こう思う人はそう少なくないと思う。
親や家庭や社会が違えば、こんな不幸にならずに済んだ。
今はある程度満足してるけど、できればもっと良い環境が欲しかったといったことだ。
例えば実際、統計によって、犯罪者になるかどうかは養育環境がある程度決定すると判明している。
親や身内や周りの友人が、犯罪や反社会的な事や非道徳的な事を日常的にしていれば、本人も慣れて、それが普通のことに感じてしまう。
これはあくまで傾向で会って、知的な計画犯罪はその限りでない。
そもそも囚人のほとんどが直情的な犯罪をした者ばかりで、知能犯による計画犯罪は発生率があまりに低い。
犯罪それ自体が、リスクが大きすぎて、非合理的なものであることが多いからだ。
実際、日本の囚人の平均知能指数は、日本人の平均知能指数より30も低い80である。
知能指数がトップレベルの日本でもこれなので、他国はもっと低いだろう。
何が言いたいかというと、その人間の性格は環境や経験によって、ほとんど決定されてしまうということだ。
ちなみに、物理学的に自由意志は否定されているので、ここでは自由意志はないものとする。
ならば、自分で自分の幸福を実現できる、理知的な自律した人格を持つ人間になるには、そういった人間ができるだけ多い社会を作るにはどうすればいいか。
環境や経験のコントロールとなると、組織化された大きな機関による多大な労力が必要になる。
具体的に言えば、政府的機関によって、子供の誕生時から親元を離し、成人まで政府が管理するということだ。
親の気持ちだの管理社会だのディストピアだの洗脳だのプロパガンダだの何だの言うだろう。
しかし、今回は理想的な社会の一部を考えるのであって、細かく具体的に考えず、あくまで大まかな問題のみを取り扱う。
そして、そこにおける大きな問題を少し考えてみよう。
しかし、これはそもそも子を産むことそれ自体が道徳的に正しくないことが問題として発生してしまう。
反出生主義における道義的問題の論理性はあまりに強固なので、今回はそれを使う。
出産とはそもそも、親個人の都合であって、まだ生まれてない子供の意思といものはそもそも存在しない。
また、生まれる環境で人生がある程度大きく左右されるのであれば、子供にとっては博打もいいところだ。
生まれる人間の同意なしに、死への恐怖はもちろん、何かしら必ず苦痛を伴う人生というもの強制的に負わせるのは、道義的権利に反するというのは、ショーペンハウエルの時代から言われてきたことだ。
そして、人間を産むという行為の責任は、本来親だけで負えるほど小さいものなのか。
覚悟があれば産んでいい、子供に憎まれる覚悟や子供を幸せにする覚悟があれば産んでいいなどという根性論をよく見かけるが、親がどう覚悟したところで、子供の実際の被害を確実にどうにかできるわけではない。
必要なのは、実際的な子供の幸福の実現であって、親の感情論はそれになんら寄与しない。
つまり、親自身が出産という行為の無責任さと、自分よりも幸福を実現してくれ可能性が高い機関に渡すことの合理性を理解する必要がある。
よって、政府による出産の動機は、人類の繁栄と持続といった合理的なもののみとし、その責任は管理する政府が負うものとする。
そもそも負えるものかという問題だが、現実的な対処法としては、少なくとも、親よりも圧倒的に負える責任は大きいことだろう。
幼児期の両親の適切な愛は、将来的な人格形成に必要不可欠である。
しかし、両親共々適切な愛を注げる家庭は、実際にそこまで多いのだろうか。
問題は、政府が養育を担う場合、どのように両親無しに適切な愛を注ぐかである。
これはそもそも愛情が一体なんであるかを、神経学的に分析し、それを補う技術が必要である。
なのでこの問題は保留にする。
教育において問題になるのは、洗脳やプロパガンダや思想の偏向などだろう。
確かに国家の自由にできるとはいうが、国家の意思は親個人のように恣意的な存在でなく、複合体のものである。
ここで必要なのは、その機関が理知的に精錬された存在であるという前提だ。
今回は、科学的な根拠を基にしたカリキュラムを作る私情を持たない機関、つまりウェーバーのいうところの理想的な官僚が政府であることを前提とする。
主体性のある理知的で自律した思考を持つ人格の構成は、ある程度可能である。
できるだけ早く論理学と価値多元論を理解し、無意識に価値を相対化し鑑みる能力を身につければ、少なくとも、頭ごなしの盲信や論理性のない思想の偏向は防げる。
そもそも、思い込みや思想の偏向は知能指数の低さと相関があることが統計で示されている。
宗教信者よりも無神論者の方が知能指数が20~30高いことが示されている。
ちなみに、ここではあくまでそうすれば大丈夫といった理想論であり、実際に細く実現する方法は今回は省く。
上記を踏まえたような教育と、健康的な習慣の管理、自主性を伸ばすようなある程度柔軟なスケジュールなど、細かく考えるとキリがないので、教育内容ここまでにする。
今回考えたいのは、あくまで、親個人よりも理知的な機関に養育や教育を任せた方が、自分の幸福を実現できる理知的で自律した人間が生まれやすいという理想論だ。
そもそも子を管理するなら、出産する親、つまり国民全員を管理する必要がある。
現代の国家でさえ、法律やそれを矯正できる暴力機構である警察機関といった、大きな制約としての管理がある。
国家の存在それ自体が管理社会であり、その管理とは程度の問題であって極端にあったりなかったりという問題ではない。
その一つとして、幸福を自分の力で実現するための基盤である、理知的な自律した人格を持った国民を、できるだけ最大数にする方法を今回は考えた。
あくまで一つの理想論であって、障壁が多すぎることに釘を刺したい。
しかし少なくとも、理想においては、国民全員が理想的な親になるよりは、そういった理想的な機関作る方が、まだ現実的な可能性があるだろう。
物理学と家庭科の授業ちゃんと聞いてた?
聞いてないやつが聞くのか...
こう思う人はそう少ないと思う。 「少なくない」じゃなくて?
てかそんな社会ができれば、養育や教育以外も飛躍的に進歩しそう 国民全員が賢くなるんだし
(理想を言えば)それはそう
遺伝的問題はどうするの? 後天的問題ほど人格に影響しないだろうけど、発達障害や精神障害とか でもそこまでの政府や技術があるならなんとかなるか
精神障害は後天的な要素が大きい
まーた反出生主義かぁ
まーた反出生主義かあ
小中高が実質政府による管理教育なんだなあ この辺ゆるくしたらもっと平均知能指数減るよ
問題は、問題が問題ならない程度には管理されてないところよな いじめとか 学校側の都合で内情を変えられるのが問題やわ もっと文科省が深く介入すべき
なにかしらの管理社会のが今よりマシやろ