我が夫は、バディものがお好き
私の夫は漫画を読まない。ポルノコンテンツも嗜まない、露骨な下ネタも苦手な、異性愛者である。他人がセックスしている様子に興味関心を持ったことがないから、男同士の性愛を娯楽消費するBLなんて、わざわざ読みたくもないよ、と言う。
しかし私は、我が夫となりしこの男の裡に、やおいを嗅ぎ取りBLを楽しむ能力、「腐力」が備わっているのを感じる。今はまだ深く眠るその能力は、優しく揺り起こせばぱっちり覚醒し、誕生と同時に立ち上がる仔馬のように、誰に教わることもなく立派に独り立ちするはずだと、信じている。
なぜそこまで高く夫の資質を評価できるか。まず、夫のオットー氏(仮名)は、ドラマ『相棒』が大好き。水谷豊出演作なら『傷だらけの天使』も好きで、警察モノなら『あぶない刑事』も夢中で観ていた。幼少の愛読書は『シャーロック・ホームズ』、グラナダ版を大人買いして『SHERLOCK』にも熱中していた。一緒にハマッたのは『パーソン・オブ・インタレスト』に『ハウス・オブ・カード』に『マスター・オブ・ゼロ』、私が薦めてハマッたのは『インファナル・アフェア』に『英国王のスピーチ』。そして「これは個人的な楽しみだから」と妻に隠れていそいそ観賞しているのは『ハワイ・ファイブ・オー』と『ワイルドスピード』シリーズだ。「喧嘩しながら仲が良い、両雄並び立つ相棒(バディ)もの」が大好きで、格闘技や将棋など「男と男の一騎打ち」観戦に熱狂する性質でもある。
忘れられないのは、映画『麻雀放浪記』を鑑賞しながら、「俺、鹿賀丈史出演作なら『キャバレー』も好き!」と言ったこと。ボブ・フォッシーではない。栗本薫原作の、角川映画のほうである。夜な夜なクラブに通い詰めては若く美しい野村宏伸に見入る、変態紳士ヤクザを演じる鹿賀丈史のスーツ姿がひたすらカッコいいだけの、ヤマもオチもイミもない作品だ。『麻雀放浪記』より『キャバレー』が好きだなんて、TM NETWORKよりaccessが好きと言うに等しい、口にした途端に腐認定されても仕方がない(※個人の感想です)。少なくとも、同じ口から「男同士がイチャイチャしてるだけの作品とか、ないわ〜」とか言わんでもらおう、おまえ、プロフィールの「好きなコンテンツ」欄だけ見たら、完全に腐女子だからな!!
「たしかに私は、高い志を持った男と男が組んで大きな仕事を成し遂げるとか、一つの目的達成のために協働して問題解決に取り組むといった物語展開が、好きであります」とオットー氏は言う。うん、私も好き。「自分自身、そうした男同士にしか築き得ないスペシャルな絆に胸を熱くしながら、女との色恋沙汰以上に男たちとの好敵手関係に燃えながら、人生を邁進してまいりました」と言う。うんうん、わかるわかる。私もスティーブ・ジョブズ×ビル・ゲイツ本とかめっちゃ買った。
「でも、セックスはしない」……へ? いや、男女より強い絆で結ばれた男同士なんだから、うっかりセックスする可能性は、下手な男女よりも高いでしょう。オットー氏が知らないだけで、あの男とその男も、こっそりヤッてるかもしれないじゃん。なんでそんなふうに言い切れるのよ?
