視点・論点「植物と薬と人間」[字][再] 2018.03.23
人類は古くから植物の化学成分を薬として使ってきました。
現在使われている薬の多くも植物成分がもとになっています。
またちまたにあふれる植物成分を売り物にした健康食品や化粧品会社のキャッチフレーズにも「自然の恵み植物からの贈り物」とか「植物のちからを健康に」という言葉もしばしば目にします。
植物から得られた有名な薬としては例えば……などが知られています。
またがん治療に用いられる抗がん薬のいくつかも植物由来です。
これを見ると植物は人間に優しく恵みを与えその化学成分は私たちに健康をもたらしてくれるものと思ってしまいます。
確かに科学技術が高度に発達したストレスの多い現代社会において植物やその成分が私たちの生活に潤いと安らぎをもたらし健康の増進に役立っている事は間違いがありません。
特に植物などを乾燥させてそのまま使いたくさんの植物成分が混じり合ったまま薬として用いる生薬やその組み合わせによる漢方薬の使い方は東洋医学の知恵でありその中でも我が国の使い方は洗練されています。
しかし植物の側から見た時に植物は私たち人間に恵みを与えるつもりでこれらの薬となる化学成分を作っているのでしょうか?「恵みをもたらしている」と考えているのは一方的に人間の側からだけ見た勝手な思い過ごしではないでしょうか?もしそうだとしたらなぜ植物はこのような成分を作るのでしょうか?このような疑問に答えるためなぜ植物が私たちにとって薬となる化学成分を作るのかそれをどのようにして作るのかが明らかにされてきたのは比較的最近の事です。
分子生物学やゲノム科学という先端的な科学の発展によって植物の巧みな生存戦略に隠された植物成分を作る意義とその方法が分かってきました。
「自然の恵み植物からの贈り物」と思われている植物の化学成分は実は植物側から見れば人間に恵みを与えようとしているわけではなくむしろ反対に植物が人間などの捕食者や外敵から自らを守るために進化させた生き残り戦略でした。
動物と違って動かないという生き方の選択をした植物は3つの生存戦略を発達させました。
その第1は太陽エネルギーを使って空気中の二酸化炭素と土からの無機物によって必要な有機化合物を自らつくる光合成という働きです。
これにより植物は生存に必要なエネルギーと物質を他者に頼らず自ら生産する道を確保しました。
第2はその光合成によって作られた比較的単純な化合物からより化学構造が複雑で多様な成分を作り外敵やストレスから身を守る事です。
このように複雑で多様な化学構造を有する成分は他の生物に働きかけある時は強い毒となり植物自身の身を守ります。
しかし一方でこのような化学成分には上手に使えば薬になるものが多くあるのです。
第3には受粉を助ける昆虫を花に引き寄せるため香りや色のついた化学成分も作るように進化しました。
これらはいずれも植物が動かないという生き残り戦略に基づきエネルギー確保外敵からの防御生殖という生物の基本的な機能を化学成分の力によって獲得したものです。
一つの例をお話ししましょう。
甘い草と書く「甘草」という名前の生薬を聞いた事がある方もいらっしゃると思います。
甘草はこのようなマメ科の薬用植物ですが文字どおりその根を非常に強い甘味を呈する生薬として使います。
漢方薬は複数の生薬を組み合わせて配合しますが甘草はそのような漢方処方の7割に配合されており最も汎用されています。
その強い甘味は主成分である「グリチルリチン」という砂糖の150倍も甘い低カロリー甘味成分によるものです。
実はグリチルリチンのような一般にサポニンと呼ばれる化学成分には大量に摂取すると細胞に障害を与える作用があります。
グリチルリチンは甘草の根など土に接する組織の周辺部に多く蓄積しておりそのため土からの外敵である微生物や虫などから身を守る防御的な役割を果たしていると考えられています。
それが人間にはたまたま甘く感じられ薬としての肝機能改善作用や抗炎症作用を示したと考えられます。
グリチルリチンは医薬品だけでなくたくさんの食品にも天然甘味料として含まれておりそのため多くの人が日々少しは口にしているはずです。
しかしこの甘草の供給はほとんどが中国からの輸入に依存しており最近の中国国内での需要の高まりや乱獲による砂漠化への危惧によって輸出制限が始まっています。
このように甘草の供給不安が深刻化する中で甘草からグリチルリチンを作る遺伝子を探し出しバイオテクノロジーの力によって甘草の有効成分を作る研究が行われています。
また昨年には甘草のゲノム配列を決定する事にも成功しこの最も重要な生薬の全貌を明らかにする見通しが立ちました。
薬学を含めて生命科学の分野は2000年以降大きく進展しました。
それはこの十数年で高等生物である植物や人間が持っている全てのDNA情報であるゲノム配列が次々と決定されたからです。
このゲノムには生命をつかさどる全ての情報が刻まれています。
それを知る事によって植物や人間を含めた生命の営みを根源的に理解できる糸口が得られたのです。
「動かない」という選択をした植物は進化という厳粛な自然の審判に耐えながら40億年という長い歴史の中で極めて巧みに設計され洗練された方法で自然を汚さずむしろ自然を浄化しながらいわば「精密化学工場」として多様な化学成分を作るという生き残り戦略を発達させてきました。
それを私たち人間は薬として少しだけお借りして使わせてもらっているにすぎません。
更に植物はこのように薬ばかりでなく私たちの日々の食料やエネルギー繊維工業原料などを作り出し人類の生活を広く支えています。
地球上には20万種を超える植物種が生息しこれらの植物は約100万種の化学成分を作っていると推定されています。
しかしそのうちまだ10%程度の植物種しかその化学成分や生物活性が調べられているにすぎません。
今後先端科学による研究の進展が期待されます。
地球の人口は現在74億人といわれていますが今世紀中に100億人に達するだろうと予想されています。
植物の生存戦略に基づく自立的な化学成分の生産性は二酸化炭素を削減し薬や食料を作り出しいわば「宇宙船地球号」に同乗している私たち生命の生存を支えています。
私たちは地球上の生命の源であるこの植物の事をもっとよく理解し上手に利用しながら人類と植物の関係も新しい段階に進まなければならない時代に来ています。
2018/03/23(金) 04:20〜04:30
NHK総合1・神戸
視点・論点「植物と薬と人間」[字][再]
千葉大学大学院教授…斉藤和季
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出演者
【出演】千葉大学大学院教授…斉藤和季
ジャンル :
ニュース/報道 – 解説
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
情報/ワイドショー – その他
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