白人に盗まれ続けた黒人音楽
「黒人ではないブルーノが黒人音楽をやるのは文化の盗用」と怒りを爆発させたセレンだが、これには歴史的な経緯がある。アメリカの黒人は昔から音楽やダンスに秀で、優れたミュージシャンが続出し、素晴らしい楽曲を大量に作り、新たなジャンルをも開拓し続けた。しかし黒人は人種差別ゆえに経済システムの外に置かれたため、人気アーティストとなり、ヒットを飛ばしても収入につながらなかった。レコード会社やレーベルとの契約は不利を極め、いくらヒットを出してもわずかな額しか手にすることが出来なかった。
加えて、新たな黒人音楽ジャンルが生まれると、白人アーティストがそれを歌い、白人経営のレコード会社経由でヒットを出し、白人アーティストとレコード会社のみが潤った。「ロックンロール」は1940〜50年代に黒人が生み出したジャンルだが、これを白人社会に広め、「ロックンロールの王様」とまで呼ばれたのは白人のエルヴィス・プレスリーだ。
1970年代に貧しい黒人とラティーノの若者のライフスタイルから生まれたヒップホップは単なる音楽の枠にとどまらず、現在にいたるまで彼らの精神的、文化的なバックボーンとなっている。1999年、そのヒップホップ・シーンに白人のラッパー、エミネムが登場した時、今回のブルーノ・マーズ論争以上の大きな議論が巻き起こっている。経済効果だけの問題ではなく、黒人としての矜持の問題でもあった。
プレスリーやエミネムがエンターテイナー/アーティストとして優れていることは疑いの余地がない。しかし、奴隷制に基づく黒人差別の長い歴史、その副作用として現在まで延々と続く経済的、社会的な不利。さらには「黒人だから」という理由で警官に撃たれて命まで落としてしまう事象と、こうしたことがすべて重なっての慢性的な心理的重圧。これが「ブルーノは文化盗用」説につながっていると言える。スティーヴィー・ワンダー自身も黒人として、そうした背景は重々承知した上で、あえて「我々は、恐れと自己不信感を抱く者によって制限されてはならない」と、問題の本質をするどく突く発言をおこなったのだ。
「他人種の文化は、アクセサリーじゃない」
アメリカの黒人はあらゆる面で白人から疎外され、中央社会への参加を阻まれたがゆえに独自の豊かなカルチャーを色濃く残せたのだとも言える。音楽ならブルース、ジャズ、ゴスペル、ソウル、ヒップホップなど時代とともに変化を遂げ、枝分かれを繰り返したとは言え、黒人音楽として太く、揺るぎのない系譜を保てている。
他方、ブルーノのような背景を持つ「アメリカ人」はどんな音楽を「演奏するべき」なのだろう。プエルトリコ系がニューヨークで生み出したサルサだろうか。ユダヤの伝統音楽? おそらく訪れたこともないであろうハンガリーの音楽? もしかすると母親とともに里帰りくらいはしたことがあるかもしれないフィリピンの音楽? それとも母親のようにハワイの民族音楽フラ? しかし母親もフィリピンからの移民であってハワイ先住民ではない。セレンのロジックによれば、これも文化の盗用に当たる。セレンは黒人ゆえに自身の音楽的バックグラウンドが強固であること、対して移民や人種ミックスの場合は非常に複雑になることに考えが至っていないのである。
ツイッターで「ブルーノは黒人じゃん!」と言うフォロワーに対し、セレンはブルーノの人種民族背景を以下のように説明している。
「彼は実のところ、白人、NBPOCラティンクス(プエルトリコ)& NBPOCフィリピン人が混じったマルチ人種」
NBPOC(Non Black People Of Color)とは、「黒人以外の有色人種」を意味する。「People Of Color」は、本来はすべての有色人種を含むが、文脈によっては黒人のみを指す。アメリカの人種民族マイノリティの中では黒人がもっとも発言の量と機会が多いことが理由だ。そこからマイノリティを黒人と黒人以外に分けて論じたい場合にNBPOC(黒人以外の有色人種)を使うことがある。また、ラティーノの中には黒人の血が濃い者も多く、彼らは民族的にはラティーノ、人種的には黒人であり、「アフロ・ラティーノ」などと呼ばれる。
