1.はじめに
“けーえふ @kenchin_against” https://twitter.com/kenchin_against?lang=ja という「けんちん・F氏攻撃専用bot」が2018.1.19に開設された。
その目的は「けんちん・F氏の記事に対し、論理的な意見を試みるbotです」という。 bot開設とほぼ同時に、はてな匿名ダイアリーに次の2つの記事が書かれた。 ・けんちん・F氏の文章が面白い その1 https://anond.hatelabo.jp/20180119190450 ・けんちん・F氏の文章が面白い その2 https://anond.hatelabo.jp/20180119190956 2018.1.23にさらに次の記事が書かれた。 ・ちょっと「してやられた」という話。 https://anond.hatelabo.jp/20180123164948 誰が“けーえふ @kenchin_against”botを開設しツイートしたのか、ダイアリーを書いたのか、その発信者を特定できない仕掛けになっている。
2018.1.31現在でフォロアーは22名。bot“けーえふ @kenchin_against”が“いいね”したツイートが28件になっている。 ここでは“けーえふ @kenchin_against”botがなぜおぞましいいのかについてまとめる。さらに、そこでのけんちん・F氏非難の内容がいかに的外れであるかについても説明する。
けんちん・F氏はその書かれたものをちゃんとよめばわかるように、被害者の方の関係者として市原幹也氏のセクハラにとても激しい怒りを持っている。その強い怒りは市原幹也氏のセクハラを見てみぬ振りをしたり知っていて知らん顔をしたりしている人にも向けられる。市原幹也氏のセクハラを拡散させたことの責任を逃れようとする演劇センターFの野村政之氏との議論はそういう思いからなされた。 ちなみに、わたしは市原幹也氏のセクハラへの世間一般および演劇界がどう捉えてどのように動いていくかを見つめようとネット上の情報などに気を配ってブログにまとめてきた。市原幹也氏のセクハラについての考え方もすでにブログで述べている。
市原幹也氏のセクハラの事実は知乃氏の2017.12.18の告発があるまで知らなかったが、告発後にわたしの知人のごく親しい人が市原幹也氏のセクハラを受けていることを知った。 市原幹也氏のセクハラについてブログに書いたことでけんちん・F氏はこれまでバッシングを受けてきた。そのことは「市原幹也氏のセクハラについて:“演劇センターF”の不誠実な対応(続々)(2/2)」 https://blogs.yahoo.co.jp/naginon/65965525.html に書いている。
それらの突発的な脊髄反射的なバッシングと比べて、“けーえふ氏”によるバッシングは計画的で確信犯であるからさらに悪質である。地域の演劇人を巻き込んで味方につけようとするなど悪辣だと言ってもいい。そこを検証していく。 本稿では見やすくするために、引用部分の多い箇所ではわたしの意見は前後に▼▲を付けた。 市原幹也氏のセクハラに関するけんちん・F氏のmixi日記とわたしのブログ記事および野村政之氏との議論の経緯は、本稿の最後にまとめているので参照願いたい。
2.何が問題なのか (1)botによるけんちん・F氏攻撃の狙いの汚さ
“けーえふ氏”は「けんちん・F氏の文章が面白い その1 」 https://anond.hatelabo.jp/20180119190450 に“けーえふ @kenchin_against”によるけんちん・F氏バッシングの狙いについて次のように書いている。
