まーた久々になってしまったが、更新します。
「けいが考えてること」シリーズは久々です。
最近少し興味を持った、LGBTPZNについての話。
LGBTPZNとは
「なんじゃそれ??」って人のために簡単に説明しとくと、LGBTPZNは、
の頭文字。
つまりは、「これらの性的嗜好のあり方を認めよう/受け入れよう」という議論が、今、世間で起こっているわけです。
LGBTまでなら聞いたことがある人も多いと思いますが、それに加えてPZNも、ぼくの観測域においては、2016年半ばあたりから、概念として普及してきているように思います。
- P:Paedo/philia:ペドフィリア:幼児・小児に性的興奮を覚える性的嗜好
- Z:Zoophilia:ズーフィリア:動物に性的興奮を覚える性的嗜好
- N:Necrophilia:ネクロフィリア:人間の死体に性的興奮を覚える性的嗜好
「ペド」といわゆる「ロリコン」の違いですが、大きな違いはなく、一般的には、性的対象とする年齢層の違いだと言われてます。
ロリコンは12歳以上から15歳あたり、ペドはそれ以下の年齢に、性的興奮を覚える人間のことやと思ってください。
ズーフィリアとネクロフィリアはそれぞれ、動物と死体に対して性的興奮を覚える人間のことです。
動物とヤりたい、死体とヤりたいという人間です。
これらの性的嗜好を同性愛と同じように受け入れていこうぜ、みたいな議論があるわけです。
どう感じましたか?
LGBTとPZNに感じる感覚的な差
LGBTという言葉をぼくが初めて聞いたとき、ぼくは特に大きな抵抗は感じませんでした。
そういう人たちにとって明るい未来ができようとしてるんやなぁーと感じるくらい。
ここで、まずは感覚的な話をします。
ぼくの周りにLGBTに該当する人間はいませんが、もしそばにそういう人がいたとしても、その人とはそれ以外の面で分かり合えれば、仲良くなれる可能性は普通にあると思うんすよね。たぶん。
少なくとも、ホモレズであるというだけでその人を排除しようという気にはなりません。
まぁ、個性の1つと見れる気がするんです。
でもそれが、PZNとなると、話は変わってきます。
ペドは微妙なラインですが、少なくともズー・ネクロに関しては、ぼくはその人の性的嗜好以外の面を見ようという気にはならないんちゃうか、と感じたわけです。
ようは、ズー・ネクロであればその時点で関わりたくないと感じてしまうかも、ってこと。
どーっすかね?
たぶん、同じく感じる人は多いと思うんですが。
じゃぁ、LGBTとPZNに対する感じ方の差はどこに起因するんやろ、ってのを少し考えた結果、暫定で、1点の性質的な違いが見えたので、書いてみようと思います。
LGBTとPZNの性質的な違い
今から書くLGBTとPZNの性質的な違いが、それぞれに対する感じ方の差を生むものかどうかはわかりませんが、「とりあえず性質的な違いはあるんじゃね?」って思ったということで読んでもらえたらと思います。
ぼくが考え至った両者の性質的な違いは、該当者と対象者の間の力関係です。
「該当者」とは、LGBTPZNに該当する人間。
「対象者」とは、それらの性的対象とされる者のことを指します。
(レズにとっての女性、ゲイにとっての男性、ペドにとっての幼児・小児)
「力関係」って表現が適切かどうかはちょっと微妙やと思ってるんですが、他にしっくりくる言葉がなかったので、とりあえずこういう表現にしました。
簡単に言うと、性的な関係になるにおいて、LGBTの場合は双方の合意が前提で成立するけど、PZNの場合はそもそも合意が前提とならない(ことが多い)ということです。
例えばホモレズ(LGBT側)ですが、基本的には、ホモなら相手の男との、レズなら相手の女との合意を成立させることで、性的な関係になりえます。恋人同士になれます。
ここにおいて、ホモレズとその相手の間に根本的な力関係の差はありません。
ところが、ペドズーネクロの場合は、そうじゃない。
ペドフィリアと子供、ズーフィリアと動物、ネクロフィリアと死体、それぞれの間には、明らかに力関係の差があります。
ネクロフィリアは、死体に許可をとって欲望を満たすわけではありませんよね?
実際に行動に至るか否かは別としても、性的対象が明らかに自分よりも弱いわけです。
ペドに関しては、対象となる子供に選択の権利はありますが、明らかに弱者です。
そんなところに、LGBTとPZNの差を感じました。
そして、弱者に対して(のみ)興奮を覚えるというところに、嫌悪感や怖さを感じてしまうのかな、と思わなくもないという話です。
先述しましたが、これが、PZNに対する感情と因果関係にあるかどうかはわかりません。
タニグチケイはこれを、LGBTとPZNの間の性質的な違いの1つだと思ったというだけの話です。
おしまい。