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『証言記録三光作戦―南京虐殺から満州国崩壊まで』 森山康平 1975

元宇都宮の第114師団で重機関銃部隊の一等兵田所の話

昭和12年12月の南京で

「女が一番の被害者だったな。年寄りから何から、全部やっちまった。下関から20人くらい受け持たせてね。倉庫のまわりなど、日当たりのいいところを選んで、木っ葉などをぶらさげて場所をつくる。赤ケンといって、中隊長のはんこがある紙を持った兵隊たちが、ふんどしをはずして順番を待つんだ。いつか、女の略奪班長をやったことがあるけど、ゆくと、女たちはどんどん逃げる。殺すわけにはいかないから、追いかけるのに苦労したもんだよ。支那の女は技術はうまいね。殺されたくないから、必死なんだろうけど、なかなかいい。なにしろ上陸以来女の身体にさわったこともないんだから、いじくりまわしたり、なめまわしたりする。私らは、よく“なめ殺す”といったもんです」(p18)


「強姦をやらない兵隊なんかいなかった。そして、たいていやったあとで殺しちまう。パッと放すとターッと駆けていく。そいつを後ろからパーンと撃つ。憲兵にわかると軍法会議だからね。殺したくないけど殺した。もっとも、南京にはほとんど憲兵はいなかったけど……」(p22)


昭和13年、中国の別の場所
「南京に二か月ぐらいいて、徐州に向かったんだけど、このときだったな、股裂きをやったのは。ある部落で、みせしめのために女を柳の木に縛りつけ、両足首にまきつけたロープを2頭の馬の鞍に結び、左右からムチをくれると股から乳房のあたりまで肉がさける。骨があとに残るんだ。それを部隊みんなでみている。中隊長もみてみぬふりだった。将校だろうと下士官だろうと、文句をつけても「ウシロダマ(後ろ弾)だぞ」とおどしちゃう」(p51)


昭和12年 中国

(第10軍に従軍したカメラマン河野公輝の話)
「川沿いに、女たちが首だけ出して隠れているのを引き揚げてはぶっ殺し、陰部に竹を突きさしたりした。杭州湾から昆山まで道端に延々とそういう死体がころがっていた。昆山では中国の敗残兵の大部隊がやられていて、機関砲でやったらしいが屍の山で、体は引き裂かれて、チンポコ丸出しで死んでいた。そのチンポコがみな立ってるんだ、ローソクみたいに。「チンポコ3万本」と俺たちはいっていたが、3000人以上はいたろうな」(p46)

「蘇州の女というのがまたきれいでね。美人の産地だからね。兵隊は手当たりしだい強姦していた。やったあと必ず殺していたな」(p47)



「たいていやったあとで殺しちまう。パッと放すとターッと駆けていく。そいつを後ろからパーンと撃つ」

「兵隊は手当たりしだい強姦していた。やったあと必ず殺していた」

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いつも貴重な資料の提示有難うございます。

2018/2/25(日) 午前 5:11 電脳写真工房 返信する

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