*** けんちん・Fさんという人物がいまして。 彼はmixiを中心に、様々な映画や作品の論評を投稿しており、その切り口は身内同士でズブズブになっている九州・福岡演劇界をバッサリと斬るものが多く、たまに面白く拝見していたのですが、どうにもここ最近、彼の文章の質が変わってきたというかちょっと見るに堪えないものになってきました。 彼がどのくらい影響力があるのかはちょっと分からないのですが、このまま福岡演劇界のご意見番ヅラしてるのもちょっといかがなものだろうかと思いまして、ここに、記述させていただこうと思います。 *** また、次のようにツイートしている。
*** けーえふ @kenchin_against 正直、落ち着きつつある問題を再燃させる事は如何なものか、とは思ったのですが、これ以上風説の流布をされても大変困りますので、改めて書かせて頂きました。申し訳ありません。 19:28 - 2018年1月19日 *** ▼この2つをまとめて言えば、“けんちん・F氏が福岡演劇界のご意見番ヅラして風説の流布をしているのが気に食わないから、市原幹也氏のセクハラ問題を再燃させる懸念はあるがここで叩く”ということになる。
“けーえふ氏”のいう「ご意見番ヅラして風説の流布」についての指摘事項にはあとで個別に触れるが、この“けーえふ氏”の発言の前提にあるのは“福岡演劇界のことを悪く言うヤツは許さない”ということであり、“それを叩くのは市原幹也氏のセクハラ問題よりも優先する”ということだ。この前提は2つとも間違っている。 けんちん・F氏は演劇ファンであってその上で“福岡の演劇界と演劇人には違和感がある”と言っているだけだ。
わたしはおもしろい芝居を観られるなら福岡の演劇にはこだわらない。だからといって福岡の演劇がどうでもいいというわけではなくて、おもしろい舞台を創ってほしいとは常々思っている。けんちん・F氏も同じようなスタンスで苦言を呈しているのであって、「ご意見番ヅラして風説の流布」というのは“けーえふ氏”の被害妄想に過ぎない。それをバッシングするような発想が福岡の演劇界を代表しているとしたらそれこそ問題だ。 要するに、福岡の演劇界の外からのけんちん・F氏の批判的な物言いが気に食わないということだが、そのことは福岡の演劇界の狭量さを示している。観劇人であるけんちん・F氏を排除してどうする。福岡の演劇界がやるべきことは、演劇に“無関心”な一般人にいかに観劇人になってもらうか、ということではないのか。
“けーえふ氏”は“落ち着きつつある問題を再燃させる事は如何なものか”と言う。そこには“市原幹也氏のセクハラ問題がさっさと風化してほしい”という願いがある。福岡の演劇界にも関わる大問題に対して、何もせずに風化するまで待つというのが最良の選択だと本気で考えているのなら、まずその理由を明確にするべきだ。けんちん・F氏はそうは考えていないから、まずそこから議論すべきだ。
“けーえふ @kenchin_against”botでの徒党を組んでの個人攻撃のみっともなさにも触れておく。
“けーえふ氏”の意見表明がちゃんとしたものだというならば、何で自分のツイッターIDと自分のブログでやらないのか。 わざわざ“けーえふ @kenchin_against”botを作ってはてな匿名ダイアリーにリンクさせることのいちばんの狙いは、匿名で発信できて、フォロアーを集めて情報拡散しやすいということだろうが、“物陰から石投げる”という卑怯極まりないやり方だ。福岡の演劇人をフォロアーとして集めてけんちん・F氏個人を攻撃する。フォロアーもそこに乗っかって溜飲を下げる。 そんな徒党を組んでのけんちん・F氏への個人攻撃はあってはならないことで、常識人のすることではない。そのことを指摘して“けーえふ氏”に抗議する演劇人はいないのか。▲ (2)“けーえふ氏”は自身の見解を示さない “けーえふ氏”が自身の見解を示しているのは次の文言である。
「私は、市原幹也氏を知りませんが、様々な記事などを見る限り今後、演劇には関わって欲しくないと思います。
但し、彼が演劇をやりたいと言う気持ち、思いを禁じる権利は私にはないと思います。(何故なら知らない人だから) というスタンスです。 人を裁けるのは司法、又はその直接の被害を受けた人だけ。というスタンスです。そうじゃなきゃ私刑だよ。」 「再度の通達ですが、私は市原氏を知りません。人としては最低だと思います。それだけです。彼が演劇に携わって欲しくない、とは思いますがその権利は私にはありません。
『九州・全国の演劇界は腐ってない』とは言い切れないけれど、『腐っている』とも思っていません。いい人も悪い人もいるのは演劇界に限った話ではありませんし、一般社会よりはちょっと問題が起こりやすい環境ではあると思います。 私がけんちん氏をこのように批判するのは『破綻した理論でレッテル張りを垂れ流し個人を批判する』その語り口が気に食わないだけです。
