を探す
「人」という漢字を、鏡越しで見ると「入」という漢字に変化することに驚く。
言葉遊びじゃないけど客観的に人を見ると見えないものが見えてくる。
病気であろうがなかろうが、人それぞれには正しいと思えている世界観が存在する。鏡の中のそれぞれの出来事だと捉えた時、スーッと認知症患者を受け止めることができたように思えた。
介護に限った話ではないが、人の心と通じ合うには正論で熱く語っても伝わらないことが多い。
感化されることはあっても、人が人を変えることは出来ないことが前提。人の心は本人の意思で初めて動きだすもの。
熱く語られると反論するのも怖い。やり過ごそう…。
「あの人は、なんでそういう考えなの?変だよ」
…..ほっておいて。
「だから、あなたは駄目なの?」
…..お前はどうよ。
悩むことは多い。でも、人は変わらないから自分を変えていくことが一番の近道。
10人いれば10人の世界観。客観的に捉えていくことも大切なことだと思う。
鏡の中の世界の出来事であるかのように。人には、それぞれの意思を持った世界感があるから。
真正面に立って自分の世界観の土俵に引きずり込むのではなく、数歩下がって人の世界にそっと足を踏み込まさせてもらう。鏡を見て眉間にしわがないことを確認しながら人をそっと見ていく。
人の心の扉にもしっかりとした礼儀作法が必要。
「人」という字が「入」に変われば自然と扉が開く
- 人の家にお邪魔するときは「お邪魔します」という礼儀があり、その人の家のルールを遵守している。当たり前のように理解している...。
- 人の心にお邪魔するときは「入ります」という礼儀があり、その人の世界観のルールを遵守する。無理に自宅に監禁しようとしていないかい?
When in Rome, do as the Romans do.
『郷に入っては郷に従え』
僕が介護をしていてなんとなく思えたこと。
若くとも、いつの日か、介護の日々が訪れます。身内が見ないのであれば第三者はもっと見ない。必ず保護者という立場が付きまとう。
介護をされる方のために記しておきたい。そして、潰れないで欲しいと切に願っています。
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