もし、心に100の扉があるとして
人の心のうちに、内側から鍵のかかった100個の扉があると想像してみてほしい。誰か他者と知り合い、親しい間柄になると、相手に向かってその扉が一つずつ開け放たれていく。仮に、セックスを司る扉を心の一番奥にある「100番目の扉」としてみよう。名前を尋ねるより先にいきなりそこから開けたがるヤリチンやビッチもいなくはないが、世間一般には、数十という単位で他の扉を開け合ったような相手とでもなければ、100番目のその扉を開き合うのは難しい。
100番目の扉の内側からかかっている錠前の鍵は、異性愛者ならば異性に対して、同性愛者ならば同性に対して、解かれていく。異性愛者が同性に向かって100番目の扉を開けることはない。そこまでは我々腐女子だってよくわかっている。でもたとえば、杉下右京と亀山薫ならどうだ、タカとユージなら、ホームズとワトソンならどうか? 彼らは運命的な巡り合いを果たした特別なバディに対して、1番目から99番目まで、残りすべての扉を全開にしている。あと開いていないのは100番目だけではないか。
0を100にしろと言うのではない、ただ今そこにある99に、1を足すだけのことだ。彼らにしてみても、一回限りゲスト出演する女性キャラクターと突然100番目の扉を開けるような無茶なストーリーラインより、じっくりシーズンを重ねながら関係を深め、99番目までの扉が全開になった「相棒」に向かってそれを開け放つほうが、よっぽど心理的抵抗が低いのではないか。それが自然な流れってもんじゃないですか、そのほうが視聴者も納得するでしょう?
……とまで熱く語ったところで、夫のオットー氏(仮名)から「ちょ、待って、ストップ!」と制止された。「前提が違う、ズレている、せいぜい20か30だよ!」と言うのだ。
「たしかに現実社会においても男だけの特別な絆が生まれたりするけど、男同士の関係は、99も心の扉を開けたりしないよ。せいぜい、20か30程度。右京さんなんかは、亀ちゃんや甲斐くんにも10くらいしか開けてないよね」と言った。「えっ、それでも相棒!?」「うん、それでも相棒。それが男同士のバディ感覚。『8番目と25番目と39番目の扉の三つさえ開いていれば、仕事上のパートナーとして絶大の信頼度を寄せて、命さえ預けられる』とか、そのくらい少ない扉数ですよ、俺たちの関係性は」
そこまで言い終えると、「なるほどね、君たち腐女子は、僕たち男の関係について、開いている扉数を、ものすごく多めに見積もって数えちゃっているんですねー。だから話が噛み合わないのかぁー」と、勝手に納得してしまった。
原作や史実では異性愛者として描かれている、血よりも濃い絆、恋人より深い情愛で結ばれた、親密な男同士。そこにほんの小さな、ささやかな性の扉を1つだけ付け足して開放し、同性愛的な関係性に読み換えるのが「二次創作やおい」なわけだが、外側から男社会を眺めているだけの女性たちと違い、インサイダーである夫は我が身のこととして「そこに扉は開かないでしょ!」と譲らないのだ。「君たち腐女子が嬉々としてやっている扉の開閉は、『相棒』でたまに起こる御都合主義的な捜査や非科学的な謎解きと同じくらい、『ありえない』ことですよ」と言われてしまった。それはひどい、さすがに『相棒』のトリックよりはマシじゃないのか。
次回「女体を共有する男たち」
夫はもう一つ、気になることを言い残した。「個人的には、自分が感情移入できない恋愛モノっていうのも、好きじゃないんだよね。いかにもリア充な10代男女の色恋沙汰を描いた少女漫画が苦手なのと、ゲイカップルの色恋沙汰を描いたオリジナルBLに興味がないのとは、同じだよ」と。
男同士のホモソーシャルな関係性には敏感で、燃えたり萌えたりしている夫。だけど、いわゆるエロコンテンツや、自分に刺さらない恋愛モノには、まるで興味がないという夫。だったらこういうのはどうだろう?
夫と同じく、同性には100番目の扉を開かないと言い張る異性愛者を中心とした物語。かつ、そうした登場人物の100番目の扉が、開け放たれる物語。そうして「100番目の扉が開いた同士」としての男二人が描かれる物語。すなわち「女体を共有する男たち」が登場する作品について、次回考えてみたい。
あなたの「夫に読ませたいBL」作品、教えてください。
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