市原氏、野村氏、泊氏、高崎氏、その他、全ての個人に対して擁護・批判を行うためにこの記事を書いておりません。 そして、かなり批判的に書いてしまいましたが以前のあなたの論評が好きでした。本当に。願わくば、元のキレのいい文章に戻ってもらいますように。」 ▼“けーえふ氏は、市原幹也氏のセクハラについてはほとんど何の思いもないことを明言している。「いい人も悪い人もいるのは演劇界に限った話ではありません」と、市原幹也氏のセクハラには特段問題がないと言わんばかりの言い草だ。被害者の方への視点もない。
それならそれでかまわないが、そんなスタンスの人間が被害者の方の関係者であるけんちん・F氏にわかったような口を利いちゃいけない。市原幹也氏のセクハラについての思いにも情報量にも大きな差がある。 そういう差を考えもしないで“けーえふ氏”が「私がけんちん氏をこのように批判するのは『破綻した理論でレッテル張りを垂れ流し個人を批判する』その語り口が気に食わないだけです」というのは、理屈に合わないだろう。けんちん・F氏がどういう情報を持っていてどういう思いで発言しているのかを少しでも考えれば、「破綻した理論」とか「レッテル貼り」とか決めつけるほうがおかしい。ましてや語っていることは扱いがむずかしいセクハラのことだ。切れ味良く語れというほうが無理だ。▲
3..“けーえふ氏”による問題点の指摘に妥当性はあるか “けーえふ氏”によって「けんちん・F氏の文章が面白い」で指摘された問題点については、けんちん・F氏から説明があるだろうが、若干違った目で見るためにわたしの見解も述べておく。
<問題点1:推論と事実のすり替え> 例ア
「要約するとこうなります。 2013年アイアンシアターの芸術監督を解任、のこされ劇場≡もそこで実質解散状態(事実) ↓ 「そこでなにかやらかしたんだろうな」と判断せざるを得ない(推論) ↓ 劇団員かワークショップに手をつけたのだろう(推論) ↓ 彼の不始末のせいで枝光演劇フェスティバルが開催不能になったのは残念(事実のように記述だがソースなし) ↓ 憶測が正しければ、枝光商店街が解任理由をはっきりさせれば犠牲者は防げたかもしれない(推論) 2013年の解任と解散は事実だが、そこの理由ははっきりしていない。にも関わらず、枝光演劇フェスティバルの中止を彼が原因かのように記述、そしてその後の被害発生の責任を枝光商店街に一部求めている。
有名な言葉がここにあります。『なんかそういうデータあるんですか?』 『枝光演劇フェスティバルは市原氏の不始末で開催不能になった』 推論を並べ立ててもいいけど、そこに至った経緯、又は根拠を示さないと説得力ないよ、けんちん氏。」 ▼「推論を並べ立ててもいいけど、そこに至った経緯、又は根拠を示さないと説得力ないよ、けんちん氏。」と“けーえふ氏”は言っている。
しかし、簡単に書けることではないので知っていて書かないことも多いことは容易に想像できる。例えば「2013年の解任と解散は事実だが、そこの理由ははっきりしていない」というのは“けーえふ氏”の推論にすぎない。この場合、“けーえふ氏”の理屈からすればけんちん・F氏に確認して書くべきということになるはずだが、ちゃんと確認はしたのか。 また、流れからみればけんちん・F氏の推論が正しい可能性は非常に高い。そうじゃないというなら“けーえふ氏”が自分で証拠を出すか、あるいは本人に推論であることを確かめるべきだ。▲
例イ 「市原って居座り続けそうだよね(推論) ↓ 周囲も許しそうだよね(推論) ↓ それだけ日本の演劇界はユルい社会で、演劇レベルが沈滞する原因かもしれない(推論) はっきり言ってウケる。脳内妄想垂れ流してもいいけど経緯又は根拠を示さないと説得力がねえよ」 ▼これは推論というよりもそのときの状況から見た予測であり、市原幹也氏のセクハラの告発から40日も経つ今の状況を見れば予測がそのまま実現しているのがわかる。