だが、ブルーノの父はハンガリー系ユダヤ系ラティーノであることからセレンはまず「白人」、次に「黒人ではない有色人種のラティンクス」、最後に「黒人ではない有色人種のフィリピン人」と書いている。この順番は恣意的だと言える。そこまで厳密に言いたいのであれば、ブルーノはミックスの父親の「ラティーノ/白人」の血筋より母親のフィリピンの血が濃いことになる。だが、セレンはあえて白人を先頭に書いているのである。
ここまで読んで「正直、そんな細かいことどうでもいいじゃん」と思う人もいることと思う。だが、セレンは極端ではあるものの、こうした「黒人/非黒人」の考えがアメリカ黒人のなかにあることは事実だ。日本人も含む非黒人が黒人音楽を実践する場合、ここを理解しておく必要がある。単に「好きだから」「リスペクトしているから」でコピーをしていると、黒人側からは「文化の盗用」とみなされる。幸か不幸か、これまで日本人アーティストに対して大きな批判が起きていないのは、黒人の視界に入る場所で活動する日本人が少ないからだ。蛇足となるが、アメリカでは単に「黒人の真似をするな」だけでなく、「お前自身の文化は、個性は、どこにある?」という声も出る。
セレン自身もまた、おそらく自分では気付かずに「文化の盗用」に絡め取られている。セレンは以前、「Sensei Aishitemasu」というハンドルネームを使っていた。ブログのタイトルは今もひらがな表記の「せんせい あいしてます」だ。日本文化の熱烈なファンなのだろう。そのブログに「黒人女性の文化は白人女性のアクセサリーではない」と書き、ある読者に「その理論でいけば、日本文化は黒人女性のアクセサリーじゃないよね」と批判されている。ことほど、文化の問題は複雑なのである。
プエルトリコの旗を背に、スペイン語で歌う
ブルーノはアメリカ人ゆえに、アメリカのこうした事情は承知している。「なぜ、黒人音楽をやるのか?」という声は以前からあり、インタビューでは控えめながらも生い立ちや育った時代性を持ち出し、黒人音楽は自分にとって自然なものであると説明している。大ヒット曲「アップタウン・ファンク」が盗作であるとして1980年代の大御所バンド、ギャップバンドに訴えられた時はその訴えを聞き入れ、ギャップバンドのメンバーを作詞作曲のクレジットに加えている。そのメンバーが今回の件では、「ブルーノは純粋に才能なのである。文化盗用を訴えるヘイターには『24K・マジック』は忘れられていた90年代の黒人音楽を取り戻してくれたと言いたい」と絶賛している。つまり、自分の曲からそっくりなフレーズを借用されてしまい、その分については支払ってもらおう、しかしブルーノの音楽自体は自分たちが作ってきた黒人音楽の良質な拡散であると解釈しているのだろう。
売れる前のブルーノは「ラティーノなんだからスペイン語で歌えば?」というアドバイスにも悩まされたという。本名であるスペイン姓「ヘルナンデス」を使わない理由のひとつは、こうした人種民族のステレオタイプから離れ、やりたい音楽をやるためだ。
こうした背景があり、ラティーノ色を打ち出すことの少ないブルーノだからこそ、昨秋のプエルトリコ・ハリケーン被災チャリティ・コンサートでは心底驚かされた。ジェニファー・ロペスと元夫マーク・アンソニー主催のコンサートにブルーノは直接の参加はせず、事前に収録されたビデオがステージ上の大モニターに映し出された。
アコースティックギターを弾きながらヒット曲「ジャスト・ザ・ウェイ・ユー・アー」を歌い出したブルーノは、背景に巨大なプエルトリコ旗が映し出された瞬間にスペイン語に切り替え、そのまま歌い続けた。曲の最後、スクリーンにはスペイン語で大きく「Te Amo Puerto Rico」(プエルトリコ、愛している)と映し出されたのだった。
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