March.23.2018
ブレーズ・パスカルは1623年,フランス生まれの
哲学者・物理学者・数学者そして
早熟の天才と言われ,
10歳のときには三角形の内角の和が180度であること,
1からnまでの和が (n+1)n/2 であることを,
自力で証明しています
18歳の時には
現在のコンピューターの原型とも言われる
機械式計算機「パスカリーヌ」を開発しました
この時にあまりに製作に没頭したしたために,
体を痛め寿命を縮めたとも言われています
機械式計算機「パスカリーヌ」
大規模な「トリチェリの実験」を行い,
大気圧と真空の存在を証明しました
私たちの日常でなじみのある「ヘクトパスカル」は,
パスカルに由来する気圧の単位です
注射器や油圧機も彼の発明です
また,
いわゆる数学の「確率」のジャンルを開拓したのも
パスカルです
ユニークなのは, その発想が「神がいるかいないか」
の可能性を考え抜いた結果生まれたアイディアだった,
ということです
もはや現代数学にも科学にも欠かせないジャンルです
彼の代表的著作『パンセ』では,
自分の話に夢中で相手の心の機微に気づかない
数学者と話しをした経験から,
私たちに必要な精神には,
科学的なことを考えるための「幾何学の精神」と,
人の細やかな心を読み取る「繊細の精神」の
両方が必要だと強く唱えました
端的に申しますと,
現代で言います「理系」と「文系」の双方の要素が
バランスよくあるべきだとする考え方です
400年近くも前にすでにパスカルは,
世界一流の科学者でありつつも,
科学の暴走に警鐘を鳴らしていたのです
ホームレスの方のお世話をするなどして
信仰のうちになくなりました
「神を見た」ことを表す詩を
パスカルは密かに書き,
自らのジャケットの内側に縫い付けて,
最期を迎えました
後年その文書は,パスカルの文献を整理する際,
親族によって発見されました
本日はこの,ブレーズ・パスカルの
名言のいくつかをご紹介したいと思います
(英文一部拙訳)
まずは, 非常によく知られています
フレーズからです
Man is but a reed,
the most feeble thing in nature,
but he is a thinking reed.
人間は一本の葦にすぎない,
自然のうちで最も弱いものだ
しかし,人間は考える葦である
パスカルは, 極大宇宙と極小宇宙の間にいる
自分を恐怖していました
人間など,その空間的広がりからすると
「吹けば飛ぶような存在」だと
考えていました
ですが,
人間には思考することができる
その点においてのみ,
人間の尊厳は保たれると解釈しました
Man’s greatness lies in his power of thought.
人間の偉大さは考える力にある
ただ, 同じ「考える力」と言いましても,
同世代で少し年上の,あのデカルトとは
違った意味合いがありました
デカルトは
われ思う
ゆえにわれあり
で, 思考力が私たちのアイデンティティーの根源だ
と捉えていました
ですが,パスカルは…
We know the truth,
not only by the reason,
but also by the heart.
我々が真実を知るのは,
理性によるだけではなく,
心によってでもある
彼らはそれぞれ,
後世に残る数学的方法論を確立しました
の違いです
基本的な自然科学研究では
演繹法が主流とされてきましたが,
AIの「ビッグデータ」の対処法など,
情報処理の現実を考えますと,
実は帰納法の方が実用性が高い,
と再評価されています
パスカルの哲学のキーワードの1つに,
「直感」があります
パスカル自身, 数学や物理の発見をする際,
最後には「直感」が働いたとしています
31歳のある日, 歯が痛くて眠れず仕方がないので,
起きて数学の問題を考えていたら,
インスピレーションの波に襲われ,
「サイクロイドの数学」を解明してしまいました…
The heart has its reasons
of which reason knows nothing.
心には理性で分からない
色々な理由がある
パスカルはある意味で,
「心の声」を常々聞いていたのかもしれません
オーギュスト・ロダン『考える人』
次に,人間心理にまつわるコメントです
Fear not, provided you fear;
but if you fear not, then fear.
恐れているなら恐れるな,
恐れていないなら恐れよ
じつに含蓄のあることばです
まるで綱渡り師の教訓のように,
パスカルは警告しています
当時,デカルトを始め,
中世カトリシズムのしがらみから脱し,
宗教と科学を分けようとする時代の気運が
否が応でも高まっていました
良くも悪くも,「聖」「俗」二元論内の往復運動を,
科学者たちも哲学者たちも余儀なくされていたのです
そうした中でもパスカルは,
果敢にもその両方共に誠実に関わり,
常々バランスポイントを摸索しようとしていた
単独孤高の人でした
続きまして,「徳」についてです
The strength of a man’s virtue
should not be measured by his special exertions,
but by his habitual acts.
徳の高さは,
人が何か特別に頑張ったことで
判断されるべきではなく,
習慣的な行いで判断されるべきである
老子も「徳のある人は徳のことなど知らない」
と述べています
一時的なことであれば,
誰だって「徳」のある行動はできます
ですが,パスカルは「徳」のありかを
「する」ことではなく,
「である」ことに置いています
習慣は第二の天性とも言います
その人の「ある」がままから
滲み出ているのでなければ,
真の「徳」足り得ないと言うのです
パスカルは大胆にも人間を二種類に分けています
There are only two kinds of men:
the righteous who think they are sinners
and the sinners who think they are righteous.
人間には二種類しかない
一つは自分を罪人だと思っている善人であり,
他の一つは自分を善人だと思っている罪人である
自分はいい人だ
自分は悪い人だ
その自意識が双方とも,
見事に裏返されています
パスカルのイメージですと,
前者が聖人で,
後者が俗人だったのです
筋金入りのカトリシズムを追求しいた
パスカルですから,
人間の「原罪」を忘れず,
十字架を背負って生きる人しか
「善人」はいないと考えていたのです
そして,「正義」につきましては…
Justice without force is powerless;
force without justice is tyrannical.
力なき正義は無力であり,
正義なき力は圧制である
圧制が現実に世界各国で台頭しています
パスカルは「聖」「俗」どちらの人であれ,
現世での人間のちっぽけさに
途方に暮れているかのようです
そうした中でも,パスカルにとって
考える葦でしかない人間誰にでもできる,
一条の希望の光はありました
Kind words do not cost much.
Yet they accomplish much.
親切なことばはお金はかからないのに,
多くのことを成し遂げる
それでは,このへんで