「日本の演劇界はユルい社会」というのは、市原幹也氏のセクハラを追っかけてきたわたしにはよくわかる。「演劇レベルが沈滞する原因かもしれない」というのは当然考えられることだから何の問題もない。▲ 例ウ 「市原が演劇をやめなかった(事実) ↓ それは周囲の人間が別の道を勧めなかったから(推論) ↓ それは周囲の人間が演劇を愛してないから(推論) データと経緯がないのは先の例と一緒。さらに、さも自分が部外者かのようにけんちん氏は記述しているが、それ以前の文章に『悪い噂は流れてはいたようだ』とか書いてんだから同じ論法だとアンタも周囲の人間に一人に入っちゃうよ。ブーメランだよ。」 ▼“市原幹也氏のセクハラを知ってる人がいたら、その人が演劇を愛しているならば別の道を勧めるべきだった。それが成功していれば今回の市原幹也氏のセクハラ問題はなかった可能性がある”とけんちん・F氏は言っているだけだ。
また、けんちん・F氏は市原幹也氏とは面識もなく演劇人でもない部外者なんだから別の道を勧めようがなく、周囲の人間の一人にはならない。▲ 「一個前の論理で行くとこの人完全に『別の道を勧めなかった周囲の人間』に入るわけで『演劇を愛してはいない人』になるわけですけど。 知人と分かった瞬間この手のひら返し。まごう事なきダブルスタンダードです。」 ▼けんちん・F氏はこの人が「演劇を愛している人」とは一言も言っていないんだから、何の問題もない。▲
例エ
「この文章には山ほどの問題点があるのだけれど、とりあえず推論のすり替えについて言えば 野村氏は、市原に電話で「死ぬな」と言ったとか書いた(嘘だけどここでは事実としましょう) ↓ まるで、泣きを誘って、市原の方が被害者的な立場に見えるように、話を粉飾しているようにすら見える。(推論・感想) ↓ 野村氏もここですっかり忘れてしまっているよ、被害者は女の子たちなんだって!(事実のように記述) ↓ 野村氏もまた、人間として最低な部類に属するのである。(結論) ものすごいとんだ論法。あと、後述するけど『死ぬな』って言ってないしね。『死ぬな』の意味合いも違うしね。」
▼敵の敵は味方ということなんだろうが、よくわかりもせずに“けーえふ氏”は野村政之氏を擁護するなぁ。野村政之氏の「今回のセクハラ問題から」 https://note.mu/nomuramss/n/ncf6decc718eb をちゃんと読めば野村政之氏のごまかしはすぐにわかる。▲
例オ
「市原と関係があった人が知らなかったばかりのはずがない(推論) ↓ 何故なら看過して自ら責めたのは一人だけだから(根拠) ↓ 中には、市原が誘ったか誘われたかで、一緒にセクハラ行為に及んだ演劇関係者もいるはず(とんでもない推論) ↓ 今ものうのうと「演劇人」の仮面を被り続けている人物が、福岡の演劇界に居残り続けている可能性を否定できないのである。 (結論) 一緒に及んだ人がいる根拠を示せ根拠を。バックデータのない論理はただの言いがかりだぞ。」
▼市原と関係があった人が知らなかったばかりのはずがない(推論)というのは、すでに泊篤志氏と高橋克昌氏が知っていたと明言しているのだから、他の人がまったく知らなかったと言い張るうほうがよっぽど不自然だ。
「中には、市原が誘ったか誘われたかで、一緒にセクハラ行為に及んだ演劇関係者もいるはず(とんでもない推論)」というのを(とんでもない推論)というからには、けんちん・F氏に確認してのことだろうな。何の根拠もなくてけんちん・F氏が書くわけはないが、「一緒に及んだ人がいる根拠を示せ根拠を。」と言っても具体的に書けわけにはいかないことぐらい想像もできないのか。▲ <問題点2:主語を大きくすることで、拡大解釈とレッテル張りを行う> 例カ 「さっきも出てきた文章ですね。引退しない、が周囲が許しそう、の周囲の話になり、日本演劇会の話にどんどん主語が拡大していく。しかも推測なのに。 一泡沫演出者の話を日本演劇界に持ってくんなよ。日本演劇界も迷惑でしょうよ。それなら一連の騒動が大物の米映画女優の話からはじまってんだから、『米映画界はクソだ』くらい言ってもいいんだよ?」 ▼「一泡沫演出者の話を日本演劇界に持ってくんなよ。」というのが基本的に間違っている。日本演劇界の大問題だという認識をわざと避けているのは、市原幹也のセクハラを矮小化したい意識の現われだ。それでいいはずがない。▲
例キ 「個人個人が発言しない事がいつの間にか九州演劇人全体の問題に。え、だって市原のこと知らない人も結構いるよ? 身近に被害者もいない九州演劇人はどういう声明出せばいいんだろう?もしも、具体的に声明を発表して欲しいのにしてない人がいるならその人に言いな。
自分が知ってる演劇人が発言しないからって、責任を演劇界・演劇人全員に持ってこないでくれる?」
▼ここは知っていて発言しない九州演劇人のことを言っている。市原幹也を知らなくても、九州の演劇人なら糾弾でも擁護でも意思表示くらいすべきだし、セクハラの事実を知っていたらつぶやけよということだ。開示があまりに少なすぎる。▲
例ク 「目の肥えた読者さんなら『あ、推論が置き換わってる』と感じ取れたかと思います。 さらにいつの間にか全国の話になってますね。おお怖い怖い。」 「『なんかそういうデータあるんですか?』 君の知ってる演劇人に腐ってるやつが多いのかもしれないけどその井の中のレベルを日本演劇界の話に拡大しないでくれるかな。ちゃんと統計取った? 主語の拡大はもう少し散見されるのですが、周囲はどこまで責任を持つべきか、というのには正解が出しにくいため個人的に『明らかにデカすぎない?』と思うもののみ掲載しました。そのほかは是非皆さんで探してみてください。」 ▼このあたりのことについては、東京のほうで同じことをつぶやいた演劇人がいたんでけんちん・F氏がていねいに説明している。▲
<問題点3:自論に対して黙秘、反論する人に対し「擁護するから黙秘、反論している」とレッテル張りを行い間違いを認めない> 例ケ 「推論のすり替えに、『知ってるヤツが黙ってる=福岡演劇界に蔓延してる』の主語の拡大と、さらに『黙ってる=同じ穴の狢だ』というレッテル張りをしている。こちら、けんちん欲張りセットとなっております。」 ▼現況が発言があまりに少ないという感覚を持つのは当然であり、九州では泊篤志氏、高橋克昌氏、けんちん・F氏ですでに数人の被害者の方の存在が確認できることを考えれれば、「知ってるヤツが黙ってる=福岡演劇界に蔓延してる」というのが必ずしも荒唐無稽だとは言えない。知っている人は積極的に発言するべきで、「黙ってる=同じ穴の狢だ」とやや強調気味に言われてもしかたない。▲
例コ 「凄くない?コレ。もはやセカンドレイプだよね。『知り合いの名前を出すな』っていうしごくまっとうな指摘が(しかも理由の想定までできているのに) 『パワハラの明確な実例としてあげるな』っていう『攻撃』に彼の中で脳内変換されてさらに『卑劣』とまで言ってのけてる。 ちなみにこの後『ここで手を緩めるわけにはいかない。』って続きます。アンタ一体誰と戦ってるんだ?」 ▼この経緯はよく知りもしないで文字面だけを追って書いている。経緯はわたしがブログ「市原幹也氏のセクハラについて:この1ヶ月を振り返る(4/5)」 https://blogs.yahoo.co.jp/naginon/65965494.html に書いているとおりで、けんちん・Fさんに瑕疵はない。▲
例サ 「いやけんちん君、間違いを認めようよ。 野村氏は「友人として、これからの誠意ある行動を期待する」って言葉で「死ぬな」って念を送るしかしなかったわけ。 それを「電話で「死ぬな」と言ったとか書いている」って書いたのは作り話でしょ?音声データとか証拠があるなら別だけど、あんの? さらに、間違いを認めず「常識的に考えれば、野村が「メッセージが届きました」と書いているのを「電話で会話したのだろう」と捉えたのだと分かるはずである。」 と、見苦しい言い訳。わかんねーよ!(笑)どこをどう読んだらそう見えんだよ。 例えばね、君のその後の発言を汲み取って『市原氏に対して誠実な対応を望むにしても、「死ぬな」という被害者に見えかねない表現はいささか問題があるかと存じます。 実際の被害者の心情を慮った表現をした方が良いかと存じます』って批判ならわかる。 だけど"「作り話」という批判は全く当たらない。"ってのは違うぜ。だって実際に「野村氏が電話で「死ぬな」って言った」っていう作り話してんだもんアンタ。 "野村のブログのリンクを貼った上で、上記の記述を書いているのである。粉飾する意志があるのなら、そんなことはするはずがない。"とか"元日記のリンクは貼っているのだから、不正確で誹謗中傷だとまで言われるものではないことは誰の目にも明らかだ。 "って書いてるけど意思があろうがなかろうが、リンク貼ってようが貼ってまいが作り話はしたんだからさ、「記事を読み間違えましたごめんなさい」って部分はきちんと認めようぜ。 でもって、この野村氏の理論的な反論に対して色々あった結果(皆さんの目で見てください)"野村への「最低の人間」という評価も、これだけの条件が揃えば、的外れとも言いすぎとも言えないと、確信をもって言い切れる。"と、こう結論付けている。
謝ったら死ぬ病気の方でしょうか。 唯一、けんちん君の肩を持つなら野村氏がこの後カッとなったのか「けんちん・F氏がウソを認め、ウソをついてもいいと主張。 」と書いたのはマズいと思いますよ。そりゃ野村さん、あなたの感想です。けんちん氏がいう通り事実じゃない。 ▼野村政之氏の件は前にも書いたとおり野村政之氏の「今回のセクハラ問題から」 https://note.mu/nomuramss/n/ncf6decc718eb をちゃんと読めば野村政之氏のごまかしはすぐにわかる。▲
「再度の通達ですが、私は市原氏を知りません。人としては最低だと思います。それだけです。彼が演劇に携わって欲しくない、とは思いますがその権利は私にはありません。 『九州・全国の演劇界は腐ってない』とは言い切れないけれど、『腐っている』とも思っていません。いい人も悪い人もいるのは演劇界に限った話ではありませんし、一般社会よりはちょっと問題が起こりやすい環境ではあると思います。 私がけんちん氏をこのように批判するのは『破綻した理論でレッテル張りを垂れ流し個人を批判する』その語り口が気に食わないだけです。 市原氏、野村氏、泊氏、高崎氏、その他、全ての個人に対して擁護・批判を行うためにこの記事を書いておりません。 そして、かなり批判的に書いてしまいましたが以前のあなたの論評が好きでした。本当に。願わくば、元のキレのいい文章に戻ってもらいますように。」 ▼「いい人も悪い人もいるのは演劇界に限った話ではありませんし、一般社会よりはちょっと問題が起こりやすい環境ではあると思います。」だったら、何で市原幹也氏のセクハラが起きたのか推論抜きで説明してほしいものだ。
演劇界という芸術創造の場所を「一般社会よりはちょっと問題が起こりやすい環境」と当たり前のように言ってしまう“けーえふ氏”の異様な感覚こそが、演劇界のユルさを象徴している。 「私がけんちん氏をこのように批判するのは『破綻した理論でレッテル張りを垂れ流し個人を批判する』その語り口が気に食わないだけです。」というのは詭弁である。
“けーえふ氏”をはじめとする演劇人がけんちん・F氏の言うことに激しく反発するのは、その「語り口」の問題ではなくて、その内容が演劇界の内実を抉っているからに他ならない。演劇人はそこを責められたくないので“けーえふ氏”のような発想で必死にレッテル張りで反撃するが、破綻した理論では反撃はできない。▲ 「と、ラブレターじみて終わったものの、どうしても書きたい事もあるので書いてしまいます、ごめん。 これは個人の感想であり言いがかりなので、誹謗中傷じゃねえかって言われたら反論できません。 先に謝っておきます、ごめんなさい。(このあとかなり長文の誹謗中傷が続く)」 ▼ここでいきなり弱腰になって白旗揚げたのかと思ったが、これから誹謗中傷するので先に謝っとくということだった。先に謝るくらいならやめとけ。
「彼の文章って『●●と思われても仕方がない』『●●も同然じゃないか』っていう、自分の意見が世論であるかのような言い回し頻発するよね。」「一々例えに映画とか小説を使うあたりが『ザ・映画オタク(通ではない)』って感じで気持ち悪い。」「聞いてもいない自分語りとナルシシズムが自意識過剰で気持ち悪い」というところは、けんちん・F氏がそれだけインパクトのある文章を書いているということだ。問題にするほうがおかしい。
「これ率直な疑問なんだけど、なんでそこまで九州演劇界を憎んでいるの?」というところでやっと“けーえふ氏”の本音が出た。
けんちん・F氏の言うことをちゃんと読めば、九州演劇界を憎んでなどはいないことは明らかで、「観に行きたくなるちゃんとした舞台を作ってくれ」と言っているだけだ。そんなけんちん・F氏の意見に耳を傾けることはせずに一方的に排斥する“けーえふ氏”こそおかしい。▲ (「市原幹也氏のセクハラについて:けんちん・F氏攻撃専用botのおぞましさ(2/2)」へ続く)
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